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復興には仁王になれ仏になれ 鈴木正三【童門冬二・小説 決断の時―歴史に学ぶ―】2021年2月20日

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復興には仁王になれ仏になれ 鈴木正三 【童門冬二・小説 決断の時―歴史に学ぶ―】

復興には"心のケア"を

鈴木正三(しょうさん)は三河国足助(あすけ)の実力者(足助城主)鈴木家の出身だ。戦国末期、鈴木家は徳川家康に属した。正三も二代目の将軍秀忠に仕え、愛想はないが誠実な人柄を愛された。大坂夏の陣に参加した正三は、豊臣家が亡びると上役に辞任を申し出た。上役はビックリした。「そんな例はない、理由は何だ」と訊いた。正三は「世の中が嫌になり申した」と答えた。上役は馬鹿々々しいと思ったが、秀忠に報告した。秀忠は父にくらべ凡将だといわれているが、心は広く温かい。

「認めてやれ」といった。さらに「旗本の籍は残しておけ、いつでも戻ってこられるように」とつけ加えた。温情溢るる扱いだ。余程正三が気に入っていたらしい。

正三は僧になった。禅僧を選んだ。諸国を行脚した。六十四歳になった時、弟の重成から頼み事が来た。弟も徳川家に仕えている。

「天草の代官を命ぜられたので手伝ってほしい」という。「何をやればいいのだ」「住民の心を安定させてほしい」。いまでいえば"心のケア"だ。正三は承知した。天草に行った。

寛永十五(一六三八)年、天草の住民は重税に反対して一揆を起した。宗教(キリシタン)闘争を起した島原の住民と一緒になり、原城に籠った。その勢力三万。全員討たれた。荒れ果てた天草の復興を命じられた弟重成は、まず他領から移民を招いた。残存していた天草の住民は心が荒れていた。

仁王になって悪を炎で焼け

渡島して状況を掴(つか)んだ正三は、まず島の入口に門を立てた。脇に仁王の像を置いた。住民に説明した。

「皆、この門をくぐれ。そうすれば仁王になる。仁王が背に立てている炎は、この世の悪に対する怒りの炎だ。お前たちも仁王と同じ気持になれ。復興に悪は許さぬ。一人ひとりが怒りの炎を立てろ」

変った説法だ。しかし皆面白がった。互いに、

「オレは仁王だ。悪いことをしやがったら、すぐ炎で焼き殺してやるからな」と云い合った。

天草は前は寺沢という大名の領地だったが、乱の鎮圧後、幕府は直轄領(天領)にした。代官鈴木重成の仕事は大名と同じなのだ。農民に米を作らせ年貢として納めさせる。課税標準は四万二千石。しかし正三はすぐ重成に告げた。

「おい、この土地で四万二千石は無理だぞ。半分の二万石がやっとだ。住民が一揆を起したのも無理はない」と乱に同情的なことをいう。

ところが重成は肯いた。

「私も同じ考えです。近く江戸に行って年貢半減の許可をもらうつもりです」

「ぜひ頼む。それが実現されれば島の連中にも張合いが出る」

一鍬ごとに念仏を

正三の指導は農耕の実務にも及んでいた。

「皆、鍬を土に打ち込む時は念仏を唱えろ」

「え」

農民たちは話が見えないので目を剥く。正三は説明する。

「一鍬打ち込むたびに南無阿弥陀仏と唱えるのだ。土の中には仏がいる。おまえたちの中にも仏がいる。鍬はおまえたちの中の仏が、土の中の仏を目覚めさせて、よい米を作ってもらうのだ」

「・・・・」

一瞬ポカンとする。が、正三の言葉には説得力があった。当時、農庶民や芸能人の中には"阿弥(あみ)"と名乗る者が沢山いた。阿弥というのは阿弥陀(あみだ)のことである。

社会の下層に位置づけられた人びとは差別された。阿弥と名乗ることによって、それに対抗したのだ。さらに自身に宿っている仏によって、

「他人に徳をほどこす」

ことを行なった。

「徳あれば隣りあり(孔子)」

で、これが民衆和合の強力な粘着力になった。正三はそれを利用した。が、正三は禅僧だ。念仏は他宗のものだ。

ところが、疑問を持つ者に正三はいった。

「お前たちの家の宗旨が何であろうとかまわぬ。仏は一人だ。それっ!」
と先に立って鍬を振う。

「南無阿弥陀仏!」

と唱えながら。農民たちも正三にならった。大らかな気持になった。

神になった正三

天草に「鈴木神社」という社がある。祭神は正三・重成・重辰の三神だ。重辰は正三の実子だが、重成の養子になってその職を継ぎ、二代目の代官になった。

神社だから祀(まつ)るのは神様だ。禅宗の仏教徒である正三はここでは神になっている。おそらく正三自身が、

「住民に寄り添えるのなら、神だろうと仏だろうとかまわない」

という気だったろう。

鈴木神社は当時支社が三十をこえて設けられたという。

正三の弟重成は言葉通り江戸に出て、幕府首脳部に天草の年貢半減を願った。幕府は、

「事情はわかるが、認めると他の所からもドッと同じ願いが出て収拾がつかなくなる」

といって退けた。

絶望した重成は宿所で自決した。承応二(一六五三)年のことである。その遺志を継いだ重辰の願いが実り、半減が認められたのは、重成の自決から七年後の万治二(一六五九)年のことであった。

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童門冬二(歴史作家)のコラム【小説 決断の時―歴史に学ぶ―】

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