まだ貧しかった農家の暮らし-1954年のこと-【酒井惇一・昔の農村・今の世の中】第136回2021年2月11日
「豊年と 騒いでみても 五段八畝」
1950年代、島根県のある農家の若い嫁さん、笹本英子さんの歌った川柳である(注)。
五段八畝、今の単位でいえば60アール弱だ。たしかにこれだけの土地では豊年といってもたいしたことはない。しかし、島根県の当時の一戸平均経営面積よりちょっと低い程度、二毛作もある程度できるので、東北の稲作地帯でいえば水田1ヘクタール、これで最低限の人並みの暮らしはできたはずである。
しかし、人並みといっても、この川柳の掲載されている本の題名『日本の底辺-山陰農村婦人の生活-』と著者が表現するほどの底辺での人並み、いかにそのレベルが低かったか、想像に難くないだろう。実はこの本、私の後輩研究者で山陰出身の角田毅君(東北大教授、前にも本稿に登場してもらっている)が古本屋から手に入れたもの、読んでショックを受けて私に貸してくれたものである。
読ませてもらつて彼に言った、この本に書いてあったことがあのころは普通だった、みんなみんな貧しかったのだと。こんなところにMSA小麦の輸入が本格的に始まり、中心作物の一つだった麦がつくれなくなる、ますます農業、農村での暮らしは苦しくなる、1954(昭29)年はそれを予測させた年だった。
その54年の晩秋、子どもをおんぶした農家の若い母親が大学病院の門をくぐった。岩手の山村の医者からの紹介状を読み、子どもを診察した医者はすぐに入院させるように言った。母親は家に戻って相談してくると答えた。医者は言った。このまま帰れば子どもの命はないと。母親は子どもをぎっちり抱きしめながら、目を伏せて、やはり家に帰るという。医者は繰り返し繰り返し入院を説得した。最後には怒鳴りつけた、死んでもいいのかと。しかし態度は変わらなかった。
母親はまた子どもをおんぶして大学病院の門から出ていった。うつむいて一歩一歩地面を踏みしめながら歩くねんねこ姿の彼女はとても小さく見えた。
農家は貧しかった。遠い仙台まで来て大学病院に入院させるお金などなかった。近くの医者に診てもらうことすら大変なことだった。しかも当時の農家の嫁は家での発言権もない。入院するしないを決める権利もなかった。
彼女の姿を大学病院で再び見ることはなかった。入院させる金がないということになったのかもしれない。子どもが死んだからなのかもしれない。
この一部始終を見ていたのが、看護学生で実習に来ていた私の家内だった。自分の力で自分の子どもを救えず、涙も流せなかったその母親を見たとき、その姿に同性としての自分を重ね合わせ、世の中をもっとしっかり見つめていかなければと考えたという。その話を私なりにイメージして書いたものである。
これは極端な例ではあるけれども、当時の農家は本当に貧しいものだった。私の生家も例外ではなかった。戦前からの自作農で、当時としては山形の旧市内(54年町村合併前)でも相対的に多い3ヘクタール弱の耕地をもち、稲作と都市近郊であることを利用した野菜作をいとなんでいて食べるものには不自由しなかったし、医者にかかることもできた。しかし、稼ぎに稼いでようやく生計をまかなう程度だった。
農地改革で地主制から解放され、一定の農業保護政策がとられるようになっていたけれども、当時の農民はまだまだ貧しかったのである。
(注)溝上泰子『日本の底辺-山陰農村婦人の生活-』未来社、1958年 167頁所収
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