NHK『農民兵士の声が聞こえる』のこと【酒井惇一・昔の農村・今の世の中】第164回2021年9月23日
前回岩手県和賀町(現・北上市)の開田について話をさせてもらったが、ちょっとここで脱線させてもらいたい。和賀町のことでもう一つどうしても語らせていただきたいことを思い出したからである。

また古い話になるのだが、1982(昭57)年秋、農業関連のテレビ番組作成で知り合ったNHKのディレクターOTさんから、『農民兵士の声が聞こえる』という自分が担当した特集番組が放映されるので見てくれという電話が入った。その番組の予告宣伝を見て前々から見ようと思ってもいたので、もちろん見させてもらった。
これは、戦争に取られた岩手県和賀町の青年たちがあるお宅に送った7,000通もの軍事郵便(軍隊、軍人などから発送された郵便物)が残っており、その内容を紹介するというものだった。軍隊の検閲を通ったものしか来ないし、文章はみんな短いのだが、その手紙のなかには家族や農作業の心配などが切々と書かれてあった。
たまたまその画面のなかに私の知りあいの篤農家Iさんが出てきた。戦死したお兄さんの手紙がそのなかにあったのである。そのとき、Iさんが次男で、戦死したお兄さんに替わって家を継いだことを初めて知った。
ディレクターのOTさんは、青々と続く田んぼの畦にIさんを座らせ、そこでお兄さんの手紙を読ませた。よその家に送った手紙だからもちろんIさんは読んだことはなく、初めて見たものだった。その手紙は俳優が読み上げたが、すべて、今ごろ忙しいのではないか、家の農作業は大丈夫だろうか、みんな元気か等々、家族や農業、故郷を心配している気持ちが書かれていた。畦道でその手紙を読み終わった後、「ああ、こんな手紙が来ていたんですか」、そう言って彼は黙った。
カメラはそのままIさんを映し続けた。何秒過ぎたであろうか。突然Iさんが、くくっと声を出した。同時に涙が滂沱とほほを伝った。なかなか涙は止まらなかった。私ももらい泣きをしてしまった。少し落ち着いてから、戦争に行く前、兄と二人でこの地域の農業をどうするか、何度も夢を語り合った、この整理された田んぼを見てもわかるようにその夢の一部が達成された、いっしょにそれを見たかったのだが等々、涙をふきながら語った。
その場面で私は、一方では感動して涙を流しながら、他方でまったく別のことを考えていた。Iさんが手紙を読み終わった後、ディレクターのOTさんは手紙の感想はどうかとすぐに聞かなかったことである。黙って待った。その「間」、普通であればもたない。しかしディレクターは待った。それがあの涙を引き出し、感動的なシーンを生み出したのである。ものすごい演出である。さすがと思い、後でOTさんにそのことを言ったら、やはり待つのは辛い、しかも待ってうまくいくかどうか一種の賭けだ、だけど待つことも必要なんだなどと話してくれた。
農家の調査などに行くと、時間が限られているし、聞きたいことがたくさんあるのでついつい畳みかけて聞いてしまうことがある。いつもは相手に語らせようと気を付けているのだが、ついついそうなってしまう。これでは真実を明らかにすることはできない。これからさらに気をつけなければと痛感したものだった。
かなり後になってこのときのディレクターOTさん(もう転勤して仙台にはいなかった)にこの思い出を手紙に書いて送ったら、「実は」とこんな返事が返ってきた。
「あの時私は泣いていました。声が出なかったというのが本当のところです。カメラマンも泣いていました。こぼれる涙でファインダーが霞んだと言っていました。あの時の田んぼを渡る風の音、鳥の声まで含めて、今でもはっきりと覚えています」
農家の青年が遠く離れた戦地にあっても、苦しい状況にあっても、家族や農業をどれだけ思い、心配していたか、その気持ちが切々と胸を打つこの『農民兵士の声が聞こえる』という番組、そして戦争とはいかなるものかをこれまでになかった切り口でしみじみと訴えかけてくれたこの番組を、戦没学生の遺稿集『きけわだつみのこえ』とともに、若い人たちにぜひ見てもらいたいものだ。
真実を明らかにするのはもちろんのこと、それを伝えることも難しい。紙面の都合、時間の都合があるからなおのことだ。
もちろん、事実のすべてを伝えることが真実を伝えることには必ずしもならない。これは報道ばかりでなく、学術論文にもあてはまることである。事実を延々と書いてあるものがたまにあるが、これでは何を言いたいのかさっぱりわからず、読む気にもならない。読んでもらわなければ何にもならない。報道にしても、学術論文にしても、いかに真実を、本質をつかむか、そのために事実をいかに多く集めるか、その事実のなかから捨てるものをいかに選び出し、どの部分をいかに伝え、真実を明らかにしていくかが問題なのである。そして一部の事実をカットすることで、真実を伝えることができることもある。しかしその取捨選択はきわめて難しい。つまり客観的な公正な報道は非常に難しく、どうしても主観が入らざるを得ない。
ここに報道の難しさがある。
これを克服するためにマスコミ関係者はたえず次のことを考える必要があろう。まず自由と平和をまもる立場にたつこと、権力に対する批判の姿勢をもって弱者の立場にたつこと、世の大勢に対して疑問を提起していくことである。
しかしそうした姿勢をいまマスコミはとっているだろうか。たとえばNHKの報道に対して政府与党から強い圧力に対して闘うどころか自主規制し、さらに圧力の事実がなかったとまでいう。こうしたなかでずるずると世の中が変わっていく、そして気づいたときには大きな過ちを犯している、このような戦前を思い出させるような最近の動きに、胸を痛めている今日この頃である。
それはそれとして、このテレビ番組にも出た和賀町の雄大な田園風景、これには前回述べた湯田ダムの完成と開田が大きく関連しているのだが、次回はまた60年代の稲作生産力の上昇の話の続き、開田する余地のないつまり規模拡大の難しい地域で、10㌃当たりの収量をいかに高めて所得を増やしていくか、つまり多収技術の導入に力を注いだことについて話をさせていただこう。
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