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JAの活動:しまね協同のつばさ

明らかになった農協批判の虚構2014年5月20日

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【太田原高昭 / 北海道大学名誉教授】

・農政批判から農協批判へ
・マスコミの反農協キャンペーン
・産業空洞化が全体にひろがる
・草の根を切り捨てる新自由主義

 いまから28年前の1986年は、農協にとって忘れられない屈辱的な年である。年初に玉置和郎総務長官による、いわれなき農協批判があった。梶井功は、この年を「農協批判元年」とよんだ。
 ちょうど、この年、衆参同時選挙で自民党が圧勝した。それ以後、自民党は農村票に頼らなくても選挙に勝てる、と思い込むようになった。そうした状況のもとで、農協批判の嵐が荒れ狂っている。
 この新自由主義の嵐は、農業を崩壊させるだけでなく、産業全体を空洞化させ、大量の低賃金労働者を作り出そうとしている。このたくらみは、農協をはじめとする経済的弱者の反撃にあって、やがて潰え去るだろう。そうしなければならぬ。

◆農政批判から農協批判へ

 この連載は、今まさに始まりつつある農協批判と農協の在り方をめぐる議論を想定して書き始めた。そうであれば農協批判の側の「かたち」についても見ておかなければならない。
 梶井功は、財界や一部労働組合が「農産物の自由化推進」を求めて農政批判を開始した1978年を「農政批判元年」、中曽根内閣の玉置和郎総務庁長官が農協を強く批判する「玉置発言」が飛び出した1986年を「農協批判元年」とよんだ。両者の間に8年のタイムラグがあるのは、この時期が狂乱物価やロッキード事件などの続いた自民党政治の危機の時代で、革新自治体が続出する都市に対する農村の伝統的な保守基盤への配慮からである。
玉置発言は、米価をめぐる農協の圧力行為とその体質を批判するものであったが、中曽根首相が「あれはおれが言わせている」と応じたことで、一大臣の発言にとどまらず、中曽根内閣の農業と農協への姿勢を鮮明にするものとなった。1986年はガット・ウルグアイ・ラウンドがスタートした年であり、玉置発言の一か月後にはアメリカの精米業者協会(RMA)が日本のコメ市場開放を迫る提訴を起こすというタイミングだった。
 この年は衆参同時選挙で自民党が大勝し、都市部の自民党票が農村部のそれを大きく上回ったことで注目された。中曽根首相には農村票に頼らなくても選挙には勝てるというしたたかな読みがあったとされる。農協批判は、このような背景から生まれたきわめて政治的なものであったが、これにマスコミが乗った。

◆マスコミの反農協キャンペーン

 ウルグアイ・ラウンドの期間中は「カラスの鳴かない日があっても農協の悪口の聞こえない日はない」と言われたほど、マスコミの反農協キャンペーンはひどかった。朝日新聞をはじめとする全国紙は、「消費者の立場」「生活者の視点」を標榜しながらコメと農業を守る立場に反対をとなえ、週刊誌やTV報道番組も、一斉に国産米の価格の高さを問題にし、カリフォルニア米の安さとおいしさを宣伝するという異常な事態となった。
 国際価格に比べて国産米の価格の高さは日本農業の零細性、非効率性のせいであり、その農業を守っている農協こそが諸悪の根源であるという攻撃が繰り返された。この時期の経済政策の指針とされていた前川レポートには「着実に(農産物)輸入の拡大を図り、内外格差の縮小と農業の合理化・効率化に努める」とあり、これがマスコミや経済評論家の錦の御旗となっていたのである。
 当時の日本は輸出大国であり、それによってもたらされた貿易黒字の拡大が、貿易赤字の累積に苦しむアメリカをはじめ各国から修正を迫られていた。マスコミや経済評論家だけでなく、経済界も農産物の輸入を拡大すれば、つまり農業さえ犠牲になってくれれば貿易赤字は減り、輸出の拡大を続けることが出来ると事態を楽観していた。ある評論家は「農業の痛みは小指の痛みであり、全身の健康には代えられない」と書いた。

◆産業空洞化が全体にひろがる

 ところがこうした見方が全くの虚構であったことは今となっては明白である。経済の国際化の流れの中で農産物の自由化はまさしくアリの一穴であった。企業はさらなる利益を求めて生産拠点を海外に移すようになり、経済全体が産業空洞化の様相を呈するようになった。今では日本は恒常的に輸入超過国であり、貿易赤字国に転落している。
 このような見通しの誤り、あるいは意図的な大ウソは、ウルグアイ・ラウンドと並行して進行したバブル経済の中でますますエスカレートしていく。とくに狂乱的な地価高騰の原因を、土地を手放さない農家とそれを守っている農協のせいにしたのはひどかった。今では土地バブルの原因は行き場を失った過剰流動性が土地に殺到したことであり、多くの企業、銀行から不動産屋、地上げ屋がその陰で暗躍していたことを誰もが知っている。
 当時においても関係者はみんな知っていたのであり、意図的な大ウソの典型であって、さすがに農協犯人説をとなえた評論家たちはバブル崩壊後しばらく表に出ることが出来なかった。しかし世の中は忘れっぽいもので、この頃は昔の名前もちらほら聞くし、「GNPの1.5%しかない農業を守るために98.5%を犠牲にするのか」などと、かつての「小指の痛み」そっくりの話を平気でする者も現れるようになってきた

◆草の根を切り捨てる新自由主義

 こうした傾向は「新自由主義」と呼ばれる経済思想の蔓延と関係している。大企業が海外進出して多国籍企業化し、国内的にも国際的にも自らの経済活動を縛る規制の撤廃を求めるようになったのに対応したのが新自由主義の経済政策である。日本では中曽根内閣と前川レポートが進めた「国際化」がその起点とされる。
 新自由主義の経済政策は、大企業の横暴から経済的弱者を守る諸規制を緩和撤廃する「自由」を標榜するもので、農業者や中小企業の利害とは本質的に相容れないものである。日本の保守政治は、新自由主義を組み込んだことで、伝統的な支持基盤であった農村や都市の「草の根保守」層との矛盾を抱え込んでしまった。
 安倍政権は、「戦後レジームからの脱却」を旗印に戦後の保守政治が守ってきた一線を越えるところに軸足を置いている。農政においても同様で、原則関税ゼロのTPP交渉に参加し、国内農業の担い手を家族経営から資本の手に移すような規制改革を進めようとしている。そしてその最大の狙いが総合農協の解体に置かれているのである。
 現在、政府の産業競争力会議や規制改革会議などで「農協の在り方」が議論されており、今月から来月にかけてその結果が公表され、農協をめぐる議論が国民的規模で展開されることになろう。新自由主義者は「経済的弱者は市場から退場すればよい」というだけで、協同組合については実は何も知らないのである。この議論に負けるわけにはいかない。

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