【酒井惇一・昔の農村・今の世の中】第17回 貶められていた農民2018年8月30日
長塚節(たかし)、この名前をご存じだろうか。私たちの世代はほとんど知っていたものだが、若い方にはわからないと思うので若干説明させていただきたい。
彼は茨城県の自作地主の農家の跡取りで、農民文学のさきがけといわれる小説『土』の作者として、さらに歌人(新しい短歌の創出者の一人)としても高名であった。そして『土』は当時の農村のありのままを写実的に描き出した作品として評価されたものだった。
その本の刊行にさいして寄せた夏目漱石の序文の一部、実はこれを問題としたいのだが、まずは読んでもらいたい。
「『土』の中に出て來る人物は、最も貧しい百姓である。教育もなければ品格もなければ、たゞ土の上に生み付けられて、土と共に生長した蛆同樣に憐れな百姓の生活である。......(中略)......彼等の獸類に近き、恐るべく困憊を極めた生活状態を、一から十迄誠實に此『土』の中に收め盡したのである。彼等の下卑で、淺薄で、迷信が強くて、無邪氣で、狡猾で、無欲で、強欲で、殆んど余等(今の文壇の作家を悉く含む)の想像にさへ上りがたい所を、ありありと眼に映るやうに描寫したのが『土』である」(原文のまま)
もう一つ、明治末から昭和初期にかけて活躍した劇作家真山青果の書いた『南小泉村』、明治末の仙台市近郊の村を描いたものだが、その最初に出てくる次の文を読んでもらいたい。
「百姓ほどみじめなものは無い、取分け奥州の小百姓はそれが酷い、襤褸を着て糅飯を食って、子どもばかり産んで居る。丁度、その壁土のやうに泥黒い、汚い、光ない生涯を送って居る。地を這う爬蟲の一生、塵埃を嘗めて生きて居るのにも譬ふれば譬へられる。からだは立って歩いても、心は多く地を這って居る。親切に思遣ると氣の毒になるが、趣味に同情は無い、僕はその湿氣臭い、鈍い、そしてみじめな生活を見るたびに、毎も、醜いものを憎むと云ふ、ある不快と嫌悪とを心に覚える。実際、かれらの中には『生まれざりしならば』却って幸福であったらうと思われるものがある。......(中略)......醜い、醜い、百姓の生涯はその醜い生涯だ」(原文のまま)
この二人の文に書かれてい農民の姿、言うまでもでもないが、すべてそんなものではない。
もちろんそう思われてもやむをえない一面もあった。しかし、だれも好き好んでそんなみじめな暮らしをしているわけではない。となると、なぜそんな暮らしをさせられているのか、人間としての尊厳を保つために最低限必要な生活を維持する権利すら保証しない世の中はまちがっていないのか、こうしたことにこそ作家は迫るべきなのではなかろうか。
ところが、真山青果も夏目漱石も農民の姿の表面だけを先入観でもって見てその本質に迫らず、そもそも百姓は「蛆」虫や「爬蟲」類と同様の存在とまで言って農民の人間としての尊厳を傷つけ、否定する。
この二人の文は明治末に書かれたものだが、戦前の都会に住む支配階層、高所得層のほとんどは農民、農業に関してこの程度の見方しかしていなかったのではなかろうか。そしてそれがいわゆる都会人の農民、農業に対する見方、考え方になっていたのではなかろうか。だから二人を責めるわけにはいかないのかもしれない。しかし私には許せなかった。これが文学者といえるのか、人間といえるのかと。若いころ好きだったのだが、これを読んでから嫌いになってしまった。
そうは言ってもこれが生存権など人権思想を知らない当時の知識人なるものの限界だったのだろう、と言われればそうかもしれない。しかし、それにしても同じ人間としてこうした状態を何とかできないかと考えようとしない、思いやりのひとかけらも認められない、「食料」を生産する人々に対する感謝の念などひとかけらもなく、農民というものはそもそも貧しくて汚い醜いものという職業差別意識を持ち、それに何の疑問ももたない彼らがいまだに許せないのである。
大正デモクラシー、米騒動などを経て、そして昭和初期の労働・小作争議等々で、労働者や農民などの「下層」と言われてきた階層に対する見方は少しずつ変わってきつつはあったが、私の子どものころ、昭和の年代に入ったころの農家の生活はまだまだ苦しく、農民はどん百姓、貧乏百姓、だらくみ百姓、鈍重で言葉の汚い文化水準の低い田舎者などと貶められていたのである。
(注)
1.ここであげた『土』と『南小泉村』をもしもお読みになりたい方があれば、本を手に入れるのが大変なので、下記をインターネットで検索してお読みいただきたい。
・青空文庫:長塚節「土」
・国立国会図書館デジタルコレクション:「南小泉村」
2.長塚節について詳しく書いたものに藤沢周平『白き瓶』(文春文庫、1988年)があるので参照されたい。
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