【改正議論の神髄】みどり戦略土台に 基本法見直しは経済法の観点で 東京大学名誉教授・谷口信和氏(1)2023年2月14日
食料・農業・農村政策審議会基本法検証部会による各論的な検討が進んでいる。そこで「基本法の見直しの真髄とは何か」をテーマに東京大学名誉教授の谷口信和氏に寄稿してもらった。
谷口信和
東京大学名誉教授
簡単なことを難しく説明できるのが「官僚的答弁」の特性なのだが、ここでは井上ひさしの名言にならって、「むずかしいことをやさしく」説明することにしたい。
基本法検証部会による基本法の検証は1月27日に8回目を終え、間もなく各論的な検討から6月のまとめに向けて議論の総合的な整理に移るようである。毎回の会議で配布される農水省の文書は「食料・農業・農村をめぐる情勢の変化」の名称で統一され、第1回の「食料の輸入リスク」から、第8回の「農村の振興」のように副題が付され、末尾に「3.論点」として【ポイント】と【論点】を合わせたスライド1枚が配置され、農水省の基本姿勢が提示されている。
これらをめぐって委員から活発な意見表明がなされてはいるものの、残念ながら「農政のターニングポイント」を彷彿とさせるような「冷静だがつかみ掛らんばかりの激論」が戦わされているようにはみえない。農業ジャーナリズムではそれなりの議論が行われてはいるものの、一般ジャーナリズムを含めた「広く国民的な議論」が展開されているとはいえない。
そうした中で、毎週月曜日のJAcomに掲載されているコラム「森島賢・正義派の農政論」は2022年10月11日から2023年1月30日までに合計7回にわたって、短いながらも食料安全保障と基本法の見直しに関して最も根源的な問いかけを行っている。本稿ではそれらの鋭い問題提起に触発されながら、基本法の見直しをめぐる六つの論点を提示することで、基本法改正の枠組みに関する議論に一石を投じることにしたい。
後追い的かつ拙速な見直し議論に懸念
ところで本論に入る前に基本法の検証に至るまでのわずか2年半で重要な計画や戦略が相次いで「バラバラに」提起されてきたことの意味を確認しておきたい。2020年3月には「基本計画」が策定され、食料自給率2030年目標45%が閣議決定された。そのほぼ1年後の2021年5月には農水省の戦略本部で「みどりの食料システム戦略」が決定され、2050年のカーボンニュートラル目標の具体化(農水省版)が図られた。そして、さらに1年後の2022年5月には自民党の農林水産関係合同会議の中間取りまとめで「食料安全保障の強化に向けた基本法の見直し提言」が出され、これらを受けて2022年10月から農水省の政策審議会基本法検証部会での検討が始まったからである。
つまり、第1に、基本法に基づく基本計画が2030年目標を決定した直後に、みどり戦略がそれより長期の2050年目標を決定するといった錯綜した計画の策定となっている点が尋常ではない上に、第2に、2022年2月のウクライナ戦争勃発という重大事態の発生が緊急の食料安全保障対策の実施のみならず、基本法の見直しにまで踏み込んだ農政転換を求めており、基本法と基本計画自体の「機能不全」を白日の下にさらけ出してしまったのである。
しかし、同様のプロセスをEUについてみると日本とは若干異なった様相がみえてくる。第1に、EUでは2019年12月の欧州グリーンディール公表(2050年カーボンニュートラル宣言)→2020年5月農場から食卓へ戦略公表(欧州版みどりの食料システム戦略)→2021年2月CAP改革案合意→加盟国別の農業政策策定と秩序だった政策体系の構築が図られている。
第2に、2006~08年の世界食料危機への対応の過程ですでに食料安保の量的な側面についての課題は解決されており、ウクライナ戦争を契機として、農業生産資材(一部の家畜飼料・肥料原料)の調達をめぐっての新たな問題が発生したものの、「主要農産品・畜産品がほぼ自給されている状況の下にあるEUでは食料安全保障に関する懸念はない」からである(参考文献④の図書に収録されている石井圭一論文参照)。
以上のように、日本では食料安全保障の強化に向けた基本法の見直しは著しく後追い的かつ拙速に行われていることが懸念されるのである。
論点1.なぜ農基法も現行基本法も機能しないのか
1961年に制定された農業基本法はすでに1967~70年には死に体(レームダック)化していた。それは、一方で現実の推移が農基法の想定と大きく異なっていたからであり、他方で農基法が理念法にとどまり、情勢変化に柔軟に対応する経済法たることができず、具体的な農業政策をリードすることができなかったからである(絵に画いた餅に終わった)。
1999年に新法として制定された現行基本法は農基法の失敗を踏まえて、基本法=理念法、現実の法律・政策(基本計画)、年度予算の3本立ての政策体系を採用したが、ここでも第1に、基本法は重大な情勢変化があったにも関わらず、一度も改正されることなく今日に至っており(2001年のBSE発生、2006~08年の世界食料危機、2020年以降のコロナパンデミックへの対応がなかった)、第2に、基本計画も単純に5年に一度策定されるだけで、上述の急激な情勢変化への対応がなされていない点では基本法と何ら変わりがない上に、第3に、三つの政策の間の関連が不問に付されたまま、農政は時々の情勢に合わせて融通無碍(むげ)に変化してしてきた。
そのことは日本の農政に「猫の目農政」というレッテル貼りを許すことになった。逆に言えば、3本立ての政策体系の意義を認めた上で、それらが常に国会での審議を経て、急激に変化する内外情勢に機敏に対応できる柔軟な経済法の役割をもつように位置づけられることが求められるといえよう。
論点2.今回、基本法の見直しを余儀なくさせた要因
今回、現行基本法に食料安全保障の強化を求める意見が政府・自民党から出された背景としてはウクライナ戦争の勃発という安全保障(防衛)をめぐる国際環境の激変=危機が大きく作用していることは疑いがない。しかし、これでは事態の一面しか捉えられず、あるべき方向を正確に見定める上では不十分である。
今回の危機は2000年以降の新自由主義的グローバリゼーションにともなう三つの危機のうちの分断と対立の危機の発現であり、米国発のグローバリゼーションと中国発のグローバリゼーション(一帯一路)がウクライナの地で交錯したところで発生したものである(図1)。2021年7月6日に中国・武漢からウクライナ・キーウに向けた貨物列車の直行便が初到着したこと、2022年4月にウクライナから初出荷された穀物の4割が中国向け(トウモロコシ)だったことはそうした事情を端的に物語っている。

グローバリゼーションは宇宙船地球号=地球存亡の危機の土台となる気候危機をもたらすとともに、コロナパンデミックを惹起(じゃっき)することを通じてグローバルサプライチェーンの機能不全による世界食料危機の導火線となったが、ウクライナ戦争勃発はそれを加速化したものである。したがって、食料安全保障の確立には新自由主義的グローバリゼーションへの反省・批判・脱却のプロセスが不可欠であり、そこでは土台(入口)としての気候危機対応(みどりの食料システム戦略)とともに、出口としての食料自給率向上が必須の課題となる。
その際、日本においては畜産物と飼料用穀物の自給率向上=単純な新自由主義的農産物貿易論からの決別の必要性があるといえよう。したがって、基本法検証部会の第1回会合への農水省の提出文書の副題が「食料の輸入リスク」となっていたことは問題の出発点の正確な把握に至っていないことを示したものに他ならない。
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