JAの活動:インタビューで綴る全農50年
【インタビューで綴る全農50年】第2回 尾崎進 元全農常務理事 NYのテロ 移転で回避 米の輸入筋を通す2021年8月20日
1972(昭和47)年、全農(全国農業協同組合連合会)が誕生して、初めての交換交流で全販連から全購連系の肥料農薬部へ異動となり、全農がアメリカのフロリダ州に設立した全農リン鉱(株)の社長、全農・組合貿易ニューヨーク本社社長、全農常務を歴任し、今日の全農の事業の基礎づくりに貢献した尾崎進氏(86)に聞く。(聞き手はJA全農OB・農協協会理事の坂田正通氏)
ボート部の学生時代
――学生時代はボート部に属し活躍されたと聞いていますが。
尾崎進 元全農常務理事
和歌山県の佐野村(現在の新宮市佐野)の生まれで、父も母も教師でした。東北大学で学びましたが、勉強そっちのけでボート部に夢中の学生時代でした。埼玉県の戸田ボート場に東北大の合宿所があり、練習が終わると、「優待」といって先輩たちがおいしいものを差し入れしてくれたことなど、楽しい思い出です。
後に東北大学の総長となる阿部博之氏など、ボート部を通じてよい仲間に恵まれ、楽しい学生生活を送りました。また学生時代に、札幌から鹿児島まで、修理道具一式を積み込んで自転車で全国をまわりました。その時の各地の風景が、いまでも頭に残っています。
マーケティングに関心
――全販連に入り、最初の配属は園芸部販売課でしたね。そして昭和47(1972)年の全購連・全販連の合併に伴う交換人事で全購連系の肥料農薬部に異動されました。その時の思いは。
就職先に全販連を選んだのは、農村に生まれ育ったこともあり、農家の収入を増やし、豊かにするには販売・マーケティングが大事だと思っていたからです。農家は農産物を作ることはできても、売る技術は持っていませんでした。そこで全販連に入り、各県の経済連などを通じで、農産物をどのようにして売るかを指導・助言して全国を回りました。
また当時、農畜産物のマーケティング情報交換のための太平洋5カ国会議(日本、アメリカ、カナダ、オーストラリア、韓国)がハワイで開かれ、担当常務の〝かばん持ち〟でお供しました。ハワイでは常務と同室で緊張しましたが、会議が終わって、せっかくの機会だからアメリカに行って勉強してこいと言われ、ワシントン、ニューヨークを回るチャンスに恵まれました。その後、全農の仕事で30以上の国を周りましたが、その第一歩となりました。
――そのアメリカで全農リン鉱の社長としてフロリダへ赴任されました。
全農はそのころ、肥料や飼料を求めて海外進出に熱心でした。フロリダには2年ほどいましたが、時にはテントを張って寝泊まりするなど、懸命にマーケティングに努めました。海外で本当の農協のマーケティング活動したのは自分だと自負しています。それが認められ、全農・組合貿易㈱ニューヨーク本社社長に転勤になりました。
ニューヨークでは4年勤め、その間、ハーバード大学で農業マーケットについて講演したこともあります。もともと人付き合いは好きな方で、その間、仕事を通じ、多くの人との交流があり、貴重な財産になっています。いまも当時のアメリカ人の秘書から消息をたずねる便りがきます。
「9・11」テロ前に引っ越し
――その時のことですね。ダウンタウンにあった事務所から引っ越し、9・11アメリカ同時多発事件に遭わなくてすんだのは。
当時、事務所はニューヨークのダウンタウン(商業地区)の世界貿易センタービルの88階にありました。社長室の真下にイースト川にかかるブルックリンブリッジが見え、日本からの来客があるときは、「この橋ができたころ、日本の大井川では人足の肩車で渡っていたのだ」と説明し、日本人の奮起を促すよい観光材料でしたが、郊外に住む職員には通勤が大変でした。
郊外からミッドタウンに出て、ミッドタウンで地下鉄に乗り換え約30分、さら88階まで上がらなくではなりません。それでは時間がもったいないと考え、通勤に便利なミッドタウンへに引っ越しを決めました。
――その数年後9・11テロ事件が起きました。先見の明があったと言われましたが、あの時引っ越ししていないと、後から赴任した職員は確実に犠牲になっていたでしょう。尾崎さんの決断が職員を救ったと言ってもいいのでは。
ダウンタウンは観光にはよかったが、仕事には不向きだったのです。合理的でないことは好きではありません。
何事も先手必勝で
――尾崎さんが仕事を進める上で重視してきたことは何でしょうか。
重要なことは、何事も常に先手を打って有利な状況をつくることです。態度や説明がしどろもどろでは勝ち目がありません。こう思ったらやってみて、だめなら引き下げればいいのです。そして人の面倒をみるのに手抜きをしないことです。人の尻ぬぐいをするくらいの気持ちが大切です。
よき友人に恵まれて
――「一粒たりとも輸入させない」といっていた米が、1995(平成7)年、ミニマムアクセスで輸入された時は全農の責任役員でしたね。
残念ながら、力不足で米の輸入を許しまたが、あの時は、農林省に何度も呼び出され説明を求められましたが、「日本人の命を他国に任せてはならない」と、妥協を許さない気持ちで臨みました。そのため「敵」も作りましたが、本当の敵は、対等に話せて、自分を高めてくれる人だと思います。その意味で、多くのよき友人に恵まれ、悔いのない楽しい人生でした。
【インタビューを終えて】
自宅でならインタビューOKだよ、電車で都心へ出向くのは無理、車椅子だからとの返事。千葉県八千代市勝田台の駅に義理の息子さんが車で出迎えてくれた。2世帯住宅。1階は尾崎さん夫婦、2階に若い世帯。尾崎さんの趣味の日本庭園を臨む1階の応接間でインタビュー。
尾崎さんの功績の一つは、全農ニューヨーク事務所移転の決断、実行だろう。引っ越し作業・複雑な英文による契約書などもあるが、移転は全農本所を説得するのにご苦労した。移転15年後に起きた9・11アメリカ同時多発テロ事件は全農事務所のあった世界貿易センタービルを爆破し、約3000人が死亡した。後輩のニューヨーク駐在員・現地社員の命を救ったこと、先見の明ありと言えるだろう。(坂田正通)
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