JAの活動:プレミアムトーク・人生一路
【プレミアムトーク・人生一路】佐久総合病院名誉院長 夏川周介氏(上)"若月イズム"目標と恩義 (1)2025年11月18日
学生運動華やかなりし頃、金沢大学医学部の学生として「政治的な季節」を体験したこともある長野県厚生連佐久総合病院名誉院長の夏川周介氏。地域包括医療に尽力し、健康な地域づくりに貢献した。「農民とともに」の旗印のもと「型破り」の歩みを文芸アナリストの大金義昭氏が聞いた。
佐久総合病院名誉院長 夏川周介氏
■滋賀県の実家は農家とか。
はい。彦根郊外で米を作りながら、足袋工場も経営していました。祖父・夏川省三(せいぞう)は戦後、千鳥産業という会社を立ち上げ、女性の下着縫製をはじめましたが、私が小2の冬に倒れ亡くなりました。その後、縫製業は彦根の主要産業となりました。
1913年生まれの母・喜美(きみ)は、大阪女子医専を出て、戦後、市内で眼科を開業しました。
労働争議で有名になった近江絹糸の創業者・夏川熊次郎の息子・嘉久次一族は本家筋にあたります。島根の貧乏寺の次男だった父・申了(しんりょう・1908年生まれ)は婿養子に来て近江絹糸の社員になり、戦時中は小松製作所で働いたようですが、私が1歳の時に亡くなりました。
■医師になったのは?
私には姉と兄がいましたが、「自分が千鳥産業を継ぐ」と勝手に思っていました。ところが高2の時に会社はつぶれてアテが外れました。急きょ方向転換し、1浪して金沢大学医学部に入りました。
■あの時代に大学生だった世代は、「政治的な季節」をくぐった。
東大安田講堂事件から、大学医局のあり方を問う闘いが燎原(りょうげん)の火のように広がりました。「赤門」の東大で始まり、金沢大学の「白門」で終わったのです!(笑)。いずれも加賀の前田藩ゆかりの地で因縁めいたものを感じます。学生の要求に耳を貸さない当局に反発し、半数の同級生が卒業試験をボイコットしました。
度量に救われ
■試験を受けないと卒業できません!(笑)
そうです!(笑)。行き詰まっていた頃、社会医学研究会の友人が佐久病院を知り、共鳴して連絡したら「おいで!」と言われ、おんぼろライトバンに乗って4人で行きました。それだけ医師もいなかったし、若月俊一先生は度量が広かったんでしょう。1971年7月、院長室で若月先生と初めて会いました。
ちょうど病院の横にできたばかりの医師寮に入居できました。私たちが来る直前、「地下水運動」といって、学生運動をした若い医師たちが佐久病院に来て、学生運動と同じことを病院内で始めたのです。すったもんだの末に彼らが出て行き、私たちが入れ替わりに入った形でした。
その後大学に詫びを入れて卒業試験を受けさせてもらい、ようやく卒業でき、半年後の国家試験を受けられ、辛うじて医師免許をもらいました。
小学5年生当時、自宅前で
■外科医の若月さんは腕が良かったとか。
見たことない!(笑)。私が来た時、若月先生は61歳でしたが、40代半ばで手術しなくなりました。経営と運営、あとは啓発・啓蒙、執筆活動に専念されていました。
■手術はどのくらいされた?
数えたことないですね。多い時は1日3件も4件も執刀しました。肺と脳、心臓以外は全部切りました。病理解剖もしました。今は病理医がやってくれますが。
佐久病院は外科で持っていました。若月先生が外科から始め、船崎善之助、佐々木真爾、松島松翠、寺島重信、石橋武彦たちの上司にくわえ、若手医師たちが内科の分野も相当カバーしていました。他の病院に転職した医師もいました。
■夏川さんは残った!
義理堅いんです。「一宿一飯」の恩義がある!(笑)。1971年に国家試験を通って医師になり、翌年の暮れに見合い結婚しました。見合いした頃、彼女はまだ大学生でした。関西の人なんで、母はうまくいったら私が滋賀に戻ってくると考えたのでしょう。苦労した母の深慮遠謀です。式は滋賀県一宮の神社で挙げ、若月先生が仲人をしてくれました。
滋賀での結婚式から戻って来た途端、忘年会、クリスマスなど飲み会続きでほとんど家に帰らない。帰る時はべろんべろん。その年の内に「実家に帰らせてもらいます!」と女房に言われてしまいました。(笑)
■当然です!(笑)
元日だけ病院にいて、さっと女房の実家に私も帰って頭を下げ、何とか気を取り直してもらえました。
野球明け暮れ
■佐久病院は軟式野球や音楽隊などスポーツや文化活動も盛んだった。
2年間の研修が終わる前、外科の上司が来て「野球部のマネージャーをやれ!」と言うのです。断れず、マネージャーを3年間やりました。
シーズン中は土日祭日いっさいなく、日曜休日は朝から夕まで練習。強くなるわけです!(笑)。日曜休日はマネージャーが昼を食べさせなきゃいけない。店屋物をとったり、たまには自分が料理して持っていったり。せっかく作ったカレーでみんな"胸焼け〟し、怒られたこともありました。自前の球場がないので、球場を借りる交渉もしました。
だからシーズン中は病院から離れられない。休みの日も病棟回診をするのが習慣になり、患者さんからは喜ばれました。
■軟式野球には輝かしい実績がある。
マネージャーになった年に、天皇賜杯全国大会に長野県代表として初めて出ました。試合会場は三重県四日市市でした。当時、女房の父は四日市の工場の専務で、松坂牛を差し入れてくれ、選手たちに大いに喜ばれました。
その後、1982年に国体で優勝します。私は体育部長でした。病院を代表して開会式から島根に行きっぱなし。島根は父の出身地です。決勝戦の前の晩は実家の寺でさんざん呑(の)んで、決勝戦は二日酔いでした(笑)。それから国体2連覇、天皇賜杯2連覇と4年連続日本一を達成しました。全国軟式野球界の大きなニュースでした。
未だに野球部の連中とは交流があって、お酒を呑んだりしています。日本舞踊班には定年後も長くかかわってきました。
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