農政 特集詳細

特集:守れ! 命と暮らし この国のかたちを

2015.07.21 
【地域からの提言】命・環境・文化の母胎 守る農業こそ本命一覧へ

農民作家 星 寛治

特集にあたって:TPP交渉は7月末の閣僚会合での大筋合意に向け、日米両政府は前のめり姿勢を強めている。交渉が重大局面を迎えるなか、本紙は特集「守れ! 命と暮らし この国かたち」を企画した。TPP協定は農産物の関税撤廃のみならず、食の安全、医療など各国固有の制度をも改変しかねない広範な分野に及ぶ。狙いはグローバル企業の利益であることは明確で、構図は「多国籍企業VS諸国民」(田代洋一教授)だ。それゆえ日本に限らず各国の主権、そして「国のかたち」にも重大な影響をもたらす。特集は10月のJA全国大会に向け一層の議論が必要な農協改革も含め、私たちが直面している重要局面の意味と危機を大きな枠組みで捉え実践に活かそうと企画した。その実践は地域からしかない。星寛治氏の提言をかみしめたい。

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【写真:JA全中提供】盟友の元気で中山間地守る。群馬県渋川地区(JA北群渋川、JA赤城たちばな)の若手生産者とJA職員。こんにゃくとそばで中山間地を守る。女性農業者も地元JAの青年部員だ。左はJA全青協の天笠会長。

 有機稲作42年のわが家の田んぼに、今年もヘイケボタルが群れ翔ぶ季節が訪れた。ところがこの春、周辺の田が一気に牧草地に変わってしまった。5戸の農家が米つくりを諦め、酪農家に貸してしまったからである。所有者の事情は、夫々少しずつ違うが、要因は高齢化と後継者の不在にある。その内1戸は、地元の中堅農家に委託してきた圃場を返却されたものだ。受託者は、昨年の米価の急落で採算割れの状態だという。作り手が減って、用水路の管理もままならない感じだ。
 ところで、幼虫が田んぼに生息するヘイケボタルが、周辺環境の変化で今年も飛び続けてくれるか気懸りだった。薄暮に軽トラを畦道に停めて、夜の帳が降りるのを待った。やがて稲の葉先や畔草にポツポツと小さな青い灯が点った。そして華麗な舞いを見せ始めた。残されたこの田んぼに、蛍は棲み続けていた。
 翌朝、水の管理に行って、稲を失くした山裾の田んぼを眺め、私の胸は痛んだ。高齢化の波は、かくも劇的に村の風景を変えつつあるのだ。加えて、TPPの予行演習のような低米価と、それに追い打ちをかけるような「地域消滅論」の心理的ダメージが、中山間地の農家を稲作からの撤退へと追い詰めている。
 一方、基盤の整った平野部の美田地帯で、集落営農や法人化した大規模経営も、生産費を割り込む極端な低米価に苦戦している。加えて、アベノミクス効果の円安で、輸入生産資材(肥料、飼料など)が高騰し、経営の維持発展に黄色・赤信号が点り始めた。
 長く守秘義務を楯にして、十分な情報開示もせずに進めてきたTPPの政府間交渉が、ここにきて急転廻の雲行きである。多くの国民の疑念と反対の意思表示がある中で、場合によっては国会決議さえ飛び越して米国に大幅譲歩し、早期妥結を図ろうとする背景は何なのか。その内容いかんでは、この国の農業農村に致命的な打撃を与えるのは必至だ。とりわけ、米・畜産は、生産基盤と経営を維持することさえ困難になろう。そして地域社会そのものが、崩壊の危機に直面しかねない。

 戦後70年の節目に、違憲の集団的自衛権の法制下を強行する安倍政権の同じ手で、新自由主義の象徴のようなTPPの具現化が図られようとしている。この国のかたちさえ変えてしまう多面的な改変に無防備のまま、多国籍企業が主導するグローバリズムの海に漕ぎ出そうとしている。就農して61年、幾多の曲り角や峠を越えてきたが、TPPの大津波はその比ではない。まさしく存亡の危機だととらえている。目を凝らせば、誰でも予測できる食と農が被る空前の受苦を、軽減し快癒する有効な手立ても講ぜぬまま、自助努力で打開せよと突き放されている感じなのである。たてまえ論としての「攻めの農業」は、財界主導の規制緩和と市場原理を丸呑みし、農地法によって確立された自作農主義を捨てて、大胆な農地の集積をめざす。すでに稼働し始めた農地バンクは、大規模な経営体への貸与を進め、生産の効率化とコストダウンを図る筋書きである。しかもその産物は市場競争力と附加価値を高め輸出を拡充し、成長産業として発展させるという。現場感覚からすれば、まさに絵に画いた餅である。私たちの本分は、外国の富裕層に資するためでなく、国民の、とりわけ勤労市民の生命(いのち)と健康を支えることにある。

 だが動き出した攻めの農政の土俵では、伝統的な家族農業や、小さな自給農家は埒外である。国内農業生産の80%を大規模な経営体に委ねる構想からは、家族農業の砦である農協は、強固な岩盤と映るらしい。とくに全国農協中央会が担う反TPPなどの農政運動と、組織的指導力を敵視し、強引に「農協法改正案」を通し、全中を社団法人化しようと目論む。自立と互助の理念を以って公正な社会の実現をめざす協同組合を解体する政策は、国際社会の流れに逆行する。
 私たちは、定点に根を張り、人々の生命(いのち)と健康を守り、地域の環境を保全し、感性豊かな文化をつなぐことを本分としてきた。そこに脈打つのは、人々が助け合って生きる温かさと、しなやかな強さである。自然に溶け込み、その巡りの中でいのちを育み、その恵みを頂き、あたりまえの暮らしに自足してきた。ほどほどの貧しさにも耐え、簡素で心ゆたかに生きる田園の幸せを享受してきた。ところがこの国のリーダーたちは、成長神話の下で限りなく欲望をふくらませ、競争に打ち克って生き残る道を指し示す。それは工業の論理かも知れないが、農の世界の物差しにはそぐわない。天と地の理法(ことわり)と巡りの中で、生きとし生ける生物と共生しながら、いのちの糧を産む営みだからである。
 だから、人口減少が進み、地域力が衰える流れの中でも、人々はどっこい生きている。そして、もう一度回生の烽火(のろし)を上げなければと考え始めた。ここ山形県置賜地方でも、2年前から3市5町(人口23万人)の住民有志が立ち上り、各界のリーダーが連携して行政にも働きかけ、「置賜自給圏構想」を推進しつつある。法人化した推進機構は300余名の会員を擁し、資源、エネルギー、地産地消、食と健康、有機農業、教育、人材育成などの分野で、課題とめあてを定め、実践へと踏み出した。上杉鷹山公の藩政改革の歴史に学び、また、北前船と最上川舟運の交易と文化交流の跡をたどり、現代の地域自立の道を拓こうとする。新しいローカリズムの胎動といえよう。
 また、原発事故によってふるさと総体を奪われた福島県で、二本松市東和地区では、農民と市民と、科学者の共働の力で、丹念な調査活動と農耕実践を積み、放射能に克つ土の力を実証した。とくに長年堆肥を投入し、腐植の豊かな熟土では、セシウムを吸着する機能性が高く、作物への移行係数を抑制する効果が大きいことがわかった。その実績をもって、「NPO法人ゆうきの里東和ふるさとづくり協議会」の菅野正寿さんを中心とする仲間たちは、村の伝統的な底力と新たな創造を結合させ、めざましい復興を遂げつつある。桑畑の再生や、多彩な加工品を生み出し、人と仕事と場所性の魅力によって、都市々民を引き付けている。台所や納屋の工房だけでなく、昨年はワイナリーも開業し、個性的な農家民宿も次々にオープンした。そうした主体的な村づくりに呼応し、都会からの移住者も後を断たない。まさに東北の希望である。
 いま「消滅市町村論」が喧伝される中で、若い世代を中心に「田園回帰」の流れが湧き起こっている。その向かう先は、これまでの通念を覆して過疎化が進む中山間地や離島が多い。何よりも豊かな自然と、住民の善意やおおらかな人間味が引力になっているようだ。移住後はまず暮らしの自給を実現し、やがて地域資源を活かして仕事を創り出す。その場合、行政や住民との良い関係が必要だ。
 JAが6次産業化を推進するモデルに、新潟県阿賀野市笹神地区がある。その背景には、リーダーの石塚美津夫氏の信念を持った取組みと、生協との協同組合間提携がある。基本にあるのは信頼の絆だ。
 私の高畠町には、食品製造の地場産業が20社ほど操業している。北緯38度線の風土に立地する稲作、果樹、酪農、野菜の地域複合農業と結んだ食品産業は、あの世界的な経済不況の波をのり切り、地域経済を支える力となった。また2000戸の農家が環境農業に取り組む町内に、最近20代の若い就農者が相次ぎ誕生した。また在学中の学生でも、卒業後は就農を志す若者が続いている。殆んど有機農家や酪農家の子弟たちで、数年後は20数名の担い手が誕生する見込みである。多難な状況をのり越えて、楽しく前向きに生きようとするイエやムラの先輩の背を見て、彼らは人生を選択しようとしている。その明日のために、私たちは課せられた役割とは何かを真摯に考えたい。
 これまでの40年に及ぶ有機農業運動と提携活動、そして地域づくりを踏まえて、私たちがめざすのは、価値観によって結ばれる生命共同体の創出である。生命と環境を何より大切にし、等身大の技術を以って自己実現に近づき、更に小さな力を結び合って人間の尊厳を貫く社会的実現へとつなげたい。そこは、公正な社会をめざす協同組合運動の到達点に他ならない。すでに半世紀前に一樂照雄氏が示唆した地平である。

 今年は、国連の定めた「国際土壌年」である。異常気象が農業生産の大きなリスクとして立ちはだかるとき、長年堆肥を施し、培ってきた熟土は、作物の抵抗力を育み、安定した作柄をもたらしてくれる。さらに福島の実例が示すように、放射能に克つ底力さえ秘めている。まさに豊沃な大地こそ、永続する地域社会の母胎である。3・11から4年4か月、原発大事故による汚染物質の処理や、避難者の帰郷の目途さえ立たぬ中で、国は各地の原発稼動に踏み切った。地震列島の明日が心配である。
 けれど、歴史的な文明の転換点に立って、西欧を中心に人類社会は、脱成長を基調とした成熟社会へと動き始めた。都市と農村、風土や文化、或は国家の垣根さえ超えたローカリズムの連携が、地球温暖化、食料危機、社会格差、地域紛争などの今日的課題を打開するほんとうのグローバリズムの潮流を形成すると信じたい。国連はもとより、世界100ヶ国が参画する国際協同組合連盟(ICA)も大きな拠り所である。自治体や単協の一員として、各地で献身的な活動を続けるNGO・NPOなど、人間愛にみちた草の根の力とも結び合って、地域主権の新たな地平を共に拓いていきたいと切望している。
 来たるべき生命文明の根っこの所に、生存基盤を成す食と農がある。いのちの連鎖に希望を託し、一日、一日を大切に生き続けたい。

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