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【坂本進一郎・ムラの角から】第6回 風前の灯火(断末魔)の家族農業2019年4月25日

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【坂本進一郎】

 今家族農業は、このままいけば潰れる断末魔にきた。この断末摩を暗示する話が柳田国男の文章にある。ある旧家が没落し、そこのおばあさんが唯一の財産になった位牌を風呂敷に包み転々と渡り歩いた。ところがある家で敷居につまずいてひっくり返り、風呂敷包を放り投げてしまった。その瞬間位牌はバラバラに飛び散った。今家族農業はまかり間違えば、飛び散る運命にある。

 家族農業はなぜ断末魔を迎えることになったのか、その原因をスポット的に拾い、原因を探ってみたい。なお、日本では農業問題を論ずるとき、「農民』問題と言わずに、農業問題と呼称している。農民問題と言った方が直接語り掛けられているようで、身近に感じられるであろう。ただしここでは日本の慣例に従って、「農業問題」としておく。

  

◆1、どうしても避けられない問題?――農工間格差

 19世紀後半、後進資本主義国から農業と工業の経済法則は違うのでないかという疑問が出された。これに対して回答を出したのはレーニンであった。レーニンは1915年論文で農工間不均等発展の法則を発表した。独占資本主義段階では不均等発展は激しくなることも明らかにした(桜井豊『経済再構成と農業基礎論』1977年)。国民経済を運営している限り不均等発展はまぬかれないのである。
 ではどうすればいいのか。スターリンも1958年11月の社会主義講和で「ソ連は重工業・軽工業・農業の問題で、軽工業・農業を重視せず、結局片足で歩き損をした」と反省している。資本主義国では不均等部分は「戸別所得補償」等によっておぎなわれている。しかし、日本だけはこの制度を持っていないのである。日本の農政は冷たいといへる。

  

◆2、家族農業の前に横たわる農政の障害

(1)低米価・低労賃
 1947年7月政府は新物価体系を発表した。それによると物価は戦前の65倍、労賃を27倍にした。これでは農民は体制的に収奪を受けることになる(近藤康男『高度経済成長と農業問題』)。なぜこのような理不尽が起こるのか。今年(2019年)の春メーカーは食品類を軒並み値上げしたが、コメだけは据え置かれた。コメは毎日食べるもので、コメも労働者のコストになる。それ故安いに越したことはない。そのため資本家側は「低米価・低賃金」を押し付けている。つまり農民は低賃金のプールとされ工業の踏み台・犠牲にされたのである(「あァ野麦峠参照」)。

(2)追いつけ追いこせ
 明治維新は歪んでいた。なぜゆがんだのか。改革のスピードが速すぎたためである。新時代つくりは大久保利通と西郷隆盛の二大巨頭を中心に展開した。西郷は古いもの(封建時代)を壊すのは上手であったが、新しいもの(新しい時代)を組み立てるのは、大久保の方が上手であった。そこで二人の間に溝ができていったのであろう。通常、征韓論争で意見が食い違い仲たがいしたように言われているが、征韓論争を行う頃には溝が出来上がっていたように思われる。「両雄並び立たず」なのである。西郷はこの後下野して西南戦争へと向かっていくのである。しかし私にとって残念なのは、農民に理解のあった西郷に天下を取ってもらいたかったことである。そして、追いつけ追い越せ病も少しは緩和されたことであろう。
 
(3)食料自給の放棄はMSAから
 食糧自給の放棄はMSA協定から始まった。MSAを言い出したのはアメリカである。日本の再軍備を執拗に要求し日本は渋っていると、ドルがないなら小麦を買ったことにして日本円を日銀に積み立てよ。積立金の八割はアメリカ軍の整備費に使い残り二割は日本の再軍備費用に充てよというものであった。この年(1954年)小麦を61万t、大麦11万2000t輸入。輸入量はコメ消費の5%。代金5000万円は日銀に積み立て。そのうち8割は米軍の軍備費に回され、残り2割は日本の軍需産業育成費に回された。キッチンカーの粉食(小麦)宣伝と相まって日本の農村から麦が消えた。
 こんなに輸入すると自給自足のため頑張るのは面倒になり、お金があるなら輸入した方がいいと思うようになる。これはアメリカにとって押売りの成功であり、日本にとってマーチャント国家の始まりである(大谷省三『日本農政の基調』農文協1973.12)。

(4)食管潰しの一里塚
 自主流通米(1969年)は政府を通さないで自由に販売できるので、食管潰しに穴をあけたことになる。長いスパンで見ると、食管潰しの大きなカウンターパンチになったと言えそうだ。

(5)「自然死」から「絞殺死」へ
中曽根臨調の有力メンバーである元日銀総裁前川氏の作成した「前川リポート」を中曽根は、日本で発表する前に、レーガンに恭しく提出。前川リポートの趣旨は、スクラップアンドビルトで農業のビルトはしない。スクラップはする。要するに今までの「自然死」から「絞殺死」へとスタンスを変えたのである。そこで農民の間では、農民殺しの葬儀委員長と揶揄された。

(6)翻身を呼びかける
そこで私は翻身(ほんしん)を呼びかけた。翻身とは悪政に対して立ち上がることを意
味する。しかし農民は怒らない。「政治(食管制度)は遠い話だ。俺らはおまんまを食
えさえすればいいのだ」と言って現状への眠り込みを決めこんでいる。結局アメリカの
食料の傘の中に入ることで工業化の道をまい進し、その結果、「農なし」の「無農国」
になってしまった。基礎産業(農業)の弱い国は危なっかしい。これが結論だ。

 

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