「トイレビル」の話―女性の地位向上―【酒井惇一・昔の農村・今の世の中】第226回2023年2月9日
以下、東京農大生物産業学部(網走キャンパス)に私が勤めているときに研究室の助手(現在の助教)をしてくれた女性研究者WMさん(惜しくも若くして亡くなられてしまったが)から聞いた話をさせていただく。
WMさんが農大の世田谷キャンパスに入学したのは1990年、女子学生の数は増えつつあっても一割にも満たず、上級生はさらに少なく、いまだ珍しい貴重な存在だった。
入学式などの行事も終わり、いよいよ講義が始まった日のこと、同じ新入生の女性といっしょに休憩時間にトイレに行った。ところがトイレに男女の区別をする印がない。上の階に女子トイレがあるのかもしれないと思って行ったらそこにも女子トイレと書いていない。さらにその上の階にもである。休み時間は刻々と過ぎていくし、トイレは我慢出来ない。「さっき下の階に男子が入っていったから、この階はきっと女子用だよ。昔は両方男子用だったかもしれないけど、今はきっと女子用になっているんだよ。入ってしまおう」と思い切って入った。用をすませて手を洗っていたら、男子学生が入って来た。そして二人を見て変な顔をする。こっちも何で男子が入ってきたのかとにらみつける。後でわかった、そこはすべて男子トイレだったのである。一体どこに女子トイレがあるのか。一週間くらい過ぎてようやく見つけた。しかし少ない。しかも遠い。10分の休み時間にトイレに行くのにダッシュしないと間に合わない。他の建物も同じだった。
三年生になって所属した研究室のある建物の場合、8ヶ所あるトイレのうち、女子用は2ヶ所しかない。研究室は四階、すぐ近くの階段を一階まで降りてトイレに行くか、すごーく遠い場所にあるところまで廊下を延々と歩いて行き、別の階段を降りて三階のトイレに行くか、つまり階段の昇り降りを選ぶか、長い道のりを歩くのを選ぶかの選択をさせられることになった。
彼女が四年生になった頃である。ある建物の一角で何やら増築している。中庭に出っ張らせるようにして一階から四階まで小さなビルをくっつけている。教室にしては狭いし、細長いし、こんなところに何ができるのだろうと思って見ていた。
ついに完成した。何とそこは女子トイレばかりのビルだった。
一階から四階まで女子トイレのまさに「トイレビル」。一つの階に8個か10個の個室があり、手洗い場所も豊富にあり、トイレに入るのに順番を待つことなく、すんなり入れる快適な空間である。
でも彼女たちは不満だった。「遅いよ!!!」、もう卒業間近じゃないか。さらに問題は一ヶ所に集中していることだ。数だけあればいいというものではない。こんなに作るのだったら、何であちこちにつくらないのか。トイレにいく女性の身になって考えたのか。それでもやっぱり新しいトイレっていいなあと思ったものだった。
こうWMさんは述懐する。
この「トイレビル」の話を彼女から聞いたとき、私は腹を抱えて笑ってしまった。今になって考えると笑い話としかいえないようなことが現にあったのである。
今からわずか三十年前の話である。門戸を開放している大学にさえ女性は入学できず、自らも入学しようとしなかった。また大学は門戸を開放しているといっても女性を受け入れる施設を整備していなかった(注)、つまり形だけの男女平等、大学でさえそうなのだから、一般社会は推して知るべしだろう、男女共同参画といってもまだまだだったのである。
しかしそのころから大きく変わってきた。大学について言えば、四大や理系にも女子は入学するようになり、女子学生の比率は大きく高まった。
そのことに関心をもった2010(平22)年、それを確かめてみようと私のかつて勤めていた東北大農学部の場合はどうかを私の後を継いで教授となったIF君に問い合わせた。そしたら、現在(09年度)の学生に占める女子の割合は35%になっており、一年生の場合などは47%でほぼ半数となっているとのことだった。また、大学院の修士課程は女子が38%を占めるようになっており、博士課程に進む女性の割合が26%と低いのが気になるが(これは就職問題、経済問題等さまざま関係しており、ここでまた女性問題も出てくるのだが、それは省略する)、女性が研究の後継者としても育ちつつあることがわかる。
東京農大の場合はどうか、さきほどのWMさんに聞いたら、36%が女子学生(短大を除く)とのことで、東北大とほぼ同じになっている。
ただしオホーツクキャンパスは21%しかいない。これは遠隔地にあること、経済的負担が大変なこと、寒さが厳しいこと、網走(監獄)のイメージが悪いこと等々からくるものだろう。実際に、あんなところで娘を一人暮らしさせられるかという親の反対がかなりあったと学生は言っていた(もちろん卒業のときにはほとんどの親御さんが娘を網走に入れて良かったと言うが)。
新入生のオリエンテーションのとき、仙台市の農家の娘だと自己紹介した新入生が、最初入学を反対された、たまたま私が網走にいることを知っていたお母さんが、酒井先生がいるところならと許可してくれた、と私に感謝していた。
こうした反対を押し切って来た意志の強い目的意識をもった女子学生が多いからであろう、ともかく女子は強かった。女子が半分以上を占めているのではないかとさえ思える。そう思わせるだけの存在感(WMさんに言わせると威圧感)がある。ゼミの学生10人のうち3人が女子であればリーダーシップは完全に女子に握られる。そして女子は男子をあごでこきつかう。「でも、それは女子が強くなったからではなく、男子がだらしなくなった、頼りなくなったからだ」とWMさんは笑っていたが。
まだ男女半々になっていないから完全に平等にはなっていないかもしれないが、少なくとも大学では当初の門戸開放の理念は実現されつつあり、男女共同参画社会になりつつあるということができよう。
社会全体としてもかつてのような男女の不平等、差別はきわめて少なくなったといってよいのではなかろうか。かつて酒やたばこは男が飲むものとなっていた。しかしいまや女性が平然と飲むようになった。それをだれもおかしいとか、女のくせにとか、女らしくないとか言わなくなった。
まさに対等平等になってきた。それどころか女性は男よりも強くなっていた。農村の女性も同じだった。
(注)1950年代後半に私の入学した東北大農学部では男女同数のトイレの部屋があった、戦後できた建物だった、戦前から女性に門戸を開放していたということもあるのかもしれないが。
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