農政:農業復興元年 揺らぐ食料安保 激化する食料争奪戦
【揺らぐ世界の食料安保】高まる食料危機リスク 輸入依存からの脱却急務 農中総研理事研究員 阮蔚氏(1)2023年2月22日
ロシアのウクライナ侵攻からまもなく1年。穀物価格の高騰などで世界的に食料危機のリスクが高まり、食料自給率の低い日本も対応を迫られている。食料安全保障が声高に叫ばれる中、日本はどうすべきか。「揺らぐ世界の食料安全保障~激化する食料争奪戦」をテーマにこの問題を考える。昨年9月に出版された「世界食料危機」の著者、農林中金総合研究所理事研究員の阮蔚(RUAN Wei)氏に話を聞いた。阮氏は、アフリカの飢餓人口の急増など世界的な食料危機への懸念を指摘するとともに、日本の米国に偏った輸入依存体質からの脱却の必要性を強調した。
農中総研理事研究員 阮蔚氏
飢餓人口が数カ月で6300万人増加
――2月24日でロシアのウクライナ侵攻から1年を迎えます。昨年3月、WFP(国連世界食糧計画)は、第2次世界大戦後、最も危うい飢餓のリスクが近づいている」と警告しました。ウクライナ侵攻により世界の食料危機がいかに深刻化しているかからお伺いします。
WFPによると、わずか数カ月間で世界全体の飢餓人口が2億8200万人から6300万人も増えて3億4500万人に上りました。このうち5000万人が死の一歩手前の飢饉の状態にあるとされ、まさに警告通り悲しい状況が発生しています。メーンはアフリカの低所得国で、穀物価格の高騰だけでなくドル高もあって食料を買いたくても外貨がないという厳しい状況が生まれています。
昨年11月にFAO(世界食糧機関)が出したフードアウトルック(食料展望)報告書では、昨年の世界の食料輸入額は過去最高だった2021年をさらに約10%上回る見通しとなっていますが、実は低所得国の輸入量は逆に10%減っています。先進国が"買いだめ"したのに対し、"買い負け"しているんですね。さらに「アフリカの角」といわれるソマリアなどでは5季連続の干ばつに見舞われ、難民も増えて大変な数の子どもが栄養不良などで亡くなる深刻な食料不足に直面しています。現実的に最悪の状況が起きています。
米欧がもたらした構造的な食料不足
――ウクライナ危機はアフリカや中東を直撃して食料をめぐる暴動も起きています。特にアフリカなどで食料危機が深刻化している背景には何があるんでしょうか。
世界の小麦輸出の3割を占めるロシアとウクライナからの小麦が突然止まったことです。まさに両国の小麦のメーンの輸出先がアフリカや中東です。
これには歴史があります。元々アフリカは小麦を主食とせず、キャッサバなどの芋類やミレットなど多種多様でしたが、60年代から70年代の各国独立後、米国や欧州から余った小麦がどんどん入り始め、都市部で消費され始めました。債務の問題もあって低所得国の農家は外貨を稼げるコーヒーなどの商品作物を作り、代わりに米国やEUから補助金を受けた大規模農家が作る安い小麦が入る。これでは現地の零細農家は対抗できません。分かりやすく言うと米国やEUの余った小麦のはけ口となり、輸入依存体質ができて自給率が下がってしまった。
アフリカの小麦生産量と輸入量
21世紀に入るとロシアも輸出量を増やし、2014年のクリミア併合による米国やEUのロシア制裁をきっかけに、アフリカや中東に向かう小麦はロシアやウクライナにシフトしました。地理的に近いうえ、価格も米国やEUより安い。アフリカの小麦純輸入量は1961年の223万トンから2020年には4740万トンと21・3倍に拡大しています。こうして途上国でありながら食料の自給自足ができず多くを輸入に依存する中でウクライナ危機が直撃したわけです。
――アフリカなどでの暴動にもつながった穀物価格の急騰は落ち着いてきたようにも見られますが、小麦などの需給見通しについてはどう見ますか。
小麦の国際指標価格の米シカゴ商品取引所の先物価格はウクライナ侵攻開始の2週間足らずの2022年3月7日に1カ月前から70%も上昇し、1972年以降の最高値を更新しました。7月の黒海からの輸出再開合意などでいったん落ち着きましたが、10月にはロシアが輸出をやめたり再開したりと状況が変わるたびに大きく変動しました。穀物などの価格は戦争や異常気象などがあると簡単に高騰するリスクもあり、不安定な状況が続いています。昨年の収穫状況でいうとEUは干ばつで減産、ウクライナは戦争状態で4割減産でしたがロシアは豊作でした。こうなるとロシアの小麦はやはりアフリカや中東には必要です。世界の飢餓人口をこれ以上拡大させないよう、国連機関があっせんしていますが、依然として低所得国には外貨不足の問題がありますので、G7などでアフリカへの支援を検討する必要があります。
偏在する肥料原料 深刻な問題はらむ
――穀物とともにウクライナ危機で需給ひっ迫が表面化したのが化学肥料で、肥料原料は大きく高騰しました。阮さんは著書で穀物の需給以上に肥料不足は深刻な問題を抱えていると指摘しています。
肥料の資源は穀物以上に偏在しているということです。窒素、リン酸、カリウムの3大化学肥料の原料をすべてロシアが持っており、政治的武器になる恐れがあります。これらの原料や生産はロシアとベラルーシが高い世界シェアを占めているため両国への経済制裁の影響で多くの国が調達に支障をきたし、化学肥料の価格は歴史的な高値水準に達しました。世界銀行の調べによりますと、ロシア侵攻後の2022年4月には前年同月比で、窒素が181・9%上昇、リンが79・1%上昇、カリウムが177・8%上昇と急騰しました。しかも穀物市況が落ち着きを取り戻したのと対照的に高値圏が続いています。
世界の化学肥料価格
米国はこうした資源を持っているのでロシア制裁に積極的になりますが、アフリカはモロッコなどを除けば化学肥料プラントも少なく死活問題になります。実は世界最大の肥料輸入国のインドやブラジルは制裁から距離を置いてロシアから輸入を続けて何とか肥料を確保しています。巨大な人口を抱えるインドは相当な量が必要ですし、ロシア制裁が主題となった昨年6月のG7サミットに特別ゲストとして参加したモディ首相は「世界の食料安全保障には、まずは肥料の確保に集中する必要がある」と指摘しました。
肥料価格の高止まりが長期化すると、世界の農業が化学肥料の使用減少に向かうリスクがあります。化学肥料を投入しすぎすることにはいろんな問題がありますが、残念ながら今の世界、特に途上国では化学肥料を投入しないと生産量の減少につながります。日本のように投入量の多い国なら1年ぐらい投入しなくても大きな影響はないかもしれませんが、元々投入量の少ないアフリカで化学肥料が減るとすぐに生産量に反映されることを考えなければいけません。
農業は地球温暖化の加害者であり被害者
――食料危機に関しては、元々人口急増に加えて地球温暖化の影響が懸念されていました。この地球温暖化をめぐって阮さんは、農業は加害者でもある被害者でもあると指摘されています。
温暖化による穀物生産への影響は深刻です。世界各地をみると、干ばつの影響を受けやすいオーストラリアでは数年おきに干ばつが発生し、米国では「超酷暑日」の増加で穀倉地帯への甚大な影響が懸念されています。また、穀物の病気や害虫の発生も深刻で、2020年夏には東アフリカとイエメンではサバクトビバッタによる農作物被害で4200万人が食料危機に直面したといわれています。
一方で国連のIPCC(気候変動に関する政府間パネル)が発表した報告書によると、農業分野から排出されるGHG(温室効果ガス)の量は世界全体の2割くらいを占めています。農地の土壌に生息する微生物が発生させる一酸化二窒素が39%、牛のゲップなど家畜が発生させるメタンが38%で、水田からのメタンも約10%に上っています。例えば牛1頭の出すGHGは車1台とほぼ同じで、偶然ですが、世界には15億頭の牛と15億台の車があり、ちょうどGHGの排出量がほぼ同じと分析されています。
ただ、農産物は元々CO2を吸収しますからGHGの削減に貢献もしていますし、日本では農研機構で牛の出すゲップの量を減らす研究などが進んでいます。GHGを減らす取り組みを通して日本が世界に貢献していくことが必要です。
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