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特集:持続可能な世界を拓く SDGsと協同組合

2020.01.09 
提言:大地に生きる 高まる「小農」の存在感 (農民作家 山下惣一)一覧へ

小さくて楽しく豊かな人生を

 理想の農業を求めて、世界50か国以上の農業・農村歩きを経験した山下惣一さんは、あるとき「ああそうか、農業はこれでいいのだ」と思ったという。70年以上にも及ぶ営農と思索のなかから山下さんが見出したものは何か―。JAの課題も含め提言してもらった。

山下惣一氏◆米国の水は残り僅か

 有名な話がある。

 米国のロッキー山脈の東側の中央高原にひろがる広大な畑作地帯は「アメリカのパンかご」と呼ばれる穀倉地帯である。年間降水量が少ないこの半砂漠地帯を緑の沃野に変えたのが「センターピボット」と呼ばれるスプリングクラー式の灌漑施設で、発明されたのが1952年。半径400メートルの自走式の散水管が潅水しながら回転して一区画50haの耕地を潤す。その施設が集中しているのがグレート・プレーンズでネブラスカ、サウスダコタ、コロラドなど8つの州にまたがり、総面積は日本列島の1.2倍もある。

 この広大な畑作地帯の大量の灌漑水を供給してきたのが「オガララ帯水層」と呼ばれる世界最大級の地下水である。ところが数億年をかけてたまったその地下水がすでに3分の1にまで減少し、あと80年はもたないと米国農務省が警告している。日本が輸入している小麦、とうもろこし、大豆のほとんがここの生産に依存している。あと80年だ。国連が「SDGs」を呼びかけなければならなくなった典型的な事例だろう。

先祖から次世代へつなぐ先祖から次世代へつなぐ"宝物"

◆倒れるまで進むのか

 一方、東西冷戦時代のもうひとつの覇権国の旧ソ連・その後のロシアの農業はどうか。

 一度みてみたい。ずっと私はその機会を待っていた。しかし、アメリカと違ってロシアの情報は圧倒的に少なく、ロシア農業の視察の機会もほとんど無かった。もともと日本人はロシアをあまり好きではないらしい。とりわけ太平洋戦争末期に「日・ソ中立条約」を破って、まるで火事場泥棒みたいに参戦し、旧満州の日本人を攻撃し樺太を奪ったことが反ロシアの感情を増幅させ、その思いはいまも引き継がれているようだ。

 しかし、そのロシアにも私たちと同じ農民はいるのだ。彼らは何を考え、どう生きているのだろうか。だが、それを知る機会はない。

 しびれを切らした私は2010年春、初めてロシアの土を踏んだ。観光ツアーに参加してモスクワとサンクトペテルブルグへ行った。見たいのは農業だから観光は上の空だったが、やっぱり行ってはみるもので興味深い光景に出会ったのである。

 たまたまサンクトペテルブルグの観光が金曜日だった。午後になると都市から郊外に向かう車ですべての道路が大渋滞で貸切バスが身動きがとれなかった。ガイドの説明では、みんなが週末を過ごすために郊外の「ダーチャ」へ向かっているのだという。

 「ダーチャ」は別荘という意味で、ロシアの都市住民のほとんどが郊外に標準サイズで200坪の家庭菜園付の家を持っており、週末や休暇をそこで過ごすのだそうだ。
 統計によればダーチャは食料生産の重要な位置にありロシアのジャガイモの90%、野菜の80%を生産している。1991年のソ連邦崩壊の大混乱期に一人の餓死者も出さなかったのはこのダーチャのおかげだといわれている。

◆「青い鳥」はロシアに

 さて――どういう農業が理想的なのか――私は生涯そのことを考えながら百姓として生きてきた。ヒントを得るために外国の農業・農村を歩きその数は50か国を超えた。いってみれば百姓の「青い鳥」捜しの旅だ。その旅の中の両極、アメリカとロシアの農業の見聞の一端を紹介させていただいたが、結論をいえば私が求める「青い鳥」はどこにもいなかった。

 ただ、ロシアでダーチャを見、その後2010年にハバロフスクでダーチャ体験をして、私は心が非常に軽くなった。全身の力が抜けた。

 「あゝそうか、農業はこれでいいのだ」と悟ったのである。これが原点だ。他人のことはさておき、究極は自分の食を賄えればよい。そこに居直れば百姓ほど自由で素敵な人生はない。私はそう確信した。

 大きくならない農業、小さくて楽しい農業、豊かな人生......そして、そのような農家を数多く残すことが消費者の食の安全、安心の支えになり、地域社会を維持し国の安寧にもつながる。日本では戦後の農地改革で田畑が細分化され、小規模零細農家ばかりになってしまったという否定的な意見もあるが、けっしてそうではない。

「日本は経済大国になっても小規模な農家をたくさん残している。これはとても賢い選択だ。長い目で見ればこの方が全体の社会コストは安くつく」

 とりわけヨーロッパの農業視察で私はこういう意見を多く耳にした。そして、まさに今、国連の「家族農業の10年」をはじめとして、「小農の権利宣言」など「家族農業」「小農」が歴史の舞台の中央に立つ時代が到来した。つまり潮目が変わり始めているのだ。

 私たちのこれまでの経験によれば「農業の近代化」をひと言でいえば「工業化」のことであった。「単作化――規模拡大――機械化――コスト低減――競争の強化――」の順序で生産が拡大していくが、生産量の増加に伴って価格が下落していくため生産者はゴールなき大競争の泥沼に陥ってしまう。投資や装備が大きくなっているので、もはや路線変更も引き返すこともできない。残った道はただひとつ「倒れるまで進む」である。これが農業近代化の宿命でありゴールである。私は昔からこれを「玉砕農業」と呼んでいる。

 この路線の欠点は次の通りだ。
 (1)生産した農産物から得られるエネルギーよりも投入エネルギーの方が多い。エネルギー収支が赤字である。
 (2)資源の枯渇、土地の砂漠化が進む。
 (3)農産物の質の劣化、有害化。
 (4)小農の淘汰でコミュニティの崩壊
 (5)モノカルチャー農業で生物多様性の喪失。
 (6)富が集中し、少数の富裕層と多数の貧困層に分断される。
 だから農業はなるべく小さい方がよいのだ。日本ではオーガニックの地産地消が理想だ。

 冬期間も農産物が育つ九州の風土ということもあるのだろうが、私が辿りついた理想の農業の形は小規模で、一年中仕事が途切れないような、なるべく無収入の期間が少ない農業経営だ。理想は有畜複合だが、私の住む村は旧村の中心地で人家が密集していて、それが何であれ家畜を飼える環境ではない。

◆60年前と同じ面積で

 わが家は分家で私で6代目だ。本家筋から遠方や急傾斜地の飛び地みたいな劣悪な田や畑を分けてもらって生きてきた貧乏百姓である。私が中学を卒業して就農した時、山の棚田が8反、海辺の傾斜地の畑が5反あった。棚田の中には3反歩で31枚という能登の千枚田も顔負けの棚田もあった。畑も傾斜地が多く毎年旧暦の8月には雨で流された表土をモッコで運んで畑全体に広げ、これを「八月畑つくり」といっていた。

 現在は耕地整理、整備が済んで田んぼが6反で4枚、みかん畑が5反で2枚、普通畑が4反で2枚だけを耕作しており、残りの6反の棚田と4反の畑は荒れ果てている。耕作面積は1町5反で、面積では私が就農した60年余年前と変わらない。増やすつもりはない。これでよい。土地を所有することは農家の場合その土地に縛りつけられることである。そのかわり人が働きかければその土地が家族の食を産み出してくれる。少なくとも息子の代まではこの農業を守って農家として生きていくだろうと思っている。孫の代はわからない。孫の好きなようにすればよい。それが現在の私の心境だ。

◆農地は家に帰属する

 農地は家という集団に帰属するもので個人のものではない。先祖からの預かり物であり、未来へ渡す宝だ。私たちは過去から未来へバトンをつなぐリレーランナーである。おそらく形態は違っても大地に生きる者、世界中の家族農業を営む人たちの思想は同じだろう。そうでなければ永続性はない。

 国連の発表によると世界の農家戸数は約5億7000万戸、耕地面積は約14億haだ。規模では全体の73%が1ha以下、2ha以下では85%になる。これらの小規模農家が農地、水、化石燃料の25%を使用して世界の食料の70%を産出している。対して先進諸国の工業型農業は農地と化石燃料の80%、用水の70%を使って食料の30%しか生産していないという。これが小規模家族農業重視の根拠となっているようだ。

 農業に世界的な地殻変動が起きている。国連の後押しを受けて世界の小農が存在感と発言力を強めている。目指すは「SDGs」に沿ったアグロエコロジーである。このような新しい潮流に日本のJAはどうコミットできるのかが問われよう。

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