内外と斗う決断と勇気 【童門冬二・小説決断の時―歴史に学ぶ―】2022年9月3日
大老に辞退を迫るエリート官僚
外敵と戦う時には必ず内部にも敵がいる。批判勢力だ。幕末における井伊直弼(いい・なおすけ)がそうだった。
当時の国際勢力は争って清(しん。中国)との交易を求め上海に押しかけていた。日本にもアメリカからペリーが特使としてやってきた。
時の老中首座阿部正弘(あべ・まさひろ。福山〈広島県〉藩主)は、まだ三十代だった。開明的な大名で、幕府内に「海防掛(後の外務省)」を設け、開明的な役人を集めた。これを国別に選び応待させた。
中でもアメリカ対応に選ばれた岩瀬忠震(いわせ・ただなり)は、エリート中のエリートとして名をひびかせ、本人もそのいきおいだった。
が、ペリーと交渉中に阿部が急死してしまった。岩瀬は暗たんとした。目前の仕事と将来のことを考えると、どうしてもそうなる。しかも後任は井伊直弼だという。さらに職位が老中より一段上の「大老」だという。井伊は保守派の筆頭で、現代(いま)なら古い和紙の帳簿に筆で字を書くタイプだ。コンピューター派の岩瀬などとはとても話は合わない。
「ダメだ」
岩瀬はペン(舶来物)を投げ捨てた。立ち上がった。
「どこへ行く?」同僚がきく。
「井伊様の所に行く」
「何をしに?」
「遠慮してもらう」
「何だって?」同僚は驚いて目を剥いた。
「何を遠慮してもらうのだ?」
「大老の職だ。何も知らない。そんな人に条約を結ぶ決断など下せない。かえって仕事の邪魔だ。辞退してもらう」
「おまえ、しかしそんなことをしたら」
とめる間もなく岩瀬はいきおいよく部屋から飛び出してしまった。この知らせはすぐ井伊の所にもたらされた。井伊はあわてなかった。
「そうか、岩瀬がくるか」ニヤリと笑った。
岩瀬がやってきた。
「入れ」
「はい」
入口近くに坐った岩瀬に井伊は訊いた。
「用は?」
「ご辞退願います」
「何を?」
「ご大老の職をでございます」
「云いにくいことをズケズケいう奴だな、なぜだ?」
「不適任だからでございます」
「このヤロー(井伊は俗語を使った)、さらにいいにくいことを。わしのどこが不適任だ?」
「外国のことは何もご存知ないからです」
「おまえは知っているのか?」
「井伊様より多少は」
「では訊く。アメリカのいまの人口は?」
大老の逆襲
この逆襲には岩瀬はビックリした。こうくるとは思わなかった。しかしかれは臆せずにスラスラと答えた。井伊が心にメモした数字とピタリと合っている。井伊は微笑んだ。
「さすがだ。では国土の面積は?」
これも答えはスラスラ。陸軍の数・海軍の数・戦車の数・軍艦の数、そして石油の国内生産量まで岩瀬はあざやかに答えた。井伊は大きくうなずいた。
「よろしい。これならアメリカはおまえに任せても大丈夫だ」
「おそれいりますが」岩瀬が口をはさんだ。
「何だ?」
「只今のご質問、井伊様はお答えをご存知でしたか?」
「知っている」「どのような方法で?」「手に入れたか、と申すのか」「はい」「通訳だ、ペリーとの」井伊はそのメモを見せた。岩瀬は目を見開いた。驚きの色が岩瀬の面上を走った。井伊が底力を持った重役であることをはじめて知ったからだ。その隙(すき)を狙って井伊は突入した。
「岩瀬」
「はい」
「ぺリーとは条約を結べ。かれらは今回は交易は目的ではない。清との交易が目的だ。日本は遠い航路の中継地だ。大統領はペリーにそう命じている」
「そんなことまで?」
「ああ、何でも知っている」
実をいえばこのことは秘密だった。
事実は井伊のいうとおりで、ペリーが求めたのは、
「鎖国を解いてほしい」
ということである。
アメリカから清は遠い。長い航海だ。途中で水・食料・燃料などが不足になる。これの補給。
それに乗員に病人・けが人が出た時の手当が船中では間に合わないことがある。
そのためにはやはり清との間に中継地がいるのだ。
それに正直いって、アメリカを含め当時の列強は、
「日本の生産品はロクな物はない」
とタカをくくっていた。ところが茶と生糸が清をこえる高級品であることをのちに知る。
いずれにしてもアメリカへの開国は二度あった。最初はペリー、二度目はハリスだ。
この日岩瀬は完全に井伊にやられた。井伊はエリート(内部の敵)と戦うために、通訳を使い、十分な準備をしていた。岩瀬は職務罷免、生涯の閉居。井伊が「そろそろ許そうか」と思ったころに、その井伊が殺されてしまった。
重要な記事
最新の記事
-
シンとんぼ(146)-改正食料・農業・農村基本法(32)-2025年6月14日
-
みどり戦略対策に向けたIPM防除の実践(63)【防除学習帖】第302回2025年6月14日
-
農薬の正しい使い方(36)【今さら聞けない営農情報】第302回2025年6月14日
-
群馬県の嬬恋村との国際交流(姉妹)都市ポンペイ市【イタリア通信】2025年6月14日
-
【特殊報】水稲に特定外来生物のナガエツルノゲイトウ 尾張地域のほ場で確認 愛知県2025年6月13日
-
【注意報】りんごに果樹カメムシ類 県内全域で多発のおそれ 岩手県2025年6月13日
-
SBS輸入 3万t 6月27日に前倒し入札2025年6月13日
-
米の転売 備蓄米以外もすべて規制 小泉農相 23日から2025年6月13日
-
46都道府県で販売 随意契約の備蓄米2025年6月13日
-
価格釣り上げや売り惜しみ、一切ない 木徳神糧が声明 小泉農相「利益500%」発言や米流通めぐる議論受け2025年6月13日
-
担い手への農地集積 61.5% 1.1ポイント増2025年6月13日
-
【鈴木宣弘:食料・農業問題 本質と裏側】生産者米価2万円との差額補填制度を急ぐべき2025年6月13日
-
井関農機 国内草刈り機市場を本格拡大、電動化も推進 農機は「密播」仕様追加の乗用田植え機「RPQ5」投入2025年6月13日
-
【JA人事】JA高岡(富山県)松田博成組合長を新任(5月24日)2025年6月13日
-
【JA人事】JAけねべつ(北海道)北村篤組合長を再任(6月1日)2025年6月13日
-
(439)国家と個人の『食』の決定権【三石誠司・グローバルとローカル:世界は今】2025年6月13日
-
「麦とろの日」でプレゼント 東京のららぽーと豊洲でイベントも実施 JA全農あおもり2025年6月13日
-
大学でサツイマイモ 創生大学と畑プロジェクト始動 JA全農福島2025年6月13日
-
JA農機の成約でプレゼントキャペーン JA全農長野2025年6月13日
-
第1回JA生活指導員研修会を開催 JA熊本中央会2025年6月13日