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【酒井惇一・昔の農村・今の世の中】第37回 新年には「不適切」な話?2019年1月24日

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【酒井惇一(東北大学名誉教授)】

 最近気になる言葉に政府関係者がよく使う「不適切」という言葉がある。
 もちろんこの言葉は近年使われるようになってはいた。辞典によると不適切とは「その場の状況や話題となっている事柄に対する配慮を欠いていること。また、そのさま」、「取り扱いや対処の仕方がまずかったりふさわしくなかったりする・こと(さま)」を言うのだそうだが、よく政府与党の代議士が「不適切な発言」をした、申し訳ないと謝るようになったからである。しかし、その発言は配慮を欠いているどころか意図的に傷つける発言である場合が多く、だからかつては暴言=「他人を傷つける意図で言い放つ乱暴な言葉」、もしくは失言=「言うべきでないことをうっかり言ってしまうこと」として批判され、政治生命を失った例がいくつかあった。だから、それにかわって少々やわらかい「不適切な(=ふさわしくない)発言」という言葉に置き換えるようになったのだろう。これでは不適切という言葉もかわいそうだと思うのだが。
 そう思っていたところ、昨年は思わぬところで「不適切」という言葉が使われた。

 国会における「裁量労働制」の審議において提示された調査資料に「不適切なデータ」が多数あったと厚生労働省が陳謝したのである。しかし、そのデータはねつ造・改竄までされたきわめて杜撰なデータ、でたらめなデータだった。でも政府は「不適切」という言葉を使い続けた。
 それだけでは終わらなかった。今年に入ったら勤労統計における「不適切な手法による調査」が問題となった。しかしその内実は「配慮を欠いている、ふさわしくない調査手法」どころではなく、『間引き調査』、『手抜き調査』、『不正調査』というのが正しい。それよりも法令に違反しているから『違法調査』、加えて反社会的であることから「不法調査」と呼ぶべきかもしれない。にもかかわらず、ここでも「不適切」という言葉を使う。国民の印象を何とか和らげようということなのだろうが、これでは「不適切」と言う言葉がかわいそうだ。不正とか手抜きとかの意味を勝手に付け加えられては大迷惑だ。
 と憤慨していたら、先週末から新聞では「不適切」という言葉が使われておらず、「不正調査」という言葉を使うようになった。新聞の側が事実に即してそう言い直したのか、政府が自ら正確な表現を使うことにしたのかよくわからないが、これでお役御免となった「不適切」は喜んでいることだろう(と思ったらその夜のNHKテレビのニュースは相変わらず政府の言う通り真面目に「不適切」を使っていたが)。

 ある言葉にその本来の意味とは違う内容を持たせて使って事の本質をごまかすことを現政権は一貫してやってきた。
 たとえば『粛々と進める』がある。粛々は「鞭声粛々夜河を渡る」で有名なように「しずかなさま、ひっそりとしているさま」を表すのだが、現政権は『何を言われようとも蛙の面に小便で耳を傾けず、また何も言わず、問答無用で強行する』という意味で使っている。その他例をあげればきりがないが、そのうちのいくつかをみてみよう。
 『丁寧に説明する』=『的を外して同じことを繰り返し繰り返しおしゃべりする』
 『しっかりと説明する』=『うまくごまかせるようにしゃぺる』
 『緊張感をもって対処する』=『緊張して対処しているように感じさせる』
 『スピード感を持ってやる』=『スピードがあるという感じを持たせるようにやる』
 『書き換え』=『改竄』、『捏造』
 『怪文書』=『隠しておきたい本物の文書』
 『記憶にありません』=『記憶にはありますが、言えません』

 こうした「政治屋語」は今に始まったことではない。たとえば国会等での政治家や官僚の答弁で「善処します」とか「前向きに考えます」とかがかつてよく使われた。これはもう有名な言葉であり、その意味は「何もしません」、「現状維持でいきます」ということ、それを身も蓋もないような言葉を使わないで、責任の所在をはっきりしないようにして述べているだけ、本来の意味とまったく違って使ってきた。
 しかし、最近の「政治屋語」(「アベオトモダチ語」とでもいうべきか)、これは「誤用」、「誤解釈」どころか、国民を愚弄し、だますものでしかなく、どうしても許せない。
 このような政治家による日本語の間違った使い方というか、新解釈というか、新造語というべきなのか、またそれを日本語の乱れと言っていいのかわからないが、いずれにせよ小学校での英語教育よりも何よりも政治屋・高級官僚に対する日本語教育こそ必要なのではなかろうか。

 わが国の農林水産統計をはじめとするさまざまな統計がいかに緻密であり、正確であるか、よく外国の研究者から称賛されたものだった。統計の担当者は手書き・そろばんの時代から地道にそれを継続してきた。それは国や自治体の施策の基礎としてばかりでなく、あらゆる分野で利活用されてきた。私も約半世紀それを基礎に研究教育してきた。
 でも、今すぐ役に立つものではない、目立たないことから統計部門は人員削減の対象にされてきた。こうしたことも一因になっているのかもしれないが、政治によって統計が捻じ曲げられるなどという異常な事態になっている。これは政治の堕落、危機としか言いようがない。

 新年には「不適切」な話だったかもしれないが、そんな話をしなければならない状況から脱却する年に今年をしたいものだ。

 

そのほか、本コラムの記事一覧は下記リンクよりご覧下さい。

酒井惇一(東北大学名誉教授)のコラム【昔の農村・今の世の中】

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