米国のTPP批准 不透明に(上) 孫崎 享 氏 元防衛大学教授2016年8月30日
日本でも疑念・徹底議論を許されない強行採決
米国の大統領選挙では共和党のドナルド・トランプ候補が当初からTPP(環太平洋連携協定)反対を表明していたが、8月11日に民主党のヒラリー・クリントン候補も演説で「TPPは職を奪う。選挙が終わっても反対だ」と表明した。オバマ大統領は任期中の批准をめざし議会に関連法案を提出したと報じられるが、米国のメディアでは「TPPは完全に死に体になった」との論評も出てきている。こうした動きの背景にはTPPに対する米国国民の強い反対があるからだ。一方、日本では政府・与党が秋の臨時国会での批准をめざし、野党や国民の反対があるなかで米国の批准を促すために「与党だけで強行採決もやむを得ない」との意見も出ているという(「日本農業新聞」8月28日)。TPPについては市民団体の分析で協定内容の問題点がいくつも明らかになっている。審議を深めることが重要なのに、強行採決など許されるはずがない。今回は米国の動向について元防衛大学教授の孫崎享氏に聞いた。
◆生活の悪化が背景
今回の米国大統領選挙について孫崎氏は「非常に異例の選挙だ」という。その理由に既存政党に属さず独自の組織もない人を支援して自分たちの理想の候補をつくりあげた点を挙げる。
「アメリカの多くの人々の生活は1980年代からほとんど向上していないだけではなく、苦しくなってきています。人々はこれは何かがおかしいと思ってきましたが、これまではこの生活の悪化が政治と結びつかなった。しかし、今回はこの思いが政治的な力になったということです」。
その代表が共和党の大統領候補となったトランプ氏である。トランプは移民と貿易協定のふたつの問題がアメリカの労働者階級の地位を脅かしていることを訴え、これをメインテーマにして候補者争いを戦ってきた。
「ですからトランプが大統領になったときにTPPを批准するということはあり得ないと思います」。
では、トランプが大統領になる可能性はどのくらいあるのだろうか。孫崎氏によれば、ヒラリー・クリントン氏とトランプの支持率の差はなお流動的で8月中旬時点の世論調査では5%程度だという。
「イギリスのEU離脱をめぐる国民投票では残留支持が10%ほど多かったわけですが、最後にひっくり返りました。これと同じような雰囲気を持っていると思います」。
イギリスのEU離脱も国民生活の悪化と移民が原因となった。トランプと同じような主張はアメリカだけではなく世界的な広がりを見せている。
◆草の根からの不満
既存の組織に頼らず市民の支持で大統領候補選びを戦ったもう一人が、バーニー・サンダース氏である。大学教育の無償化や国民皆保険制度の導入などを訴え若者たちの支持を集めた。TPPについては「TPPは葬らなければならない。多国籍企業が私たちのお金で利益を増大させようとシステムを操作するのを止める時だ」などと主張した。
結果は、敗れたとはいえ、最後まで候補者選びから降りずにクリントンに猛烈に肉迫した。
「それでサンダースを完全に敵に回すわけにはいかないと、クリントンは態度を次第、次第に変えてきました」
クリントンは国務長官時代はTPPは「黄金のルールだ」と推進した。
その後、今回の大統領候補選びに入ってからはTPPの合意内容は自分が考えていたものとは違うと表明し、たとえば、為替操作に対する規制を盛り込むなど、大統領になったら自分が再交渉して新しいTPP協定をまとめてから批准するということを考えていた。
しかし、民主党内でサンダース支持が相当の政治力を持つことが明らかになるなか、クリントンは8月11日、ミシガン州の演説で「TPPは職を奪う。選挙が終わって大統領になっても反対」とまで言い切った。
◆TPPは"死に体"
クリントンはTPPに反対姿勢を示しながらも、もともと"黄金のルール"などと評価していたため、大統領になれば推進に転じるのではないかとの疑いが持たれていた。
「しかし、一貫してTPPに反対しているトランプと接戦になっているなかでの演説。あれは選挙のときの約束だった、よくよく考えるとTPPは必要だからと批准しようとすれば、相当に多くの民主党議員を押し切らなければなりません」と孫崎氏は否定的だ。
そこで、オバマ大統領は任期中に批准する考えがあると伝えられる。大統領選挙が終わった11月から新大統領就任の来年1月までのレームダック(死に体)議会で批准してしまうというものだ。 これは現実味があるのだろうか?
「そもそも議会は大統領選挙戦が本格化する前の昨年TPA法案(大統領に強力な通商権限を与える貿易促進法)の成立も反対が多く綱渡りだったわけですが、これだけ反対が多くなってきたなかでオバマ大統領がやりたいからといっても議会はとても批准はできない。大統領選挙に合わせて上下両院議員の選挙もありますが、両候補ともTPP反対と言っているなか私は賛成だと言っては選挙選は戦えません。TPPは死に体であることは間違いないです」と強調する。
米国のメディアにもTPPの早期批准には悲観的な見方が多い。フィナンシャル・タイムズ紙の元ワシントン支局長が「今次大統領選の最大の犠牲はTPP。選挙期間中の議論でTPPは完全に死に体になった。もうプランB(別の選択)を模索する時だ」と断じている。(Nikkei Asian Review 8月4日)
(続く)
・米国のTPP批准 不透明に (上) (下)
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