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ガネマサどんの改革実験 堀平太左衛門【童門冬二・小説 決断の時―歴史に学ぶ―】2020年7月20日

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江戸時代唯一の手本大名

江戸時代の幕府による名改革が三つあった。その一つである「寛政の改革」の推進者は白河楽翁と呼ばれた白河(福島県)藩主松平定信だ。定信は老中首座(今の総理大臣)になると、改革に手を着けた。その時彼は、
「日本中の大名の模範になるような名君の表彰」を思い立った。彼が尊敬し、その事跡を尊敬していた大名に、肥後熊本藩主細川重賢がいる。しかし重賢は辞退した。そして、
「代わりに、出羽米沢藩主上杉治憲(鷹山)を推薦します」といって引き下がった。こうして、徳川時代初めて大名が幕府によって表彰されるという事件が起こった。興味深いことに、推薦された上杉治憲も細川重賢を尊敬していた。重賢の藩改革が、「民を重んずる」という愛民精神に貫かれていたからである。しかし、重賢の改革は彼が一人でやったわけではない。強力な推進者がいた。堀平太左衛門だ。まだ三十六歳の壮年の武士だったが、普段から正義を貫くことで有名で、曲がったことが大嫌いだった。更にかれの身体つきが蟹に似ていた。そのために、熊本地方の方言であるガネマサどん(蟹のこと)とあだ名が付けられた。もっと人の悪い奴は、
「ガネマサどんの横びゃァびゃァ(横歩き)」と言ってからかった。しかし重賢はこのガネマサどんこと堀平太左衛門を改革の総責任者(大奉行)に任命した。たちまち反対が起った。そして重賢に、
「堀には、三つ非行がございます」とチクった。重賢は笑った。
「おまえたちが知っているのは三つか。堀にはさらに五つ欠点がある」
 と言って、すでに調べ上げていた平太左衛門の非行を五つ上げた。反対した家臣たちはびっくりした。そして、
(この殿様にはとてもかなわない)と思い、自分たちの主張を引っ込めた。

自分の身体を実験台に

栄えある藩の改革の総責任者に任命されて、堀は感激した。そして日頃から考えていた自分の改革案を重賢に献じた。その案の大枝は二つあって、
・ 一つは、城内の下級武士たちの意見をよく聞く事
・ 二つ目は、藩の名産品をもっと農民に振興させて、収入増を図る事
・ なお、現在城に勤める武士の給与が全て半額支給になっているのを是正すること。しかし、そのやり方も下級武士の給与から是正していただきたいというものだった。重賢は聞いて、
「わかった。おまえの言う通りにしよう」と頷いた。重賢は、全藩士を大広間に集め、こう告げた。
「下級の者で、藩の改革に考えのある者はわしに直接その計画書を出すように。しかし、直属の上司には、こういう訳で殿様に意見書を出しますということは報告しておけ。内容は封をして見せなくてもよい」
 大広間の下級武士たちはどよめいた。しかし、それは長年胸に溜っていた物を、重賢が解放してくれたという喜びの声だった。重賢は堀と約束したように、
「いま、藩がお前たちから借りている給与を元に戻す。但し、下級武士から是正する。中位上の者は暫く耐えてくれるように」
 と宣言した。これもまた、大広間の武士たちをどよめかせた。下級武士は喜んだ。しかし、中位上の管理職や重役は眉を寄せてしかめ面をした。しかし重賢は押し切った。
 思い切った改革の実行責任者に任命された堀平太左衛門は、自分の家の庭に田を作った。部下が、
「田を作ってどうなさるのですか」と訊くと、
「米を作る農民の苦労を知るためだ。また、どれだけ作れるかによって、年貢の公正を期したい」と答えた。部下は呆れて仲間と目を見合わせた。
 堀は、ある日部下を呼んで酒を飲ませた。喜んで飲んだ部下はやがて酔っぱらった。すると堀は命じた。
「これで、俺の背中を打て」そして上半身衣類を脱いだ。部下はびっくりした。
「なぜ、そんなことをなさるのですか?」
「今熊本藩の刑罰は、死刑と追放しかない。いずれも、熊本の人口を減らす罰ばかりだ。だから、俺は杖刑を加える。鞭で打って罪を罰する方法だ。それなら、傷が治ればそのまま熊本に居られる。人口減にはならない」
 部下はなるほどと思った。堀はそれを部下に自分の体を打たせて、どれくらいの痛さまでなら我慢できるかを実験するつもりなのだ。部下はためらった。堀は言った。
「何をためらうのだ? そのために酒を飲ませたのだ。まだ足りなくて、酔いが回らぬか。そうであるならもっと飲め」
 部下は恐縮した。
「いえ、十分に酔いました。では打たせていただきます」と言って、棒を振って堀の背中を打った。堀は、
「生ぬるい。もっと強く打て!」と叱った。堀が我慢できなくなるまで打ち続けて、部下はへたへたに疲れた。しかし自分の体で、新しく設ける杖刑を実験する堀の気組みには感動した。
この堀の献身的な努力が世に細川重賢の名を高めさせた。重賢は、「江戸時代、稀にみる名君だ」と評判を高めて行った。

 

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童門冬二(歴史作家)のコラム【小説 決断の時―歴史に学ぶ―】

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