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【童門冬二・小説 決断の時―歴史に学ぶ―】勝海舟の心残り2020年1月18日

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【童門冬二(歴史作家)】

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◆ボディガードは"人斬り以蔵"

 明治になってからも、勝海舟のところにはジャーナリストがよく訪ねて来た。そして、幕末から維新にかけて勝が関わりを持った大きな事件や、あるいは関わりを持たなくても大事件を勝がどう見ていたかなどを取材した。勝はジャーナリストによく語った。それが「氷川清話」としてまとめられている。ほとんどの大事件を勝は一流のハッタリで、
「あれもこれも俺がやった」と気炎を上げている。たしかに、かれは最後の江戸開城については、゛焦土作戦゛を念頭に置きながら大ばくちを打った。東征軍(江戸攻撃軍)の参謀だった西郷隆盛と丁々発止の対話を行っている。この時かれは、新門辰五郎や清水次郎長のような博打打や、あるいは吉原の女性たち、江戸湾の船頭たちを集め、自分の焼き払い計画を示した。無理無体な東征軍が、江戸に乱暴をする様なときは、自らの手で江戸の町を焼いてしまう決意を示したのである。消防夫も動員されていたからみんな笑った。
「火消のわれわれが、今度は火をつけるんですかい」勝は大きく頷いた。しかし、西郷との対話が成功して江戸は無事焼かれずに済んだ。しかしこれも裏があって、実際の講和交渉は幕府の旗本で剣術の達人だった山岡鉄太郎(鉄舟)が、幕府の"アヒルの水掻き"゛として、駿府(静岡市)にいた西郷のところに馬を走らせ、下交渉でほとんどの条件をまとめている。勝と西郷の対話はその意味では、
「締めくくりの大芝居」と言ってもいいだろう。

 勝は新政府からも呼ばれて、海軍卿などを務めているが、たった一つ心残りがあった。それは土佐の"人斬り"と呼ばれた岡田以蔵のことだ。弟子であった坂本龍馬に頼まれて、
「以蔵の教育をお願いいたします。剣の達人ですから、用心棒としても役に立つでしょう」と言われ、そのように扱った。この頃の勝は京都で活躍していたが、
「勝は開国論者だ」と言われて、命を狙う者が沢山いた。

◆悲しい以蔵の最期

 そこで坂本龍馬は、剣の達人である岡田以蔵をボディガードつけたのだ。しかし龍馬には考えがあった。以蔵は土佐の足軽で、思想家である武市半平太が「土佐勤王党」を組織した時に、真先に加わっている。以蔵は半平太を尊敬していた。しかし残念なことに系統的な学問を学んでいないので、インテリである勤王党の連中からは馬鹿にされていた。以蔵は劣等感を抱き、独りもがき苦しんでいた。それを見た龍馬が、
(勝先生なら、以蔵の悩みをよく聞き、そして歩むべき道を教えてくれるだろう)と思ったのだ。しかし以蔵は、天下の勝先生のボディガードになったことだけを誇り、勝の話にはあまり耳を傾けなかった。それに以蔵は武市半平太と同じような尊王攘夷論者だから、開国者だとレッテルを貼られた勝にあまり好感を持っていなかった。
 ある日、勝を護衛して京都の町を歩いていると、突然数人の刺客がバラバラと躍り出て勝を囲んだ。そして、
「開国論者の勝だな」
 と確認すると、いきなり斬りかかってきた。勝も本当は剣の達人だ。しかしかれは、
「絶対に人は斬らない」
 という心情を持ち、貫いていたから刀は抜かなかった。そこで、護衛役である岡田以蔵が正面に立ち、
「勝先生に無礼をするな!」
 とうめくように言うと、抜く手も見せずに抜刀し、二人ばかり斬り捨てた。刺客たちは驚いて目と目で語り合い、
「今日だけだと思うな。またの日に会おう」
 と捨て台詞を残して逃げ去った。さすがの勝も、多少心が揺らいでいた。しかし負け惜しみの強い彼は、以蔵に、
「めったやたらに人を斬るものではない」
 と忠告した。以蔵は憤慨した。無知なかれはたちまち思ったことを口にした。
「先生、そんなことを言ってもわしが居なかったら殺されていたんですよ」
 この抗議にはさすがに勝も言い返せなかった。そのまま後の言葉を続けずに歩きはじめた。後ろから従って行きながら、以蔵は腹の中で憤懣を無言で勝に叩きつけていた。
「せっかく、助けてやったのに礼も言わずに、逆に小言を言うとは何事か! この先生は、もう見限ろう」
 もともと気に染まなかった護衛役なので、以蔵はその夜行方も言わずに姿を消した。
 事件後、しばらく経って勝は土佐の隠居山内容堂が、土佐勤皇党を大弾圧したことを知った。最高のリーダー武市半平太も捕らわれ切腹させられた。そして以蔵も捕らわれた。しかし以蔵は、足軽であり格が下なので、土佐の嶽内では相当酷い目に遭わされた。そのころの以蔵は、京都では゛人斬り゛として名を馳せていたが、土佐藩にはそんな名は通用しない。土佐藩は、以蔵を、
「無宿の極道者」
 というレッテルを貼って、磔獄門にしてしまった。
 噂を聞いた海舟は心を痛めた。そして、龍馬がなぜ以蔵を自分に預けたのかを改めて考えた。龍馬はおそらく勝の人間性を信じ、
(以蔵のような、無知で剣一筋に生きた者に対しても感化を及ぼしてくれるだろう)
 と信じ、自分に預けたに違いない。勝は、
(龍馬は心の優しい男だった。わしに以蔵を預けたのも、わしが親身になって以蔵の悩みを聞き、歩むべき道を示してくれると信じていたのだ。以蔵だけでなく、龍馬に対しても済まないことをした)
 海舟は、心の一隅に常に以蔵のことを頭に置いて、思い出す度に自分を責めた。

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童門冬二(歴史作家)のコラム【小説 決断の時―歴史に学ぶ―】

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