【クローズアップ・日米貿易協定】底抜けバケツに水は貯まらぬ 横浜国大・大妻女子大名誉教授 田代洋一2019年11月26日
国民の期待に応える運動再構築
横浜国立大学・大妻女子大学名誉教授田代洋一
日米貿易協定の承認案が11月19日の衆院本会議で可決され、審議の舞台は参議院に移った。日米両政府は来年1月発効をめざすが、協定文には米国が農産物のさらなる市場開放をめざすことが記されていることや、牛肉のセーフガードが発動された場合、発動基準を高めるよう協議を開始することなども明記されており、日本農業はさらに大きな打撃を受け、食料安全保障の確立や自給率向上の実現を阻むことにもなりかねない。日本にとって日米貿易協定はどういう問題を持つのか。国民への食料供給が期待されている農業、農協はその役割をどう考えるべきか。田代洋一横浜国立大・大妻女子大名誉教授に提起してもらう。
◆日米FTAはほんの序の口
これまでの日米農産物交渉は、まずは自由化、次いでそのアフターケアのための予算措置、不満の鎮静というパターンを繰り返してきた。あげく自給率は低下した。
今回も議論は早くも補正予算確保、TPP関連国内対策大綱の改定に移っている。しかし日米貿易協定は米国にすれば「ほんの序の口」に過ぎず、交渉の本番はこれからだ。態勢を立て直さないと農業は滅びる。
◆トランプ応援のミニFTA
日米貿易協定は、来年11月の米国大統領選に向けた「トランプ選挙応援・ミニFTA」ということに尽きる。大統領選に間に合わせるには、今秋までに交渉をまとめ上げる必要がある。そこで短期間で日米が合意できるギリギリの範囲に交渉を絞り込んだ。
例えばコメ。TPPでは米国に7万㌧の輸入枠を設けたが、日米貿易協定では「除外」した。なぜか。7月の参院選で自民党は秋田、岩手、山形、宮城、新潟のコメどころ1人区で負けた。つまりコメは依然として政権の鬼門だ。それに穴を開けようとすれば、さすがに日本も抵抗し、そのため交渉がまとまらなければ大統領選に間に合わない。そこで取りあえず「除外」。とすれば、怖いのは大統領戦後の本番である。
◆交渉ポジションの逆転
交渉開始時には、米国は大統領選、日本は参院選を控えていた。選挙の重みは、政権を失うかもしれないトランプの方がはるかに重く、交渉ポジションは弱い。にもかかわらず日本は米国に押しまくられた。
まずトランプは、中国のみならず同盟国にまで超高率の追加関税をかけるという脅しをかけた。その脅しにのった日本は、高関税の回避を唯一の交渉目的にしてしまった。安倍は、「クルマを救うために農産物を犠牲に」の腹を固めたうえで、「せめて妥結は参院選後にしてね」と泣き込んだ。こうしてトランプの「ディール」に完全にしてやられた。
◆クルマも守れなかった...
交渉結果はクルマさえ守れなかった。第一に、交渉目的であるクルマへの追加高関税の脅しを取り払えなかった。「追加関税をかけるなら協定破棄」を貫くだけの気概は日本にはなかった。
第二に、日本車の輸出に対する米国関税の撤廃も「今後の交渉次第」と先送りされた。にもかかわらず日本は、関税撤廃が約束されたとして、日本が米国に払う関税は2000億円の減少、それに対して米国が日本に払う関税は1000億円の減少で、日本の倍勝ちだとした。
しかし現実にクルマの関税の撤廃はないので、日本が米国に払う関税額の減少は200億円に過ぎないという計算もある(朝日新聞、11月17日)。日本が減額できたのは米国の1/5。それを「勝った勝った」とごまかすのは、太平洋戦争末期の大本営発表と同じである。
◆牛肉セーフガードはTPP超え
日本政府は、農産物の譲許はTPP水準までとしているが、本当にTPPの枠内に収まったか。

以下、牛肉SGの2023年の発動基準を例にとる。TPPでは65万t、その外枠で米国について26万tだ。ここには3つの問題がある。
第一は、米国に対して別枠設定されることで、結果的に、本来なら65万tのところ、合計91万tまで発動水準が高まる(発動しにくくなる)。日本政府はTPPと米国の足し算を嫌うが、外枠にするということは、そういう可能性をもつということだ。
第二は、協定では、TPP11との協議がまとまれば、米国枠はTPP枠(65万t)に含めるとされている(足し算なし)。しかし、TPP11国は、65万tという既得権を得ている。その65万t枠に米国が割り込むのは既得権の侵害で、TPP11としては認められない。認めるには、何らかの代償を日本に求めることになろう。
第三に、日米協定では、日本がSGを発動したら直ちに「発動水準を一層高いものに調整する協議を開始」する(より発動しにくくする)としている。天井にぶつかったら、天井を高くするということだ。これは事実上「二度のSG発動はさせない」に等しい。
それどころではない。前述の米国向け発動水準は2033年度まで一貫してTPP向けの40%に設定されている。両者は連動しているのだ。そこで米国に対してSGの発動水準を高めたら、TPP11向けにも発動水準を高めろという要求が当然に出てくる。こうしてSGはいよいよ発動できなくなる。
◆米国はさらに開放攻勢
協定は、「アメリカ合衆国は、将来の交渉において、農産品に関する特恵的な待遇を追求する」と明記している。日本政府側は、農産物交渉は今回で打ち止め、再協議には応じない、米国は来年の大統領選を控えて次の交渉などできるわけがない、などとしているが、それは主観的願望に過ぎない。
米国側は、農産物について、TPPで前オバマ政権がぶんどった分すべてを回復するには至っていない。例えばコメ、脱脂粉乳・バター等の米国枠を確保していない。
「農産品という妥協カードがない中で、自動車関税の撤廃交渉は厳しいのではないか」という記者の質問に対して、事務方トップの渋谷政策調整統括官は「農産品というカードがないということはないと思いますけど」と答弁している(9月25日)。つまり日本政府は、これからも農産物を妥協カードに使うつもりだ。
◆フルFTAへ 日米交渉
第一に、2019年には日米貿易協定と並んで日米デジタル協定が成立した。これは要するに、アメリカのグーグル、アマゾンといった大手プラットフォーマーが営業の自由を追求するための取り決めで、TPPを超え、今日のグローバル・ルール化の最先端を担う。日米通商交渉の拡大の第一弾といえる。
第二に、2018年日米共同声明は、今回の「協定の議論を完了の後に、他の貿易・投資についても交渉を行う」としている。つまり今回は第一段階(ミニFTA)、次は第二段階(フルFTA)ということだ。第二段階では米国は、投資、知財、医薬品・医療機器の手続き、政府調達、紛争解決(ISDSなど)、全分野を交渉するつもりだ。
さらにトランプ政権は、TPPのテーマに加えて、中国条項(中国とのFTA禁止)や為替条項(円安誘導の禁止)も入れようとしている。日本は、米中新冷戦に巻き込まれ、かつ円安を禁じられたらアベノミクスも農産物輸出戦略も頓挫する。
第三に、日米間ではないが、日本は、RCEP(日中韓、ASEANとの東アジア地域包括的経済連携)、メルコスール(ブラジル、アルゼンチン等)とのFTAも控えている。これらは農産物、とくに牛・鶏肉等への影響が大きい。
問題は、以上のメガFTAが進行していくなかで、農産物が交渉カードとして利用される(犠牲にされる)可能性が極めて高いことだ。
◆自給率、どう向上?
日本は、こういう動きに歯止めをかけたはずだった。すなわち、ウルグアイラウンド、新基本法制定、WTO新ラウンドにおいて、食料安全保障と農業の多面的機能を確保するため、「行き過ぎた貿易至上主義に歯止めをかけ」、「多様な農業の共存」を図り、国境を一定程度守ろうとした。その核心は「平素からの備え」としての食料自給率の向上だ。
しかるに小泉・安倍の二政権は食料安全保障を農産物輸出戦略にすり替え、メガFTAにのめり込んでいった。
政府は、メガFTAのたびに影響試算をして、生産額は減少するが、万全の国内対策を講じるから生産量・自給率は下がらないとしてきた。その「万全の国内対策」の下で畜産物等の輸入が急増し、自給率は低下してきた。
自給率の低下について、昨今の新基本計画をめぐる論議では、もっぱら、国内生産基盤が弱体化したからだとしている。そこで「国内対策」で生産基盤を強化しろ、となる。生産基盤強化自体は大切なことだ。しかし、自給率が下がった根本原因は、国境をどんどん低め、撤廃してしまったことにある。バケツの底に穴を開けながら水を貯めることはできない。国境保護と国内対策は車の両輪でなければならない。
TPPに反対した農協陣営も、全中を農協系統から外され(一社化)、准組合員利用規制、信用事業取り上げの脅しをかけられ、反対の旗を降ろしてしまった。それで食料安全保障、自給率向上という、農業・農協に対する国民の期待に応えられるだろうか。経営体であると同時に運動体としての農協をとりもどすべき時である。
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