心の壁への挑戦 上杉治憲(鷹山)2015年12月11日
上杉治憲(鷹山)が米沢藩(山形県)の養子藩主になったのは、十七歳の時だった。藩地に初入部したのは二年後(明和六年・一七六七年)のことだ。それまで江戸藩邸で学者・細井平洲の教えをうけていた。米沢藩は立藩時から赤字財政で、リストラを避けてきたため、治憲が藩主になった時は、収入の八〇%が人件費という異常な財政構成になっていた。
◆異常時には"異常の決意"で
実務にも識見をもつ細井平洲は、治憲の入国に際しつぎのような助言を与えた。
・米沢藩の現状は"異常時"だと認識すること
・異常時には"異常な手段"が必要なこと。尋常な手段では対応できないこと
・異常な手段は、まず藩主みずからが実行し、家臣と藩民に範を示すこと
・藩財政回復の資源は人と土以外ないこと
・この活用と家臣・藩民の意識改革のためには、藩主は「勇気」以外武器はないこと
この助言を具体化し平洲は「嚶鳴(おうめい)館遺草」という改革メモを治憲に献じた。治憲はこのメモにもとづき、つぎのような改革案をつくった。
一、大倹約の実施 徹底してムダを省く。しかし倹約のための倹約ではない。改革の柱である収入増をおこなうための、先行投資・設備投資の費用を生むための手段でもある
二、増収策の実施 適地主義(できない物は生産しない)をとり、できる物に付加価値を加えて市場価値を高める努力をする。例 麻を加工し織物を工夫する。桑を植え養蚕を盛んにする。生糸によって"米沢織"を創出する。紅花を染色剤にする。楮を植え和紙を製造する。水田に鯉を放ちその糞を稲の有機肥料とする。お鷹ポッポのような郷土工芸品も訪来者のみやげ品とする
(北限の適用をうける東北の地では、このころ木綿・みかん・茶・ローソクなどができなかった。その輸入のためにも費用を捻出しなければならなかった)
三、藩士・藩民の意識改革のための研修機関(学校)の設立
こういう改革案をつくるために、治憲は江戸に逐(お)われていたトラブルメーカーたちを組織した。正論を吐いたり奸民を斬ったりした藩士が、本社である米沢城から追い出され、江戸支社(江戸藩邸)に集まっていた。治憲にすれば、
「この連中こそ異常時克服の戦士である」
と思えたのだ。現在なら「改革のためのPT(プロジェクト・チーム)」だ。癖はあっても能力のあるこの連中は、たちまち治憲の理念と情熱に胸をうたれ、全面的に協力した。治憲は完成した案を急便で米沢に送った。
・改革案は増し刷りをし、私(治憲)が入国前に全藩士と有力な藩民は読んでおくこと
・案の中ですぐ実行できることは、私が入国する前に実行してもさし支えないこと
そしてまもなく米沢に入った。ところが国元では治憲の指示は全く守られていなかった。即ち改革案は増し刷りはされず、原案は書庫の隅に放りこまれていた。米沢城の重臣たちは江戸のトラブルメーカーたちに敵意をもち、このグループを重用する治憲にも反揆していた。改革について国元の重役にひとことも相談のないことにも不満をもっていた。江戸の改革案の大宗が、細井平洲という一学者によってつくられたことにも怒りをもっていた
◆重役たちのクーデター
この不平・不満・怒りが治憲が入部してまもなく爆発した。七人の重役が連帯してクーデターを起し、つぎのように治憲に迫った。
・改革案を白紙に戻し藩政をわれわれに任せること
・あなた(治憲)は日向(宮崎県)の小藩(秋月家)の出身で、名門であり大藩である上杉家の実情を全くしらないこと
・案のつくり手がすべて米沢から逐(お)われた厄介者であること。これに細井という学者が加わっていること
・米沢城においてはこれら厄介者は登用しないこと
・これらの要求をのむか、それともあなたが藩主を辞任して日向の実家に戻るか、お選び下さい、と二者択一をはかった。
・そしてこの要求は全藩士の意見です、とつけ加えた。治憲はこれにひっかかった。
かれはすぐ行動に移った。まず隠居している前藩主であり養父である重定に意見をきいた。重定は「すべてあなたに任せる」と告げた。重臣の味方をするだろうと思っていた治憲は安心した。つぎに大広間に全藩士を集めた。そしておクラにされていた改革案を読みあげ、
「七人の重臣はおまえたち全員がこの案に反対だといった。本当にそうか?」と確めた。はじめは発言をためらっていた藩士が、まず「そんなことはありません」と否定しさらに「その改革案はすばらしいと思います。ぜひ実行して下さい。お手伝いします」という声も上った。治憲の胸と瞼に熱いものがこみあげた。賛同の声は大広間にみちた。治憲はいった。
「新しい炎が燃えはじめた。おまえたちの胸の火ダネが火をつけたのだ。この火を藩民の胸に飛び火をさせよう。改革は民と共にすすめるのだ」。
アメリカ大統領のケネディは、大統領就任の時に、
「新しいタイマツに火は点けられた」
といった。そして、
「国民は国家が何をなすかではなく、国家に対して何をなせるかも考えてほしい」と告げた。権利の主張だけでなく義務の履行も求めたのだ。
治憲は改革推進中に、自分の実子でなく養父の子を世子(あとつぎ)に指名した。反乱を起した七人の重臣は、切腹二人、謹慎五人の罰を下した。大決断だった。しかしこの処断によって城内では、
「新しい殿様はなかなかやるぞ、勇気がある」という評判が立った。そしてその評判は、「新しい殿様の改革の目的は、あくまでも民の幸福のためだ。われわれ城の武士のためではない。ここのところをよく認識する必要がある」というように変っていった。
治憲は三十五歳の時に隠居する。この時、
「伝国の辞(国を伝えることば)」
として、世子の治広につぎのように告げている(意訳)。
「藩民は藩主や藩士のために存在するのではない。藩民のために藩主や藩士が存在するのだ」。〝主権在民〟だ。
この意識を育てたのが藩校興譲館(現山形県立興譲館高校)だ。〝譲るという徳を興す学校〟という意味だろうか。古代中国の「大学」という本が主張するテーマだ。校名は細井平洲の命名だ。「大学」は少年のころの二宮金次郎(尊徳)が薪を背負って歩きながら読んだ本だ。
治憲の「伝国の辞」をJAにあてはめるなら、
「JAは組合員のためにある」
ということになろうか。いずれにしても改革はいつでも「物理的な壁・仕組みの壁・意識の壁」の三つの壁への挑戦だ。意識の壁への挑戦がいつの時代でも一番むずかしい。
(挿絵)大和坂 和可
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