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【インタビュー】JA全青協 柿嶌洋一会長 農業の価値 仲間とともに伝えていく2022年2月24日

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第68回JA全国青年大会は「盟友よ大志を抱け-今より攻勢! 農業の未来へ」をテーマに開いた。大会を機に、柿嶌洋一会長に地域や農業への思いと盟友への呼びかけなどを聞いた。

柿嶌洋一会長

中山間地域で暮らす

住んでいるのは、長野県上田市の武石という地区です。エアコンの名前にもなっている霧が峰のある美ケ原のふもとで、冷涼な気候のひっそりとした山の中という感じです。

グーグルアースで見ると、こんなところで農業やってるのか、と自分でも思うかなり勾配のある谷のなかです。

私で四代目となり、明治生まれの曽祖父が本家から少ない農地を分けてもらい分家、自分たちの食料は作っていたでしょうが、当時、生計を立てたのは炭焼きだったと聞いています。

その後、祖父は畜産をはじめました。ブロイラーから初めて、肉牛、豚と全部やりました。より稼げるものへとシフトするためか、自分に合っていると考えたか、最終的には豚を選択しました。しかし、父の代になるとがらっと変わって施設園芸をはじめました。ハウスを建ててトマトを作ったり花きを栽培したりという農業になりました。祖父の代に鶏を飼っていたからか、父は鶏肉を見たくもないと今も言います。

当時、武石はトマトの一大産地で、武石の武をマルで囲んだマルタケ・トマトはブランドトマトでした。ところが、東北道が開通して物流が変わったとたんに衰退し、今はありません。農業も高速道などハード面の整備ですごく左右されるなと肌で感じました。それで父はトマトを止めて花を育てるようになりました。

では、自分が何をしているかといえば、まったく施設園芸はせず、土地利用型農業をやっています。ですから、何農家なんですか? と聞かれると、うーんとなってしまいます。条件のよくない中山間地域ですから、時代に対応して農業を営んできたということだと思っています。

真似のできない地域を

新卒で就農したわけではなく、専門学校の入学のために上京し、卒業後も3年ほど東京に住んでいました。冬はスキーのインストラクターのバイトで実家に帰っていましたが、当時は地元に戻るつもりはありませんでした。

ただ、東京に住む人間ではないなと思い始めたころ、集落では人が少なくなり、父が作業受託をする農事組合法人を立ち上げたタイミングで、オペレーターの仕事があるから帰ってこいよ、となりました。

農業をやるとなったとき、食の提案をするべきだと思いました。お金を稼ぐ農業にすることはもちろん大事ですが、うまいものをきちんと作って、幸せや喜びを共有していくところに農家が存続する意味や価値があるのではないかと自分は考えました。

そうでなければ、農家はAIにでも取って代わられてしまうのではないかという不安もありました。だから、誰にも真似できないものを作り上げなければならないという危機感がありました。危機感があるからこそ、きちん学ぼうということになりますね。自分なりに学び、自分だけが真似できないものを作ったところで、その程度では勝負にならないということを感じました。だから真似できないものを地域として作っていかなければならないという考えに至って、いろいろな人と連携をするようになったんです。

仲間を作って地域を作って、そこに自分たちの農産物を出していく。地元に農作物を活かす仲間がいるということです。そういう流れを作っていくことでこの地域の底上げが図れるのではないかと思いました。

そう思ったのが10年ほど前ですかね。そこからJAをしっかり活用しようとしてきました。JAは地域をつくる力を持っていますから。産地を作ることが大事でそれは1人ではできません。地域を紡いでいく仕組みが作られていることと、それが共有されていることが大事で、実は協同組合の仕組みは効率がいいのではと考えました。今、一から協同組合をつくろうなんてことをするより、JAを活用するほうがいい。一人のスター農家をつくるのではなく、農業を仕事の1つとして誰でも取り組める職業にして地域をつくるというJAの仕組みがあると思います。

地元の酒蔵と連携

私は真似できない酒米を作ろうとしています。酒米は誰でも栽培はできますが、武石という地域ならではの酒米ができないかということです。酒蔵に、やはり違う、と実感してもらいたいとがんばっています。上田市内の酒蔵とプロジェクトを組んで長野県産の「山恵錦」という品種を栽培しています。

美ケ原の源流を引っ張ってきて、その水で米を作っているわけです。標高1000メートルの田んぼにも作付けています。天空の酒米というイメージですが、まあ実は収穫量は少ないです。でもその米で上田にしかない酒を各蔵につくってもらいたいという思いです。寒さに強く、ゆっくり登熟するから胴割せず品質は非常にいいです。

就農したころは1haほどだったと思います。曽祖父が本家から分けてもらった田んぼのほかに数枚、という程度でした。今は200枚ぐらいになっています。みな区画が小さいですから。最近は青年部の仲間で調整して地域の水田を引き受けるようになっています。

協同組合を担っていく

今は、JAは協同組合としてそれなりに機能しており、みんな満足している面もあると思います。しかし、今ある協同組合活動とはわれわれが作っているわけではなく、先人たちの努力です。その努力で今の営農環境が作られ、われわれが農業できているわけです。

先輩たちは闘って協同組合を作りあげてきました。しかしながら、それが整ったことにわれわれが満足してしまい、現状維持に甘んじると、次の時代に協同組合は滅びてしまう。現状維持でいいとは、喩えると、普段空気を意識することなく吸っていると思いますが、そこにある空気がどんどん薄まっていくようなものではないかと思います。

もちろん決して満たされているわけでなく、厳しい現状のなかでもっと農業で稼ぎたいという人もいます。しかし、協同組合活動にはあまり関心がないと感じられることもあります。

ところが、コロナでその重要性に気づいた方も多いのではないかと思います。感染が拡大して今まで当たり前のようにできていたことができなくなったからです。コロナ禍が気づかせてくれたということかも知れません。今、きちんと協同組合活動に取り組まないとだめではないか。それは何のためかといえば、自分の将来のためだし、子どもたちのためだということだということを言いたいです。

JAに対する結集がわれわれの原動力で、ボトムアップで集まることによって、組織のスケールメリットを発揮できる。しかし、いつか一人ひとりが関心を持たなくなればその力はどんどん弱くなっていきます。本当に弱くなってぷつっと切れてしまったら、もう作ることはできないですよ。そこをもう一度確認しよう、俺たちの足腰は大丈夫かということを訴えていく大会にしたい。

コロナを理由に何も活動しないこともOKになっていませんか。やらなくても怒られませんから。でも、できることはまだまだあるのではないか、と呼びかけていきたいです。

(かきしま・よういち)1980年2月生まれ。妻と11歳の息子と8歳の娘。

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