「農家」を継ぐということ【酒井惇一・昔の農村・今の世の中】第263回2023年11月2日

一昨年の春、私の東北大時代の教え子で今仙台で税理士をしているIM君といっしょに飲んでいるときのことである。何の話からだったろうか、その昔の農作業の話になった。そして手労働段階の農業がいかに辛かったかという話になった。
そのなかで彼はこんなことを言った、「私の故郷の宮城県刈田郡(宮城県南、東北新幹線の白石駅から西に位置している)にはこんな言葉があった」と。
『鉈(なた)で 顔を剃るか
裸で 茨(いばら)を背負うか
刈(かつ)田(た)で 百姓をするか』
愕然とした。一瞬言葉が出なかった。あまりにも真実をついていたからだ。そして上手に的確にかつての農業の辛さ、厳しさを表現していた。
と言っても今の若い方にはわからないかもしれない。ちょっと説明させていただきたい。
まず、この短文で使われている最初の文字の「鉈(なた)」、これは何だかおわかりだろうか。
私たちの子どもの頃は家庭に不可欠の道具、子どもまでみんな知っていた物だったが、今は見られなくなっているので、もしかしたらご存じないかもしれない。鉈とは辞書の言うように「幅のある厚い刃物に柄をつけたもの。まき割り、樹木の枝下ろしなどに用いる」もの、「適度な重さを活かし、振り下ろす動作によって草木などを切ったり削いだりする」ものである。
その昔の農家、林家には不可欠の用具であり、非農家の家庭でも持っているのが普通だった。私も小学校高学年ころからこれで薪割り等をやらされたものだった。
こんな「鉈」で髭など剃ったら顔は傷だらけ、血だらけになってしまう。
裸の背中に「茨」(とげのある低木)などを背負ったらその棘で同様になることは必定である。
百姓をするということはそんなに大変なもの、辛いものである、こういうことを語る言葉なのである。
刈田の農家だけではなかった。この言葉はかつての農家の苦役的過重労働、生活の厳しさを示しているものだった。
だからといって村の外に出てもろくな仕事はなし、どうせ同じなら地元の百姓でもするかと言ってあきらめるより他なかったのである。
ところがその辛い百姓にすらなれなかったものもいた。
次三男である。家は、百姓は長男が継ぐものたったからである。どこか家の外に出て働かなければならない。しかし働き口はあまりなかった。たまたま男子がいない家の婿になって農業をやれればまだいいが、そんなうまい話はめったになかった。そして戦前戦後は「過剰人口」(ありあまっている、多すぎて不要な人口)と言われ、日本が貧乏なのはその過剰人口のせいだとまで言われたものだった。
だから長男がうらやましかった。
でも長男も辛かった。
1960年代だったと思う、山形県の庄内に行ったとき、農家の長男たちがこんなことを言っていた。私たちには憲法で保障された職業選択の自由、居住・移転の自由、奴隷的拘束からの自由、結婚の自由がないと。そうである、まさに「家」に縛り付けられていた。
それでもそれを宿命としてあきらめ、農業に従事し、親の言うままの結婚をし、子育てをしながら家と農地を維持し、さらに年をとった親の面倒を見てきた。そして家を支え、農業を維持してきたのである。
前に村の女は辛かったという話をしたが、村の男も辛かったのである。女は角のない牛のように働き、男は馬車馬のように働き、家と農業を守ってきたのである。
太平洋戦争で三人の兄弟が戦死した。残された長男の嫁のA子さんは、男手のいなくなった農業と家をまもるために、幼い子どもと年老いた両親を抱えながら働きに働いた。そこに突然、死んだと思っていた三男のBさんが帰って来た。驚きかつ喜んだ。
A子さんは実家に帰ろうとした。Bさんが嫁をもらって家を継ぐだろうからである。
BさんはBさんで、かつて言い交わした女性と結婚し、家から出よう、自立しようとした。
しかし周囲はそれを許さなかった。血のつながった幼な児とA子さんを実家に戻すわけにはいかないし、男手のBさんがいないと農業の継続は難しいからである。それで、BさんとA子さんを結婚させようとした。二人は無理矢理納得させられた。
いよいよ結婚式の当日となった。しかし時間になってもBさんは2階から降りてこない。迎えに行ったら、濁酒を飲んでべろべろに酔っ払って泣いていた。諦め切れなかったのだ。
これでは式が中止かとみんなが心配していたら、やがて彼はしゃんとして階下に降りてきた。そしてA子さんの前に正座して言った。
「これまで長いことご苦労をおかけしました。これからはしっかりと家を守っていきますので、よろしくお願いいたします」
それを聞いた親戚縁者のみんな、式の客も含めたみんな、声をあげて泣いた。
「家を継ぐ」、「農業を継ぐ」というのはそういうことだった。そして日本の農業を維持してきたのである。
後継者(長男が普通だったのだが)だけではない、子どもまで含めて家族それぞれみんな辛かったのである。
次回からはそのうちの子どもも辛かったという話をさせていただこう。もうこんな話は聞けなくなっているだろうから。そしてその方がいいだろうから。
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