農政:緊急企画:許すな!日本農業を売り渡す屈辱交渉
【TAGの正体】出口のない貿易戦争を アジアの民衆の視点から見る2019年1月28日
・NPO法人アジア太平洋資料センター(PARC)共同代表内田聖子
JAcom農業協同組合新聞が昨年、日米首脳会談で日米二国間交渉入りを政府が表明したことを受けた緊急企画、「許すな!農業を売り渡す屈辱交渉」をもとに、昨年末に農文協との共編でブックレット『TAGの正体』を発売した。そのなかから2編の論考を掲載する。
◆食い違う両国政府の発表
2018年9月26日、安倍首相とトランプ大統領は日米首脳会談を行ない、両国は共同声明を発表した。ここで発表されたのが、「日米貿易協定の開始」である。しかし日本政府は、この協定を「日米物品貿易協定(TAG)交渉」と称し、共同声明の翻訳にも意図的にTAG交渉という単語を使用。安倍首相は「これは包括的なFTA(自由貿易協定)ではない」と苦し紛れの弁明をした。
しかしこれは明らかな嘘であり、日米FTA開始を否定してきた安倍政権が、国民や野党からの批判を逃れるための稚拙な取り繕いであることは、私自身を含め多くの人、メディアが指摘してきたところである。
TAGという用語が登場した経緯や、日本政府のその後の説明の問題、WTO(世界貿易機関)との整合性の問題については、本書で他の執筆者が論じるであろう。私は、この日米交渉の全体像と、他のメガ協定との関係、そして日本の通商政策全体の問題点を考えたい。
1点だけ確認しておくべきことは、9月に日米首脳が合意した内容とは、①米国と日本は、早期に成果を得られる可能性のある物品、サービスを含むその他の重要分野における日米貿易協定の交渉を開始する、②日米両国はまた、上記の協定の議論の完了後に他の貿易・投資の事項についても交渉を行なう、というものであるということだ(日米共同声明より)。ちなみに米国側は、この貿易協定についてもちろんTAGなどという言葉は使っておらず、その後も公式文書等で「日米貿易協定(U.S.-Japan Trade Agreement)」と呼んでいる。
◆日米貿易交渉では何が対象とされるのか
日米貿易交渉は、当然、農産物はじめ物品の関税以外にもサービスや非関税措置など多くの分野を含んでいる。また物品貿易交渉の後には、投資などの分野にも交渉は広がることも明示されている。つまり最終的には、物品、サービス、投資というフルセットのFTAとなることが、すでに交渉に入る前からほぼ確実なものとなっているのだ。
メディアでは物品貿易協定について主にクローズアップされているが、問題は、「他の重要な分野(サービスを含む)で早期に結果を生じ得るもの」とは何かということだ。サービスも含むとあるので相当に広範囲なものの中から、「早期に結果が出せる」ものとしてピックアップされたものであるわけだが、日米間の長いTPP(環太平洋連携協定)での交渉の推移や、また今回、自動車への関税だけは避けたかった日本政府の立場から考えても、当然、これは「米国にとって有利な結果となる分野・項目」と読むのが自然だろう。
端的に言えば以下のような項目になることが予想される。
(1)TPPにおける日米並行協議において取り交わした約束
(2)米国のTPP離脱後から現在までで改めて米国が日本に求めている内容
(3)韓米FTAやNAFTA再交渉において米国が他国から勝ち取った内容
(1)のTPP交渉時に日米が取り交わした約束には、自動車の非関税措置や保険、食品添加物の規制緩和などが、米国から片務的に日本に求められる内容が記載されている。米国にとっては、「一度日本が呑んだ水準だろう」と、当然これらの厳格な実行を求めてくるだろう。
(2)については、2018年3月の米国外国貿易障壁報告書をはじめ、トランプ大統領が就任して以降、現在までに改めて提示されている、米国から日本へのさまざまな要求がある。『外国貿易障壁報告書2018』において、日本に関する記述から「TPP」という文言は消え、「米国輸出にかかる幅広い日本の障壁を除去することを求めていく」としている。そのうえで、2017年に行なわれた原料原産地表示制度(COOL)改正に関して、「米国の輸出食材に悪影響を及ぼす潜在性がある」と指摘するほか、これまでも繰り返されてきた要求項目(収穫前後で使用される防かび剤の要件、ポテトチップ用バレイショの輸入停止措置、米・小麦・豚肉・牛肉の輸入制度、日本郵政・共済などの金融保険サービス、知的財産権分野、医療機器・医薬品分野)の障壁を指摘している。
製薬業界も日本に対して厳しい批判をしている。米国研究製薬工業協会(PhRMA)は、2018年2月16日、米国通商代表部(DSTR)に意見書を提出し「スペシャル301条報告書2018[3]」の中で日本を「優先監視国」に指定するよう要請した。PhRMAは日本を「優先監視国」に指定すべき理由として、意見書の中で、〈1〉新薬創出加算の不適切かつ差別的な見直し、〈2〉特例拡大再算定や最適使用推進ガイドラインなど、懸念のある改革の実行、〈3〉薬価制度改革に関して、業界が意見を述べる機会が与えられないなど政策決定の透明性の欠如、〈4〉毎年改定や費用対効果評価をめぐる議論などによる予見性の欠如----を挙げている。特に新薬創出加算の新要件に関しては「市場アクセスの障壁」として詳細に触れ、特に企業要件については日本企業に有利に働く要素があると指摘。内外資企業を公平に扱う義務に反すると厳しく批判している。
(3)については、例えば韓米FTAやNAFTAに盛り込まれた為替操作禁止条項などがあげられる。韓米FTA再交渉では、米国の要求で通貨安の誘導禁止(いわゆる為替操作禁止条項)も合意した。これによって韓国政府は、急速なウォン高が進んでも競争力を回復させるために為替介入の手段を取ることは非常に困難となる。米国はメキシコ、カナダとのNAFTA再交渉でもより強制的な為替条項が明記された。ムニューシン財務長官はこれを日本を含むどの国の通商協定にも盛り込むことを目指すとしており、日本との交渉でも為替問題が取り上げられる可能性がある。
米国議会に半年ごとに提出される外国為替報告書で、すでに日本は5回連続で「監視対象」に指定されている。TPP12交渉時にも、為替操作禁止条項の行方が一時注目されていた。米国の中央銀行にあたる連邦準備制度理事会(FRB)は6月に開く連邦公開市場委員会(FOMC)で追加利上げを決める見通しであり、日米の金利差が開けば金利の低いほうの日本の円を売ってドルを買う動きが強まり、円安ドル高が進行する。利上げをきっかけに、円安に対する不満が高まる恐れがある。
◆日米貿易交渉の交渉準備を着々と進める米国
さて日米首脳会談から1カ月以上が経った2018年11月、米国側は着々と交渉入りの準備を進めている。これら諸手続きに際して公表される文書から、さらに日米貿易交渉の全体像を読み取ることができる。
図1は、現在進行している米国での日米貿易交渉に向けた一連の準備作業である。
ちょうどこの原稿を書いている11月中旬は、USTR(米国通商代表部)が各業界にパブリックコメントを募集している時期であるが、USTRはパブリックコメントのテーマとして「以下の事項を含むが、これに限定されない問題について、関係者に意見を述べるよう求める」と記述している(図2)。
この項目を見てもわかるように、日米貿易交渉は決して物品貿易だけでなく、サービスや非関税障壁をカヴァーしていることが明示されている。特に、食の安心・安全にもかかわる衛生植物検疫や貿易の技術的障害(TBT)について、意見聴取が積極的にされていることには注意が必要である。これまでも米国からは、添加物の承認などが要望されているが、改めて日米貿易交渉での対象となることは明らかである。
ここに挙げられた項目以外でも、米国企業や投資家、市民はあらゆる分野に関して、パブリックコメントで要望を書くことができることも重要な点である。実際、米国のIT関連企業の団体は、「日米貿易交渉に、NAFTA(北米自由貿易協定)で採用したようなデジタル貿易に関する章を入れるように」と強く要望している。
◆国会での真摯な説明と交渉入りの是非を問う必要
「攻めるべきところは攻め、守るべきところは守る」と茂木大臣は説明するが、では日米物品貿易交渉やその後に延々と続く投資・サービス分野での交渉において、日本の「攻めるべきところ」とはいったい何なのか。TPP交渉では、日本から米国へ輸出する乗用車の2・5%の関税は25年をかけて段階的に撤廃、25%のピックアップトラックなどの関税は29年維持して30年目に撤廃することが合意された。政府は農産物に関しては「TPP以上の譲歩はしない」というが、それならばこの乗用車関税に関して、かろうじて日本が米国に約束させたこの関税撤廃を、「TPP以上は譲れない」と言って実現させるのが筋であろう。しかしご存知の通り、実際にはこの条件の実行を念押ししてくるどころか、逆に日本車への関税を何とかかけないでほしい、とその他の条件をあれこれ差し出してきたという状態である。
こうしたちぐはぐで片務的な交渉を始めると約束してきたからには、国会で交渉入りについて改めて議論し、採決をするという扱いをとってもおかしくないレベルの話である。
◆終わりに----出口のない貿易戦争からいかに脱却していくのか
トランプ大統領の出現によって、WTOを基礎とする貿易レジームは危機に瀕している。しかし、これは決してトランプ大統領だけがもたらした結果ではない。WTOの行き詰まりは、先進国と途上国・新興国の深刻な対立によるものであり、その大きな理由は米国やEU、日本などの先進国が、大企業に都合のよいルールを押し付けようとしてきたからだ。また近年のメガFTAの停滞状態についても、物品貿易だけでなく、知的財産権、投資(ISDS〈投資家対国家の紛争解決〉を含む)などルール分野ではっきりとした対立があり、交渉は延々と妥結しない。このことからも、約30年間の自由貿易推進は矛盾と限界に達していることは明らかである。皮肉にも、それを具体的な形で、しかも破壊的に示しているのがトランプ政権であるということだ。
そして、強調しておかなければならないのは、いまや米国に代わり自由貿易協定をどの国よりも熱烈に推進しているのは日本であるという点だ。もちろん、米国に対して自由貿易推進の圧力をかけられる力はないため、結局は今回の日米貿易交渉を受け容れざるを得なかった。しかしその一方、日本は例えばRCEP(東アジア地域包括的経済連携)交渉ではアジアの途上国・新興国に対して、TPPで規定されたような、グローバル企業に有利なルールを次々と提案しているという実態がある。例えば、日本が提案している医薬品特許の保護延長に対して、途上国の人びとは強く反対をしている。また同じ日本が提案している、植物の新品種の保護に関する国際条約(UPOV1991)の批准の義務化に対しても、約8億人のアジアの農民・先住民族は必死で抵抗をしている。私はほぼ毎回、RCEP交渉に足を運んでいるが、そこではインドやタイ、ラオスの人びとが日本に対して「医薬品を奪うな!」「農民から種子の権利を取り上げないで」と訴えている。
自由貿易は国境を超えて富を強者に集めるしくみだが、問題は公正な再配分はなされないということだ。その場合、相対的な貧困国である途上国が、さらにその国の中でも最も周辺化されている小農民や先住民族、女性たちに大きなしわ寄せがくる。この連鎖をどう断ち切るのかが大きな課題であり、私たちは貿易のもたらす負の側面を考えるとき、「日本が外資に奪われる」という視点だけで考えていては足りないのである。日本が他国の人びとに与えている有害な役割を含めて、現在のメガ貿易協定を批判していかなければならない。
(うちだ しょうこ)
(写真)
2017年7月、インドのハイデラバードで行なわれたRCEP交渉会合にて。インドの人々は「日本と韓国は人々の命を弄ぶな!」と書かれたバナーを手に、日本・韓国政府が提案する医薬品特許権の保護強化を強く批判していた(撮影・筆者)
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