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「自分の目の黒いうちは...」 青梅の梅"復活"へひたすら前進2020年7月17日

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JA西東京は6月上旬、新店舗となる吉野支店を東京都青梅市にオープンした。その外観は管内にある関東有数の梅の名所「吉野梅郷」にちなみ、紅白の梅をイメージしたストライプが印象的だが、地域の象徴である梅は2009年に発生したウイルスによりほぼすべてを伐採。同管内から梅の出荷は止まったが、2017年から新たな苗木の植栽が始まり、復活へ向けて進んでいる。

新たに植栽した梅の木の世話をする石川さん新たに植栽した梅の木の世話をする石川さん

2009年4月、青梅市で国内初となる植物病、ウメ輪紋ウイルス(プラムポックスウイルス)が見つかってから10年あまり。ウイルスを治す薬はいまだなく、吉野梅郷をはじめ、市内の梅の木はこれまでに3万6000本以上が伐採された。

青梅市は、吉野梅郷を中心とする区域を重点エリアとして、2013年度から8年間の再生・復興プログラム「梅の里再生計画」を策定。今年度はその区切りの年となる。2015年4月からは、同市が主体となりウメ輪紋ウイルスに対する強化対策に取り組み、感染状況に関する年3回の調査と春と秋のアブラムシ防除を続けてきた。2016年10月に一部地域で再植栽が可能となり、2018年には再植栽地域をさらに拡大。2019年度までに農地と観光梅園を合わせて累計4600本以上が植栽され、今年度は累計4800本をめざしている。

ウメ輪紋ウイルスの発生当時、JAの梅部会長だった農家の石川毅さん(81)も吉野梅郷に近い和田地区の自宅の裏山に広がる約50アールの畑の一角に150本の梅の苗木を植え、今年ようやく小梅が採れるまでになった。

地域の象徴といえる梅の里再生へ向けてひたすら前進してきたが、石川さんは「もう二度と元の姿には戻らない」と言う。ウメ輪紋ウイルスの発生で木を切り、梅の生産ができなくなったことを機に、畑が売られ宅地化が進んだことや、高齢で離農した人も少なくない。当時76人いた梅部会もその後、生産部会に統合され、梅の生産者は50人弱にまで減った。実際、石川さんも後継者はおらず、農業従事者の高齢化や後継者不足という日本全国で共通の問題はここ青梅の梅再生の前にも立ちはだかる。

一方、収穫量は、昭和40年代前半には当時の吉野農協管内で約100トンあった。ウメ輪紋ウイルス発生前の2005年でも青梅市で84トンはあった収穫量に戻すことは難しいが、「自分の目の黒いうちは続けたい」と石川さん。「先祖の土地を粗末にしたくはない。前に進むのは大変だが、梅を切った当時の部会長としての責任もある」と話す。

かつて、石川さんの畑からは2トンの梅を収穫し、半分は梅干しに加工して出荷していた。今年は、新しい梅の木から約80キロの梅の実を収穫したが、目下の目標は新しく植えた梅の木から収穫した梅をJAの直売所グリーンセンターへ出荷すること。それには500キロほどの収穫が目安で、石川さんは「来年か再来年には実現できそう」と笑顔を見せる。

キュウリやナスなど約40種類の露地野菜の畑が連なる石川さん宅の裏山の斜面を登り切ったところに150本の新しい梅の木が植えられていた。100本は、苗木と苗木をつなげるジョイント栽培で、50本は昔ながらのやり方で植えた。着果位置が低く世話や収穫がしやすい上、早期収穫が可能なジョイント栽培には、青梅市の支援もあり150万円を投資したという。

そこから見下ろす景色には、山間に造成されたたくさんの宅地が目に入るが、それこそ「かつてはすべて梅の木だった」と石川さん。動かしがたい現実はあるものの、青梅の「梅郷ブランド」の誇りにかけて、できることから足元を固めている。

JA西東京指導経済部の平原誠課長は「現状からも梅の生産が隆盛を極めた頃には戻れないとしても、青梅にとって梅は大事な産業。JAとして個人経営で復活に向けてがんばっている生産者を陰ながら支えていきたい」と話している。

ジョイント栽培を導入した石川さんの畑ジョイント栽培を導入した石川さんの畑

◆青梅の由来「平将門誓いの梅」

かつて、東国武士の平将門が、青梅の金剛寺あたりを訪れた際に、馬の鞭に使っていた梅の枝を地面に挿し、「願いがかなうなら咲き誇れ、叶わないなら枯れよ」と念じたところ、梅の枝が根付いたという逸話からくる。この誓いの梅の木の実は秋になっても青いまま枝に残り、落ちることがなかったため、この地を青梅と呼ぶようになったと伝えられている。


石川さん宅の裏山から見た近隣の景色。宅地の場所はかつて梅の木が植えられていた石川さん宅の裏山から見た近隣の景色。宅地の場所はかつて梅の木が植えられていた

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