農政 シリーズ詳細

シリーズ:時論的随想 ―21世紀の農政にもの申す

【梶井 功 / 東京農工大学名誉教授】

2013.06.07 
(74)TPP参加で所得倍増はできるのか?一覧へ

・6次産業化に過大な期待
・党の問題意識とのズレ
・「夢」でごまかす“倍増”宣言

 4月17日、安倍首相が東京都内で講演、農業分野などの成長戦略について「攻めの農林水産業」を柱に、"正式に「農業・農村の所得倍増目標」を掲げる"と宣言した。

◆6次産業化に過大な期待

 アベノミクスや輸出で農業・食料関連産業の生産額を年率2%で成長させるとし、10年後には農業生産額は12兆円に増え、コスト削減と6次産業化利益の農村への還元で、今、3兆円の農業所得を6兆円にする、というのである。 6次産業化に大きな期待を寄せ、農産物加工や直売に加え観光・医療・福祉などとの連携を促進、“現在1兆円の6次産業化市場を、10年間に10兆円に拡大していきたい”と強調した。

◆党の問題意識とのズレ

 この、「農業・農村の所得倍増目標」、首相の創案ではない。4月25日の自民党農林水産戦略調査会・農林部会合同会議で、“強い農業づくりビジョン”と施策の構築についてとりまとめた「農業・農村の所得倍増目標10ヶ年戦略」を首相が“正式に”政策とすると“宣言”した、ということであり、同「10ヶ年戦略」には次のように書かれていた。
 “農業・農村は、国民に食料を安定的に供給しつつ、美しく豊かな自然や国土を守り、日本の伝統文化を育んできた我が国発展の礎である。一方、農業者の高齢化(平均66歳)、農業所得の減少(20年間で半減)、耕作放棄地の増大、過疎化が進展するなかで、農業・農村の再生は待ったなしの状態である。
 我々は、経営規模の大小や主業と兼業の別、年齢による区別なく、地域総参加で地域全体が活力に満ち、産業として成り立つ強い農業・農村政策を総動員し、現場の力を最大限に引き出すことで、自給率・自給力の向上と、地域や担い手の所得が倍増する姿をめざす。
 続いて、“今後10年間で担い手利用面積が全農地面積の8割となる効率的営農体制”“農商工連携・地産地消・6次産業化の市場規模を2020年までに1兆円から10兆円に拡大”“今後10年間で飼料自給率1.5倍増”等の政策が語られ、“日本型直接支払い制度の創設”が書きこまれているが、重要なのは合同会議冒頭に中谷農林水産戦略調査会会長が、“本日の政策はTPPと切り離した強い農業をつくっていくためのビジョン…である”と語ったことである。「TPP対策に関する決議」で、“聖域(死活的利益)の確保を最優先”すべきことを主張してきた自民党としては「聖域…確保」を前提にしてのビジョンづくりだということであろう。

◆「夢」でごまかす“倍増”宣言

 が、安倍首相の“宣言”には、TPPと関連するようなことは何も入っていない。それどころか、“中国がTPP交渉への参加を検討していることについて「(中国が)TPPの高い要求を満たす用意があり、その上で正式に参加表明する場合に(TPP)参加国がこれを判断することになる」と述べ、高い水準の自由化を受け入れることが前提との認識を示した”(6・4付日本農業新聞)という。首相の認識は、日本は“高い自由化を受け入れた”という認識なのであろう。TPPで「関税を撤廃した場合の経済効果についての統一試算」でも農林水産物で3兆円の減、食料自給率27%に低下となるという問題、農水省試算では農産物生産減4兆1000億円、食料自給率14%になるという大問題ついての配慮など全くなしに、「農業・農村の所得倍増目標」を“宣言”しているのである。首相のこの“宣言”は、TPP参加が農業・農村に壊滅的な打撃を与えることになるという多くの人が持っている危惧を、夢を与えることで誤魔化そうとする“宣言”というべきだろう。5月28日の経済財政諮問会議で、“伊藤元重東京大学教授ら民間議員4人は「グローバル化について」とする文書を提出。日本の課題として「資源と食料を自足できない」ことを挙げた。経済連携協定などを通じ、安定して輸入できる構造を作り上げることを大前提に、食料は「保護でなく徹底した国内農業の競争力強化による生産拡大に努めるべき」と改革の方向性を示した”(5・29付日本農業新聞)。首相の“宣言”はこの“改革の方向性”を踏まえているのだろう。とんでもないことがある。
 とんでもないことである、と1人憤慨していたとき、直木賞作家野坂昭如氏の次の文章にぶつかった。
 安倍政権は、憲法改正に躍起。自衛隊の国軍昇格を言い、自前の防衛・軍事力強化をいう。戦争の歴史をひもとけば、きっかけはまず自国の民を飢えさせんがために起こる。防衛をいうならば食いものを守ってこそのことだ。日本の農を守ることこそ安全保障につながる。自前の軍事ばかり強調して、自前の農を言わない愚の骨頂。本末転倒もいいところ。(6・4付毎日新聞23面「野坂昭如の『七転び八起き』」)
 同感である。

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