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調査報道の先駆け立花隆逝く 蔵書10万冊と文春ジャーナリズム【記者 透視眼】2021年6月25日

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調査報道の先駆けで、田中角栄の金脈問題追及など権力を暴く数々の記事を書いた立花隆が逝く。享年80。立花の思い出は、筆者の記者駆け出しのころの40年前の著書『農協 巨大な挑戦』の調査報道の軌跡だ。

調査報道の先駆け立花隆逝く

何より〈質問力〉重視

立花が何より大切にしたのは〈質問力〉だ。
博覧強記の彼は、さまざまな事象でコメントを求められた。記者が「○×についてうかがいたい」と聞くと、「どうぞ」と一言。具体的に問わなければ応じようがないという訳だ。

40年前の名著『農協 巨大な挑戦』

農協は、昔も今もジャーナリストにとって関心事の一つだ。世界に冠たる巨大な組織でありながら、その実像はつかまえきれない。これまでも農協=守旧派などステレオタイプの報道が目立つのは、実態をよく把握できないのと、取材不足による記者側の怠慢でもある。

一知半解な農協報道は、安倍長期政権下の2010年代の一連の農協改革論議でも横行した。結果、JA全中は農協法から外れ一般社団法人となり、中野吉実JA全農会長vs小泉進次郎自民農林部会長(いずれも当時)を巡って守旧派と改革派の対立の図式で描かれたことは記憶に新しい。

「農業は奥行きが深い」

だが、先の立花は『農協 巨大な挑戦』で、生産現場に出向き先入観を棄てデータに基づいた徹底した実証記事を心がけた。週刊「ダイヤモンド」の一連の農協特集などとは真逆の姿勢と言っていい。

立花は農協、そして背景にある農業を探るにつれ「あまりに間口が広く、奥行きが深い」のに驚いたという。先の『農協』は、農業界で反響を呼んだ「週刊朝日」の連載記事をまとめ著書にした。

その第1回目は「農民の夢を実現した日本一豊かな北海道・士幌農協の馬鈴薯コンビナート」。同農協は、大手乳業に抗して建設した農協系の北海道農協乳業(現よつ葉乳業)の中核メンバー。立志伝中の人物でホクレン会長、全農会長を務めた太田寛一を輩出した。核心を突く立花の嗅覚を裏付ける。

「知の巨人」に違和感

立花の逝去を伝える24日付の各紙朝刊は「知の巨人」と形容した。だが、違和感を持つ。

文系のみならず理系、宇宙、医学まで幅広く取材した。

東大仏文卒後に同大哲学科でも学ぶ知能は確かに頭抜けたものがあるだろうが、決して研究者でも学者でもない。果たして「知の巨人」で言えるだろうか。むしろ人並み外れた好奇心旺盛な知識・文化人だった。就職はNHKと岩波書店を落ち、文藝春秋に入り「文春」記者となる。

本名は橘隆志。同じ〈たちばな・たかし〉と読むのになぜペンネームを立花隆にしたのか。文春退社後、フリーライターとして執筆した時に使い始めた。たぶん本名の痕跡を残しつつ別人になりたかったのだろう。その気持ちは、ジャーナリストならよく分かる。

立花を著名ライターとしたのは角栄金権政治の追及だ。発端は1974年文藝春秋11月号「田中角栄研究-その金脈と人脈」なのは言うまでもない。金脈や人脈を図解入り、領収書などもつけ裏付けを取り詳細にレポートした。米国の大統領を追い詰めたウオーターゲート事件報道にならい、日本におけるインベストレポーティング・調査報道の走りだ。今も続く権力糾弾の文春ジャーナリズムにもつながっていく。

右も左もバッサリ

筆者にとって、1980年前後の学生時代に読んだ立花記事は強烈だ。右も攻撃するが左にも容赦ない。ジャーナリストの真価はバランス感覚に尽きる。立花はそれを実践できた数少ない書き手だ。

記者として権力寄りはみっともないが、左への肩入れは一方的な薄っぺらな記事になりがちだ。「右は頭が悪い。左は頭がおかしい」との名言も、うなずく点も多い。

「中核vs革マル」「日本共産党の研究」は左翼の暗部、恥部をさらけ出した。当時、新左翼や共産党シンパの連中が、「あれは権力側が情報提供している」などと指摘したが、負の歴史を直視しなければ共感は得られない。

立花の左翼への複雑な感情は生い立ちに由来するのかもしれない。1959年に都立上野高校から東大へ。60年安保闘争は都立の名門校高校も巻き込み、国会デモでは1960年6月15日、東大女学生・樺美智子が犠牲となる。学生運動が「前衛」とは一線を画し別の道を歩み始める時期だ。

読み手の達人

日本の調査報道の元祖・立花のルポ、レポートは今読んでも核心に迫る迫力を持つ。それを裏付けるのが膨大な読書量と知的好奇心だ。
今でも時折ページを開く立花の著書『ぼくはこんな本を読んできた』(文藝春秋)。その中に彼の読書論が綴られる。黒猫のイラストがある仕事場の通称「猫ビル」には蔵書数10万冊。「知の旅は終わらない。僕が3万冊を読み、100冊を書いて考えてきたこと」などと語った。記者の〈透視眼〉からのぞけば、今こそ「調査報道」の大切さが見える。

(K)

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