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(475)駅ナカは現代の城下町【三石誠司・グローバルとローカル:世界は今】2026年2月27日

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 かつて日本の各地には城があり、城下町がありました。城の機能の一部は現代では都道府県庁に受け継がれています。では経済的な機能はどこに受け継がれているのでしょうか。

 かつて日本各地に存在した城は、一部の地域を除き、政治・経済・権威の象徴など社会生活の多くの役割を備えていた。現代に至るまでに、その内容は機能別に分化されていったようである。

 現代の都道府県庁は行政的な役割と権威の一部を継承している。実際、どこの地方でも建物は一目でそれとわかる。かつての城と同様、一定の装いを醸しだしているからだ。

 では、経済の中心はどう変化したか。例えば、国外との交易の中心は港である。そこには港湾業務に関わる荷捌きや保管などの専門家集団が存在している。

 これに対し、国内の商取引、とくに見落としがちなのが駅を中心とした商圏活動である。鉄道を中心とした人の流れのハブに、常にビジネスの機会が存在することを見抜いた先人たちの知恵には驚かざるを得ない。

 歴史をさかのぼれば日本最初のターミナル駅に隣接した百貨店は1924年開業の阪急百貨店(梅田本店、現在の阪急うめだ本店)である。創業者の小林一三が考えていたのは、鉄道は乗客を運ぶだけでなく、消費を創造する装置という発想である。そのため、人の流れが集中するターミナル駅に隣接する形であらゆる商品を購入することができる百貨店をつくった。それが後に私鉄系ターミナル百貨店モデルとして発展したのである。

 その後の日本のターミナル百貨店の発展は私鉄により、全国各地で展開され大成功を収めた。ニーズは全国共通である。一方、私鉄は地域ごとに分かれている。この棲み分けが多くの場合、同業者間競争よりも私鉄各社を各々の市場開拓に集中させたのである。

 1990年代に米国に留学した際、経営史の教授が郊外型の大店舗やコンビニの展開とは異なるターミナル駅隣接型の消費を作り出した日本型ビジネスについて解説していた。彼には、帰宅途中の勤め人が駅ビルの地下で夕食用の総菜を購入して帰るという行動が新鮮な驚きだったようだ。

 2000年代以降は隣接ではなく駅ナカ開拓がフロンティアになる。2005年、JR東日本が「エキュート」を展開し始めた。これは何十年もの間、乗客を「通過客」として見ていた視点から「滞留客」へと変える大きな発想転換である。

 その結果、より利便性を求める「滞留客」は改札内で全てを済ませようという行動に自然に誘導され、駅ナカが急速に発達したのである。

 さて、興味深い点は、この駅ナカの各店舗がかつての城下町の様相を呈している点である。駅ナカには城下町同様、全国あるいは藩内各地からの名産品が集まっている。さらに、例えば「東京駅限定」などの限定商売も盛んである。

 消費者行動も似ている。人々は城下町では買い物の合間に天守閣を見上げたが、現代では電光掲示板で発車時刻を見ながら買い物をする。駅ナカの各店舗が支払うテナント料はさしずめ地代といったところか。

 こうして本来は「通過」するだけの場所が「滞留」する場所として新しい機能を獲得した結果、そこに次々と駅外の多様なビジネスが流れ込んできた訳だ。

 それでも駅の外と内には「改札」があり境界を確定していたが、近年ではタッチ決済が進展した結果、改札の心理的ハードルがほぼ消滅したと考えることもできる。とくに大都市圏の通勤客にとっては毎日2回必ず通る場所である。テナント側は「集客」という仕事をする必要がなく、販売・マーケティングに集中できる。

 という訳で、筆者も東京駅を利用する時は、多少割高と感じても時間と利便性、「〇〇限定」の言葉にはつい心が動く。そして乗車運賃の他にささやかな年貢を支払う日々が続いている。

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