大きく食い違う日米のTPP影響試算2016年6月15日
東京大学教授鈴木宣弘
2016年2月4日のオバマ大統領のTPP署名から105日後という、法律で決まった手続きどおりに、5月18日に、米国の政府機関、国際貿易委員会(ITC)がTPPの米国への影響試算を公表した。日本政府の試算と比較して、両政府の影響試算の整合性について、東京大学の鈴木宣弘教授に解説していただいた。
米国政府の試算では、米国の実質GDP(国内総生産)は0.15%(4.7兆円)しか増えず(2032年時点でTPPがない場合との比較で)、農業・食品分野は日本への4千億円(全体で8千億円の半分)の輸出増加に支えられて生産・雇用が増えるが、製造業は生産も雇用もマイナスというものである。オバマ政権が推進する一大政策に水を差す試算結果を政府機関が冷静に公表した米国には敬意を表したい。
かたや、我が国では、2015年のクリスマスに、「TPPはバラ色で農業の損失は小さい」ことを示せとの指示に従って、GDP増加を当初試算の4倍(13.6兆円)に水増しし、農業の損失を1/20程度(1300~2100億円)に縮小した政府の再試算が公表された。前代未聞の露骨な数字操作を行わざるを得なかった関係者には同情するが、米国の姿勢と比較すると、何とも恥ずかしく、情けない。しかも、いくら政府が言い張っても、日本のGDP増加が水増しで農産物被害が過小であることが米国の試算結果から一目瞭然に読み取れてしまう。
◇ ◇
農産物の主要品目についてみると、まず、コメ輸出の23%増加は、現行の77万トンのWTO(世界貿易機関)枠の外に米国向けの7万トンの新しいTPP枠を設定し、77万トンの枠内にも6万トンの中粒種・加工用限定の実質的な米国向け枠(6万トンの8割)を提供する、との合意に基づく増加を見込んだものである。
この6万トンは米国枠と協定に書いたらWTO違反になるので文書には残せないが、当初から米国枠として設定したことは公然の秘密であった。すでに従来の77万トンの約半分(36万トン)が米国枠なので、TPPによる枠外(7万トン)と枠内(6万トン×0.8)の追加分を加えると、米国には毎年約50万トンの対日輸出が保証されることになる(追加分はSBS=業者間の売買同時入札方式なので確約されるわけではないが)。自由貿易なら米国がこれだけのコメ輸出を日本に確保できるとはかぎらないから、米国にとってはおいしい話だ。
小麦については、カナダ産との競合で日本向け輸出が減少するとしているが、小麦は用途別に国別の棲み分けができているので、このような減少が生じる可能性は実際には小さいように思われる。
牛肉は、日本政府の生産減少見込み額の約2倍の923億円の輸出増加を見込む。現状の1.5倍以上に日本向け輸出が増えることになる。乳製品では、日本政府の生産減少見込み額の約3倍の587億円の輸出増加を見込む。鶏肉にいたっては、日本政府の生産減少見込み額の約10倍の217億円の輸出増加を見込む。
◇ ◇
豚肉については、2032年時点では、TPPがない場合の約8%増の231億円の増加で、日本政府の生産減少額見込みの169~332億円の範囲内と、控えめな見込みとなっている。日本政府は、現在コンビネーション輸入(価格の高い部位と安い部位を組み合わせた輸入)で、輸入価格を1kgあたり524円、関税を22.53円に抑制して輸入している業者が、50円の関税を払って安い部位の単品輸入を増やす可能性は小さい(1割程度)から、影響は4.3%の関税がかかる1kgあたり524円以上の豚肉がほとんど、との形式論を展開している。米国政府も、しばらくの間は、現在定着しているコンビネーションが継続すると見込んでいるということである。ただし、長期的には、50円の関税を払って安い部位の単品輸入を増やす業者が増えると見込んでいることに留意したい(ITC試算の解釈について木下寛之JC総研顧問からコメントをいただいた)。
いずれにせよ、米国だけで4千億円の輸出増に加え、カナダ、オーストラリア、メキシコ、ベトナムなどを含めたら、少なくとも、この2倍くらいにはなるだろうから、日本の国内生産の減少額が1,700億円前後ですむとは、到底考えられない。輸入増加分に見合うだけ、大幅に日本の需要が増えない限り、日本の農業生産が輸入増加分だけ輸入に置き換わってしまわざるを得ないからだ。「影響がないように対策をするから影響はない」と言い張る、我が国の農業生産減少額の見込みは過小見積もりだと言わざるを得ない。
◇ ◇
日本政府の影響試算については、政府の中にあっても、何とか日本の食料と農業を守るために頑張ってきた所管官庁も苦しんだと思う。当初は4兆円の被害が出ると試算していたが、政府部内での影響が大きすぎるとの批判に応じて3兆円に修正した。それが今回は1,700億円程度になってしまった。まったく整合性のない数字を出すにあたって、所管官庁内部でも異論はあった。
しかし、いまや抵抗力を完全に削がれてしまった感がある。今の官邸は、反対する声を抑えつけていく手口が巧妙だ。霞が関については、事務次官人事を官邸が決めることにしたのが大きい。「これ以上抵抗を続けると干される。逆に官邸に従えば、昇進の目が広がるかもしれない。そして昇進の暁には官邸と米国と財界のための『改革』を仕上げます」ということである。いよいよ所管官庁自体の自壊も含め、農業と農業関連組織を崩壊させる「終わりの始まり」だ。対応を誤ると取り返しのつかないことになる。
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