「失われゆく民家風景」【酒井惇一・昔の農村・今の世の中】第304回2024年8月22日

1970年代、高度経済成長華やかなりしころ、昔はよかったという人が出てきた、昔は田んぼや畑にトンボやチョウチョが舞い飛び、夜はホタルが飛び交っていた、。まさに自然があった。というのである。そしてその後にこう続けたものだった、ところが人間は農薬等でそれをこわしてしまった、水路の改修等でなくしてしまったなどという。
たしかにそうかもしれない。私もそう思う瞬間があった。
ぼんやりかすんだ月の明かりのなかで田んぼの上を無数の蛍の灯が舞い飛んでいた夢のような情景、これは1950年ころの夏の夜、母の実家から父といっしょに自転車で帰る途中に見たものだが、自転車の電灯もいらないようなそのときの明るかった田んぼの情景がいまだに忘れられない。
まさに昔はよかった。
しかし、そのホタルといっしょにいたのが蚊であり、ブヨ(「ブユ」と言うのが一般的らしいが、私の慣れ親しんだ山形語ではこう呼んでいた)だった。夕方田畑の仕事が終わるころ、ブヨが衣服から外に出ている手足に真っ黒くなるほどたかるのである。そして私たちの血を吸う。かゆい、吸った後すさまじくかゆくなる。ともかくかゆい。
手で叩いてブヨを潰すとブヨの吸った血で手足が真っ赤になる。
さらに田んぼや小川にはビル(蛭=ヒルのことだが、山形ではこう呼んでいた)がいる。田んぼからあがると、くねくねと動く気持ち悪い真っ黒なビルが足首やすねに何匹も吸い付いている(かつては素足で田んぼに入っていたからだ)。はがそうとしてもなかなか取れない。むりやり取ると吸い口から血が出てくる。
夕方遅く、家に帰る、これでビルやブヨから解放される。
かわりに寄ってくるのがたくさんの蚊だ。蚊取り線香などで追い払えないほどの数だ。
布団に入れば、ノミ、シラミに悩まされる。ノミ取り粉などという薬があったが、まず効き目はない。
食事をしていればハエが群がってきてご飯やおかずにたかる。ハエ取り紙、ハエ叩きなどで捕っても捕っても捕り尽くせるものではない。
ご飯を全部食べた後の大きな羽釜(はがま=かまどにかけるために胴のまわりに庇(ひさし)のようなつばをつけた飯炊き用の釜)のなかにご飯粒が少し残っている。ふたを開けておくとそこに真っ黒になるくらいハエがたかる。それを待って母は稲ワラ一束に火をつける。そしてはがまの中に入れ、ぐるぐるかきまわす。こうやって何十匹もまとめて焼き殺す。しかしそんなことを何回やってもハエは減らない。また寄ってくる。まさに「懲りない面々」である。
こんな昔がよかったなどとは私は決して思わない。昔に戻りたいなどとも思わない。
ただしトンボ、チョウチョ、ホタルは戻って欲しい。これは「虫のいい望み」なのだろうか。
北海道の網走に住んでいたころ(21世紀初頭)のある朝、新聞の中に「向井潤吉風景画選集―懐かしき日本の風景―」と言う画集を宣伝する新聞紙大のチラシがはさまれてきた。
そのチラシには、四季折々の田畑や林野、山々に囲まれてひっそりとたたずむわら葺きの農家、わずか五十年前まではどこに行っても見られた風景の絵が、いくつか載っていた。これは全国各地の「失われゆく民家風景を描き残した」ものであり、「ふるさとで過ごした幼い頃の記憶がよみがえり、思わず涙が出るような懐かしさ」を感じる、ともそれに書いてあった。
まさにその通りだった。私も以前からこうした向井潤吉(注)の絵が大好きだった。
一瞬この画集を買いたいと思った。しかしやめた。
いくら懐かしくとも、その時代に戻りたいとは思わないからである。そこで暮らす人々のくらしは貧しかった、この画集を見るたびにそんなことを思い出していたら苦しくなる。
さらに、この風景はそのまま残しておきたいとは思っても、そこに住む人の利便性を考えたら住んで残しておけともいえない。私自身がそこに住んで維持せよと言われても、現代の利便性を得るためにはかなり金がかかるのでそんなことはできない。
しかもともかく汚い家だった。窓も少なく、暗い家でもあった。
それに寒かった。すきまだらけの雨戸、障子からは雪すら中に舞い込んできた。
私の生家の雨戸も、板戸の縦板に沿って細くすき間が空いているところがあった。幸いなことに雨戸と部屋の間に縁側があり、障子で縁側と仕切られていたので、すき間風は直接部屋に入ってこなかった。けれども、雪が降った次の日は縁側にそのすき間の形通りに線状にうっすらと白く雪が積もっていたものだった。
そういう時期になると、雨戸は閉め切ったままにする。開けたら寒くていられないからである。
やがて雪が積もり、さらに屋根から落ちたあるいは下ろされた雪が軒下にうずたかく積もり、屋根に届くくらいになる。そうするとその雪で防寒・防風されるので厳しい寒さから若干ではあるが保護され、すき間から雪が入りこむなどということもなくなる。
そのかわりに縁側にも部屋にも外の光が入らなくなり、昼でも暗くなる。
よく茅葺きの家は夏涼しいという。たしかにその通りである。しかしそのことは冬は寒いことを示している。
もちろんいろりはある。しかし煙抜きのために天井が高くなっているので部屋は暖まらない。居間や客間には天井板が貼ってあるが、そこの暖房は火鉢だけ、これではその中心におかれる炭火で手や顔が暖まるだけで、背中や足は寒い。
こたつもある。これは暖かい。寒くなるとそこに手足を入れて暖まる。しかしやはり背中は寒い。夜はこのこたつのまわり四方に布団を敷き、こたつに足を入れて寝る。だから夏と冬の布団の敷き方が違う。
こたつのない部屋に寝るときは行火(あんか)(注2)を入れる。足が暖まるから何とか眠れる。
しかし、どちらで寝ても朝方布団から出るとすさまじく寒い。
なお、こたつは保温器としての役割を果たした。たとえばご飯の入ったおひつをこたつに入れておけば温かいご飯が食べられる。
また煮豆をワラつとに入れてこたつに入れ、納豆をつくるなどということも、戦中の物不足の時代、祖母がやっていた。ただしこの自家製納豆はまずかったが。
まあそれはそれとしてともかく昔の家は寒かった。当然風邪はひきやすく、病気にはかかりやすかった。しかも農村には医者も少なく、交通の不便な時代、雪国などには冬に病気にかかったら死ぬしかない村すらあった。
(注)
1.洋画家、1901(明34)~1995(平7)年、。戦前から戦後にかけて活躍、第二次大戦末期から40年以上にわたって古い藁葺き屋根の民家の家屋を描き続けたことで知られている。
2.小形箱状の外囲いの中に土製の火入れを置き、そこに火の付いている炭や炭団を入れ、その上に布団をかけ、布団の中に手足を入れて身体を温める小型の暖房具のこと。
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