農政:世界の食料は今 農中総研リポート
【緊急寄稿】ウクライナのダム決壊 世界の食料に暗雲再び 穀倉地帯の水源喪失長期化も 農中総研理事研究員 阮蔚氏2023年6月30日
ロシア軍占領下のウクライナ南部ヘルソン州の水力発電所の貯水池が破壊されたのは記憶に新しい。農業用水はもちろん飲料水やザポリージャ原子力発電所の冷却水にも使われる水資源だ。ダム決壊が今後どのように影響するのか、農林中金総合研究所理事研究員の阮蔚(RUAN Wei)氏に解説してもらった。
農中総研理事研究員 阮蔚氏
灌漑システムの水源喪失 穀物生産に長期的打撃の恐れ
ロシアによるウクライナ侵攻がウクライナ側の反転攻勢によって重大な局面を迎えるなか、6月6日にウクライナ南部ヘルソン州にあるカホフカ水力発電所のダムが破壊されて決壊、下流の街や農地が深刻な洪水被害に見舞われた。2022年2月のロシアの侵攻によって、両国の穀物輸出は一時激減、世界の小麦価格は史上最高値となった。その後、7月にウクライナ産農産物の輸出合意「黒海イニシアティブ」によって、輸出が再開され、世界の穀物需給は落ち着きを取り戻しつつあった。今回のダム破壊はウクライナの農地への被害以上に、広大な灌漑(かんがい)システムの水源喪失をもたらし、ウクライナの穀物生産に長期的に打撃となる恐れがある。世界の食料市場に再び暗雲が広がっている。
50万haで灌漑不可 農地の砂漠化リスクも
ウクライナ政府によると、ダム決壊による同国農業への被害額は100億ドル(約1兆4000億円)を超える見込み。被害算定の根拠は少なくとも1万ha以上の小麦畑が冠水し、収穫目前だった小麦が収穫不能になったことだ。これによって、シカゴ相場は一時前日比4%以上、上昇したが、被害農地が同国の小麦作付面積の約0・2%であることが伝わり、同日終値は0・5%高にまで戻した。
穀物供給への直接の影響は市場の見立て通りだろうが、カホフカダムは世界が注目するザポリージャ原子力発電所の冷却水の水源であるとともに、世界有数の穀倉地帯であるドニプロ川流域のヘルソン州、ザポリージャ州、ドニプロペトロウスク州の3州を潤す31の灌漑システムの水源であることを見逃すべきではない。この31の灌漑システムは、ヘルソン州の94%、ザポリージャ州の74%、ドニプロペトロウスク州の30%の農地、のべ58万ヘクタールに水を行き渡らせ、ロシアによる侵攻前の2021年には約400万㌧の穀物と油糧種子を生産、ウクライナ全体の4%を占めている。ダムの決壊によって少なくとも50万haの農地は灌漑不可となり、農地の「砂漠化」リスクがある。ウクライナ政府は「灌漑システムの復旧には3~7年かかる」と予想しているが、それは平時の復興ペースで、ロシアによる侵攻、攻撃が続くなかでは、復旧にはもっと時間がかかるだろう。
世界穀物市場 揺れる不安要素
ウクライナで失われる400万トンは2021年の世界全体の小麦とトウモロコシの輸出量の1・0%にとどまり、世界の穀物供給への影響は限定的といえる。だが、世界が懸念しているのは、ダム決壊が影響しているこの400万トンにとどまらないことだ。それによって黒海からの穀物輸出全般が再び停止してしまうリスクが浮上してきているからである。実際、ロシアのプーチン大統領は「黒海イニシアティブからの離脱」の可能性をちらつかせており、国連のグリフィス事務次長(人道問題担当)は6月13日に、カホフカダムの決壊について、「世界の食料安全保障に大きな影響」を与えると述べた。
ウクライナ産穀物の黒海からの輸出を保証するロシア、ウクライナ、トルコ、国連の4者合意である「黒海イニシアティブ」は7月17日に3回目の更新日を迎える。問題は、ロシアが同イニシアティブと併せて締結されたロシアの穀物や肥料の輸出を支援する3年間の協定が履行されていないと、強い不満を持ち、黒海イニシアティブから離脱しようと表明したのである。ロシアの輸出品のうち、食料・肥料は主要国の制裁対象になっていないものの、ロシアの主要な穀物・肥料輸出企業は国際決済や物流、保険に関して主要国側の厳しい制限措置を受けており、結果的にロシアの食料・穀物輸出が滞っている。
肥料供給網 破壊の影も
ブラジルはじめ世界の穀物大国の豊作によって、ロシアの輸出落ち込みは見落とされているが、侵攻から1年以上が経ち、経済的に厳しさを増すロシアにとって、またロシアの農民にとっても穀物輸出の全面再開は今、最も望んでいることと言って過言ではない。
一方、ダム破壊のニュースに隠れてあまり目立っていないが、ロシアからウクライナ最大の輸出港、オデッサまで延びる全長約2500kmの肥料用アンモニアを輸送するためのパイプライン(黒海からの輸出用)の一部が6月5日夜に何者かによって破壊された。このニュースはロシアとウクライナの両国が公表している。言うまでもなく、この種のパイプラインは世界でほぼ唯一のものとして世界の肥料供給にとってきわめて重要な機能を持っているが、昨年の侵攻後休止中であり、ロシアは交渉の中で再開を主張してきた。ロシアはパイプラインの破壊が黒海穀物合意の延長に「悪影響しか及ぼさない」と断言している。
ロシアの黒海合意からの離脱は世界の小麦輸出量の25%以上を占めるウクライナとロシア両国の輸出に深刻な打撃を与え、世界穀物市場は昨年のロシアの侵攻時のような不透明かつ不安定な状況に戻る恐れがある。グリフィス国連事務次長の発言は実はそこまで想定したものと見るべきだろう。カホフカダムの破壊は悲惨な洪水被害に止まらず、負の連鎖を通じて、ウクライナ発世界食料危機の第2幕を開けてしまうのかもしれない。
グローバルサウスへの視点不可欠
最も大きな被害を受けるのは、ロシアとウクライナの小麦輸入に依存しているアフリカや中東などの途上国であり、これらの国はロシアの化学肥料も大量に輸入している。主要国が自国の食料安全保障を確立する努力を進めるだけでなく、グローバルサウスへの視点、支援も忘れるべきではない。
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