(379)「鉄筆」と「ガリ版」【三石誠司・グローバルとローカル:世界は今】2024年4月12日
時代の流れの中で急速に普及し、いつのまにか見なくなったものがあります。「ガリ版」ってご存じでしょうか。
堀井新治郎という人物がいた。現代日本人には余り知られていないかもしれない。1980年代以前に小中学校を卒業した人であれば、彼の仕事から毎日のように恩恵を受けていたはずだ。
堀井は1856(安政3)年生まれである。明治期の内務省、そして後に内務省から独立した農商務省で製茶の指導に携わるようになる。携帯やタブレットに資料を保存できる現代と異なり、巡回指導を実施する際に必要な資料は全て紙であった。その過程で堀井はどうしたら大量の資料の印刷が可能になるかという恐らくは同時代の多くの人々と同じ極めて現実的な課題に直面したようだ。
当時、米国ではエジソンが1875年に簡易的な跳ね上げ式印刷、1880年に製版の特許を取得している。印刷用原稿を書く際はどうしたか。鉄のペン、「鉄筆」を使う。細かい複数の溝が刻まれた金属版の上に原紙を置き、そこに「鉄筆」で文字を書き込む方式である。ここで原紙と書いたが、これは紙の加工工程で蝋(ろう)処理をした蝋原紙である。この原紙が開発されたのが1884年である。
一連の簡易印刷機セットは1887年、「エジソン=ミメオグラフ」という名称で販売されて爆発的に売れたという。その頃、先に堀井が直面したように、日本国内でも殖産興業の流れの中で大量の印刷を簡単に行うニーズが年々増加していたことは想像に難くない。
1893年、堀井はシカゴ万博を視察した。恐らくはこれらの印刷機とその可能性を自分の目で確認したのであろう。帰国後、わずかな期間で自らよく似た印刷機、謄写版(一般には「ガリ版」という名称の方が有名)を作り上げて販売を開始する。現代の感覚で言えば模倣だが、当時の日本としては社会のニーズを機敏に捉えた大成功例であろう。1895年には国内特許まで取得している。
ちなみに工業所有権を規定する国際条約であるパリ条約に日本が加盟するのは4年後の1899年である。歴史を細かく見ると、こうしたタイミングの絶妙さに思わず唸る時があるが、これもその一例であろう。
さて、堀井の会社謄写堂は後に堀井謄写堂となり1960~70年代までは謄写版メーカーとして長く国内で知られていた。半世紀以上にわたり謄写版は全国的に普及し続けたが、競合他社もいくつか出てきた中で、業界に衝撃を与えたのがコピー機の登場である。
余談になるが、筆者は子供の頃、自宅で両親が蝋原紙に鉄筆でさまざまな文書を書いていたことをよく覚えている。町内会などの名簿や、企業の資料など内容は様々であったが、鉄筆でカリカリと文字を書く音と蝋原紙の臭い、そして金属の溝があるため独特の角張った文字が印象に残っている。慣れない人が鉄筆で書くとすぐに蝋原紙にペン先を引っ掛け原紙を破る。何度か書かされたがよく原紙を無駄にしたものだ。そのような経験をした人は現代では少なくなっているのではないだろうか。
さて、1970年代以降コピー機が普及するにつれ、謄写版需要は激減した。その中でインクなどの印刷関連製品などにうまく業態転換した企業は生き残ったようだが、本家はなかなかうまく行かなかった。堀井謄写堂は1985年にはホリイ株式会社と名称を変更後、2002年には倒産したと伝えられている。Wikipediaの記述によれば、旧本社ビル(現在の神田中央通りビル)には「謄写版発祥の地」という記念プレートだけが残されているというが、筆者はまだ見たことがない。
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「ガリ版」はまだ教育現場では生き残っているのでしょうか?
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