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特集:農業協同組合研究会 第12回研究大会

2016.06.10 
農業協同組合研究会 第12回研究大会(4)【報告】太田原 高昭・北大名誉教授 農協合併のこれまでとこれから一覧へ

 農業協同組合研究会(会長=梶井功東京農工大名誉教授)は5月28日、東京都内で改正農協法と農協合併について、報告とディスカッションを行った。太田原北大名誉教授は、現在の農協改革は大規模合併と組織2段階を打ち出した1991年の第19回全国農協大会決議の実践の途上にあると認識すべきだと提起した。(報告要旨の文責は編集部)

【報告】太田原 高昭・北大名誉教授 農協合併のこれまでとこれから

【報告】太田原  高昭・北大名誉教授 農協合併のこれまでとこれから 農協の歴史はまさに合併の歴史。発足当初の合併は1町村1農協が目標だった。しかし、戦後は町村自体が合併していくため農協はそれを追いかけてまた合併していった。農協組織は全国、都道府県、市町村という3段階組織だったが、これはいうまでもなく行政組織に対応したものだった。
 むしろ農協そのものが「制度」に内部化されていたといえる。行政の下請け機関と言われるが、それは悪いことではなく食管制度があったためだ。国民を飢えさせないよう責任を持って米を供出するといっても行政にはそれができないから、農協が責任を持つかたちで協同の力で取り組んだ。その後、減反政策が始まるが、これも農協でなければできないことだった。行政と農協のタイアップが続き、これが1町村1農協となった。
 ただ、農協は事業体だから1町村1農協が適正規模であるかといえば、そこは制度と規模に矛盾が生じることになった。

◇    ◇

 その後、専門農協と総合農協の合併などの歴史を経るが、なかでも画期的意味を持つのが1991年に「組織・事業改革」を打ち出した第19回全国農協大会決議である。初めて組織2段階制と広域合併が打ち出された。
 全国で強い反対の声も出たが、結果として農協合併は進んだ。その背景にはバブル経済崩壊で銀行も相当な不良債権を抱えていたが、農協も決して例外ではなかったということ、また当時UR交渉はまだ終わっていない段階だったが、すべて関税に置き換えるというURの目標からすれば、日本の食管制度は持たないだろうことが見込まれていたのではないか。
 それが今までの「制度」としての農協から脱皮し自己完結的な大規模広域農協という動きになっていったのだと思う。県連も全国連に統合する2段階化の方向になった。 今、農協の自主改革が求められているが、そのスタート地点は1991年に置かなければならないのではないか。4半世紀も前のことだが、このときに打ち出した目標はまだ実現していない。
 単協は自己完結的な経営が果たして成り立つのか、まだ成り立っていないから、さらなる合併が続くのではないか。県連も7経済連が残っており信連は始まったばかりといってもいいほどだ。
 これは進行途上の改革だとみなければならない。逆にいえば農協組織は長い時間をかけ、これだけの大改革に挑んでいるのであって、そこに政府による農協改革など余計なことだということだろう。われわれとして改革に取り組んでいくということでいいのではないか。
 ただ、実際の合併は多様で1県1農協もあれば、十勝ネットワークのように十勝地域の農協が合併はしないものの、品目や事業ごとに連携しているというかたちもある。
 また、今後の合併を考えるなかでは何が適正規模かを考えることも必要だろう。それは信用事業の規模の問題だけでなく生産拡大、所得拡大に役立つための産地を形成する視点での合併も必要ではないか。
 同時に合併によって規模拡大することで「経営」と「協同」をどうつなぐかも課題となる。それを解決するための活動が支店での協同活動と集落営農の組織化だと思う。 自己改革の成果をどんどん上げていくこの5年間が勝負だろう。

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