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特集:自給率38% どうするのか?この国のかたち - 挑戦・地域と暮らしと命を守る農業協同組合

2019.01.08 
【座談会】思いを馳せた「近代化」幻惑され影を見落とす(上・3)一覧へ

・「現代の老農」に聞く 農と地域・食といのちの未来

【座談会出席者】
・星寛治氏(農民・詩人)
・山下惣一氏(農民・作家)
・大金義昭氏(文芸アナリスト)

 「老農」とは明治時代の経験に富んだ在来農法による農業指導者のことを言う。現在は栽培技術のマニュアル化が進み「老農」の出番はなくなったかのように見えるが、農業を支える農村社会そのものが崩壊しつつあり、今日的な農業・農村のリーダーが求められる。その意味で、「現代の老農」ともいえる存在で、農民であり作家の山下惣一さんと、同じく詩人の星寛治さん、それに文芸アナリストの大金義昭さんに登場していただく。

単作経営より五徳経営
複合経営にリンゴ導入

 

 大金 農業の「近代化」を旗印にした農基法の登場は、お二人にとってはその意味で「渡りに船」だったんでしょうかね。1961年に農工間の所得格差是正や選択的規模拡大、離農の促進などが謳われ、いわゆる「曲がり角」と言われる時代を迎えるのですが。

 

山下惣一氏(農民・作家) 山下 「農業の夜明け」と言っていましたね。それまでは下を向いて地べたを削っていたのが、これからはミカンを植え、空を仰いで農業をやるということで、私は一所懸命になりました。踊った方でしたよ。西日本でブームになったのは、ミカンですからね。結局、儲からないものはやめて、儲かるものを作っていこうという選択的拡大路線に乗っかるわけだ。それであっという間に姿を消したのが、菜種と麦と大豆で、全部米に集中、特化していく。

(写真)山下惣一氏(農民・作家)

 

 

  社会的には、小農切り捨てとか家族農業を否定するものだとかいう批判もありましたが、それまでの農業で良いとは思っていなかったので、農基法には夢を馳せたんですね。ですから「近代化」の先兵として、産地づくりや基盤整備に積極的に関わっていく段階がありました。

 

 山下 私もミカン専業で行くと言って、大した実績もないのにミカン栽培の意見発表大会で佐賀県2位になったこともあった。私の村には130戸くらいの農家があって、100人くらいの果樹同志会の会員がいて、みんな張り切っていたけれど、4~5年後にはたちまち過剰になり、新興産地の私たちのミカンが成るころには、値段が安くなった。

 

 大金 ミカンは、農基法の優等生と言われていたんですよね。

 

ミカンブームの初期(昭和30年代半ば)。急傾斜のミカン園だった。 山下 それから話が少し飛ぶんだけれど、せっかくやったのに悔しいじゃないですか。過剰だから安値なわけで、減れば良くなることは分かっている。どうしたら生き残れるかと考えたら、専業ではダメだと思った。ミカンだけではやっていけない。そのとき思ったのが、爺さんたちから聞いていた「五徳」経営だった。昔は火鉢に薬缶(やかん)などを乗せる「五徳」というのがあって、あれには足が3~4本ついている。一本足では立たない。「五徳」のような経営でないと農業は続かないと、米とミカンと畜産といった複合を考えてやってきた。
 そしてトンネルを抜けたら、今はミカン不足ですよ。恐らくあと4~5年で、正月用のミカンはダイヤモンドとはいかんが、数の子くらいの価値は出てくる。(笑い)

(写真)ミカンブームの初期(昭和30年代半ば)。急傾斜のミカン園だった。

 

  ははあ。

 

 山下 だから、どうやって生き残っていくかということなんだね。残って良かったと思っていますよ。そうなるから頑張ろうと言ってきたんだ。結局、単作で大きくすることはまずい。複合で小さな農業が良いということは、そこから始まったんですよ。

 

  私の住んでいる上和田というところは、古くからブドウのデラウエアの一大産地だったんですね。その防除や共選あるいは共同出荷に地域の一員として関わってきたんですが、私自身の農業は稲作と数頭の牛飼いと若干のブドウと養蚕という、いわばモノカルチャーではなくて複合経営で、地域全体も地域複合という形態をとっていました。
 農基法はそういうなかで構造改善事業をテコに、怒涛のように推進されていったんです。基盤整備で大型機械が駆使できるような態勢を整えるというのが、稲作のメイン課題だった。「機械化・化学化・省力化」が「近代化」を表す要素でした。

 

 山下 その通りだね。

 

  そのころ、わが家の経営の柱の一つの養蚕が、祖母や母親に過重労働を強いるような状態にあって、夜も寝ずのような状態から何とか解放してやりたいと、桑畑を果樹に転換しました。桑畑は長年土づくりをやってきたから、地味がうんと肥えていてブドウだと徒長型に伸びて、なかなかうまくいかないという先入観があり、たまたま当時、東北農試が開発した「東北7号」のちに「ふじ」と命名されたリンゴの品種を導入するんです。稲作と収穫期が競合しないし、大変に優れた肉質と保存力を持っているというので一目ぼれし、仲間と一緒に「ふじ」の小さな団地をつくりたいと1000本の苗木を購入して始めた。矮化栽培などが普及する前でしたから、苗木を植えて10年経って成木にならないと収穫できない時代でした。

 

 山下 今残っている農家は何人くらいですか。うちの方はミカンの同志会100人の中で3人しか残っていません。

 

  同じように、2~3人しか残っていない。そういうもんですね。

 

「近代化」とは「工業化」  土づくりから有機農業へ

 

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