「はしか」と幼い妹の死【酒井惇一・昔の農村・今の世の中】第268回2023年12月7日
太平洋戦争の戦況が悪化しつつあった1943(昭18)年の夏、小学校(当時は「国民学校」と呼ばされていたが)二年だった私は、学校内で流行っていた「はしか(麻疹)」(注1)に感染し、かなり長い間寝込んだ。その間にはしかを弟妹四人すべてにうつしてしまった。その被害をもっとも強く受けたのは、一歳半にもなっていなかった歩き始めたばかりの一番幼い妹で、かなりひどい熱を出した。当時は、「はしか」などで医者にかかるものではなく、ともかく寝て自然治癒を待つだけだった。悪質なはしかだったようで、かなり時間はかかったが、何とか回復した。しかし、妹の「はしか」だけは一ヶ月経っても二ヶ月経っても治らない。医者は往診で来てくれるが、当時の医療技術では、ましてや戦時中の医薬品不足のもとでは、手の施しようもなかった。入院してもどうにもならない。秋には腎臓病になってしまった。病は悪化するだけだった。よほど苦しかったのだろう、妹はいつもぐずってばかりいた。
悪いときには悪いことが重なるものである。12月半ばになって、父が当時流行していた腸チフス(注2)にかかってしまった。雪の中、そりに寝せられて病院に運ばれ、そのまま隔離入院させられた。病院に行く途中の雪道、高熱のため喉がかわいてたまらない、しかし水を飲むのは禁止されている、田んぼの雪解け水がちょろちょろ小川を流れている、這っていってでもそれを飲みたかった、こんなことを父は後で話していた。私ども子どもは教えられなかったが、かなりの重態で一時絶望視されたらしい。
母は母で出産間近だった。1944(昭19)年の正月の三が日が過ぎた四日の日、母は弟を産んだ。幼い妹は、重い病いに冒されているにもかかわらず、母から引き離された。妹は母のところに行きたいと泣いて泣いて母を呼んだ。しかし母の寝ている部屋には入れられなかった。今は考えられないことだが、当時は子どもを産めば三七・二十一日間はおかゆと梅干し、若干の野菜だけの食事で、魚肉はもちろん油ものは産後の身体に障ると一切食べさせられず、ただただ寝て回復を待つだけというのがしきたりだった。そんな状況で身体が弱っている母のところに妹を連れて行っても世話はできないし、母の産後の肥立ちも悪くなる。それで少なくとも一週間の間は妹にがまんさせるより他なかったのである。
母を求めて「お母ちゃん、お母ちゃん」と泣いて泣いて泣き疲れた妹は、三日も過ぎた頃から、何も言わなくなった。母と離れて四日目の夜、祖母に抱かれた妹はとなりの部屋に寝ている母に声をかけた。「おかちゃん、おかちゃん」二度、静かに呼びかけた後、祖母に言った。「ねるは(寝るよ)」そして祖母に抱かれて泣きもしないで寝た。
次の日の朝方まだ暗いうちに、妹は死んだ。祖母の隣に妹、その隣に私が寝ていたのだが、祖母からたたき起こされて、妹の死を知らされた。産褥から出てきた母は妹をしっかりと抱いていつまでもいつまでも離さなかった。産後の身体に差し支えるからとむりやり引き離されるまで抱いて泣いて泣いていた。
妹をかわいがってくれた隣りの家の娘さんが死を聞いて朝方かけつけてきた。枕元で妹に軽く呼びかけた。「つやちゃん、つやちゃん」そして悲鳴をあげて艶(つや)子(こ)の身体を抱いた。「つやちゃーん」その声は今も私の耳から離れない。仏壇の前に北枕で一人寝かされている妹の布団にしがみついて大声をあげて泣いてくれた。
遠くに入院している父の付き添いに行っていた祖父には近所の人が知らせてくれ、朝おそくあたふたと帰ってきた。「むずこいごだなあ(かわいそうなことになあ)、むずこいごだなあ」艶子に向かってそう繰り返しながら涙を流した、祖父の泣く姿を見たのは生まれて初めてだった(次回に続く)。
(注)1.麻疹ウィルスにより起こる病気で、高熱、咳、鼻水が数日間持続し、身体中に赤い発疹ができ、7~10日後に回復する。感染力がきわめて強く、子どものころにほぼ全員罹患したものだった。一度罹患したら二度と罹患しないのだが、別の病気に同時にかかりやすく、はしかをどう乗り切るかが幼少年期の課題だった。戦後、麻疹ワクチンが開発され、その接種で自然に感染する人はきわめて少なくなっている。2.チフス菌と呼ばれるサルモネラの一種による感染症。高熱を出し、激しい下痢を引きおこす。戦中から戦後にかけてわが国で大流行した。
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