「故郷」を後にする老人のつぶやき【酒井惇一・昔の農村・今の世の中】第330回2025年2月27日
「北に帰る」ことを主題にした歌には淋しく悲しいものが多い。戦前の歌で言えば『北帰行』がその典型例だ。
「窓は 夜露に濡れて
都 すでに遠のく
北へ 帰る旅人ひとり
涙 流れてやまず」(注1)
戦後で言うと、大ヒットした歌『津軽海峡冬景色』がある。
「上野発の夜行列車 降りた時から
青森駅は 雪の中
北へ帰る人の群れは 誰も無口で
海鳴りだけを きいている
私も一人 連絡船に乗り......以下省略......」(注2)
失意のうちに、あるいは失恋して北に帰るというのだが、これに対して東京以南の地域を背景として歌ったものにはそうした逃げて帰るというような歌は少ない(と思うのだが、検証はしていない)
そもそも南の人には東京に出てきて失意、失恋を体験する人が少ないのか、それとも北国の人には失意、失恋する人、傷つきやすい人が多いからなのだろうか、歌の世界の人が北国をそう理解しているだけなのか、よくわからないが、北は寒い、人が相対的に少ない、しだがって淋しい、悲しいという連想を抱きやすいということからなのだろうか。。
ともかく私たち東北で生まれ育った人間とくに若者を南に北に多く排出してきた。当然そうして出て行った人の中には失意のうちに故郷の北国に帰る者もおり、それを温かく迎え入れることもあったのだが。
北国生まれの私も家内も若くして故郷を後にした。しかし私たちは同じ北国に住んできた(7年間だけ北海道に住んだが、いうまでもなくここも北国だ)。そしてこのまま余生を送り、北国で命を全うするものと何の疑問も抱かずこれまで生きてきた。
ところが今回、その私たち夫婦が北国を去り、南の東京(と言っても郊外だが)に排出されることになってしまった。
こんなことは昨年の夏までは考えもしなかった。東北で生まれ育った私たち夫婦は東北に骨を埋めるものとばかり思ってきた。
それが何と「北帰行」どころか「南紀行」することになってしまったのである。
心の準備などまったくしてこなかった私たち、ただただおろおろするだけだった。
昨年末、東京郊外のある町に住む子どもや孫たちに言われて「介護施設付きマンション」なるところに行ってきた。6階建ての施設で、私たちが案内された部屋は最上階だった。この施設のなかではもっとも広い部屋だと言うが、居室二間に台所・風呂・トイレ、それにベランダということだった。
これでは狭い。今私が住んでいる家は敷地面積50坪(120㎡)、建坪25坪、二階建て、居室5、それに台所、トイレ2、風呂となっている。
こんな狭いマンションなるところに住めるかとも思うが、もはやこの年、客が来るわけでもなし、昔の農家のように家に人を招いて宴会をするなどということもないのだからこれでかまわない。
しかも階下には食堂があり、朝昼晩そこで食べることもできる(食べさせてもらったが、塩分控え目過ぎ、やわらかすぎで私の口には合わないが)。
でも、こんなところには入りたくない、家内はそう言う。しかも入居にともなってかかる費用もかなり高い。しかも狭い。
私もそう思う、娘たちも当然そう思っているのだが、部屋に入らない荷物は貸し物置を借りてそこに入れればいいという。便利だとか不便だとか贅沢は言っていられないのだ。現実はそんなものなのだ。お金は驚くほどかかるのだが、それは仙台の今住んでいる家屋敷と土地を売って、手に入れればいいとも言う。
ということで入所をする仮契約書にサインをすることになった、
ところが家内は、今の家から出るつもりなどまったくないものだから、仮契約書に私がサインしているなどとは考えもしなかったらしい。あんな狭いところに住みたくない、今の家に住んで余生を送りたい、それから毎日毎晩、家内の反対攻撃に悩まされることになった。
しかし、とうとう家内も施設入りに納得するようになった。
今年になって家内とともに生協に買い物に行ったとき、二人いっしょに転んでしまい、まわりの人に助け起こしてもらったことが連続して2回も起きてしまったのである。幸い怪我はしなかったが、こうしたことがこれからも起きて周囲の皆さんにご迷惑をおかけてしまう危険性がある。それもあって家内も決心したのだろう、あきらめたのだろう、ぶつぶつ不満は言うものの、やがて何も言わなくなり、引っ越しの準備に取り組み始めた。
こうしたてんやわんやの大騒ぎの末、この二月末、東京郊外の小さな町に引っ越すことになった。そして引っ越し荷物の整理、荷造りに精を出してきた。
問題は、貴重な書物(専門家にとってはだが)や農村調査の資料だ。そのうち私物化するより公的に利用してもらった方がいいと思う貴重な書籍は、大学の後輩や図書室に寄贈することにし、引き取りにきてもらった。
さらに大きな問題は私も家内も「断捨離」なることがなかなかできないことだ。物不足時代に『もったいない』精神で育ってきた私たち、捨てられないのだ。
思い出も残しておきたい、せめて私たちの死ぬまでは。
しかしもう限界だ。家に残した不要物はすべて始末してくれるという不動産屋さんにお願いし、飛ぶ鳥後を濁して、東北を、故郷を去ることにした。
そして今、東京郊外の老人ホームの6階に引っ越すべく荷物を運んでがらんとした2階の部屋でパソコンの前に座り、この原稿を送ろうとしている。
落ち着くまではかなり時間がかかるだろう、この年になって引っ越し、時代によって異なるが、いずれにせよ年寄りが生活していくということは大変なこと、これも宿命と思ってあきらめることにするしかあるまい。
ということで今わが家はてんやわんやの大騒ぎ中である。
(注)
1.作詞・作曲:宇田博、1941(昭16)年。
2.作詞:阿久悠、作曲:三木たかし、1976(昭51)年。
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