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【プレミアムトーク・人生一路】佐久総合病院名誉院長 夏川周介氏(中)農村医療と経営は両輪(2)2025年12月16日

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農村医療の先駆的存在である長野県厚生連佐久総合病院名誉院長の夏川周介氏。初代院長の若月俊一の理念とリアリズム精神を継承し、地域包括医療に尽力した。前回に続き、病院の礎を築く過程を文芸アナリストの大金義昭氏が聞いた。

第1回長野県診療情報管理研究会における会長あいさつで第1回長野県診療情報管理研究会における会長あいさつで

――夏川さんが特に影響を受けたのは?

若月さん仲人に恐縮

身近にお世話になったのは、診療部長であった佐々木先生です。外科を中心に人事を仕切っていました。結婚するので仲人を頼んだら「ちょっと待っていろ!」と出て行き、戻るなり「若月先生の予定を取っといた!」(笑)。こちらは研修中の身ですから、若月先生が直々にとは恐れ入りました。その佐々木先生に数カ月後言われたので、野球部のマネージャーに3年間、励んだわけです!(笑)

――副院長時代に、「経営は夏川じゃないか!」という周囲の判断があり、「近江商人」の血が生かされたように思うのですが!(笑)

病院経営は若月先生時代から黒字でしたし、まあ、タイミングが良かったということでしょうか!(笑)。若月先生が退かれた後の不安はありましたが、経済的には比較的にゆとりのある時代でしたから!

――若月語録に「病院の経営がうまく出来なければ『運動』も展開できるはずがない。赤字を出してはおしまいである」という言葉がある!(笑)

それが一番大事です。当たり前だろうとは思っていました!(笑)

――「経済のない道徳は寝言であり、道徳のない経済は犯罪である」という二宮尊徳の「経済・道徳一元」にも重なります。

おっしゃる通りです。若月先生の幅広い人脈や優れた経営能力の源泉がそこにあったように思います。若月先生の基本理念やリアリズムの精神を受け継いで新しい課題に取り組んでいけば、病院は必ず良い方向に進んでいくと確信してやってきました。

――夏川さんは「若月」タイプでも「松島」タイプでもなく、どちらかと言えば「佐々木」タイプという印象ですが!(笑)

診療情報管理を導入

言葉にする前に動いちゃう!(大笑)。私が多少なりとも評価を得たとすれば、「診療情報管理」を進めたことでしょうか。一昔前の「診療録管理」から、75年に情報を活用する「診療情報管理」に変わった。前回にも触れましたが、遅れていた長野県に診療情報管理懇話会を立ち上げました。医療政策がどのように進むかを無視したら、病院は生き残れません。入院医療費の定額支払い(DPC)も、院内で声の大きい人から「そんなことをしたらアメリカ医療の追随だ!」と反対されたのですが、私の下にいた外科医が一所懸命に取り組み、無事に導入することが出来ました。

――やるべきことはやる!?

そこで引いたら終わりです! 若月先生もしたたかにそうした時代の先取りをしてきました!(笑)。日本の最先端についていかないと、条件の悪い佐久病院は落ちこぼれてしまう。世間には「若月の後、佐久病院はダメになる!」という声もあり、強い危機感を抱いて病院経営に取り組みました。

――労働組合の経営参画については?

佐久病院には、経営側と組合側が半数ずつで構成する「院内運営委員会」があります。幸せだったのは、組合との対立が一切なかったことです。一番苦労したのは病院の「分割再構築」でした。10年かかりましたからストレスが多く、当時は薬を飲んでいました。追い詰められていたのでしょうね。その時に、組合が一糸乱れずバックアップしてくれたのは忘れられません!

――特に背中を押してくれた人は?

外科の後輩で西澤延宏医師(前統括副院長)ですね。彼が現場で、病院機能の中心を整理し、発展させてくれました。とにかく私は「駆け引きなどせずに王道を行こう!」と言ってきました。

――院外では?

地域医療連携に苦心

行政の強い反対で病院の「分割再構築」に歳月を要しました。ただ、医師会では私が一番の長老で開業医の先生とも酒を酌み交わし、親しく交流してきました。「新しい病院に来る患者の70%は皆さんのところからの紹介にするようにします!」と説明し、理解してもらいました。ふたを開けたら78%が紹介で、開業医と佐久病院との力強い「地域医療連携」が生まれています。今は全国の病院の多くが赤字ですが、佐久病院はかろうじて黒字です。ただし、ムダを省き、IT化を進めて黒字を出すというのは、諸手を挙げて喜ぶべき状況ではありません。今いる人を切るようなことは出来ませんが、採用を控えるなどの人減らしですからね。

――文化事業などの継承は?

もう私が言えることではありません!(笑)。病院再構築によって従業員が分散され、さらにコロナ禍で集会の機会が減ったことで文化活動は減退しました。コロナ騒ぎが一段落して、復活の様子もうかがえますが予断は許されないでしょう。加えて、周辺人口が急速に減少しています。すでに高齢者も減ってきて、病院経営にとっては厳しい時代です。私の頃には120人いた看護学校の生徒たちも、2年前には40人定員になりました。夢や希望をそう簡単に語れない時代で、むしろ、悲観的な見通ししか立たないのが現状です。

――ワーク・ライフ・バランスや働き方改革もありますか?

残業しちゃいけない、したら手当を、という考え方が当然にあります。その先で、個人個人がどのような生きがいや働きがいを見出すか。時代が大きく変わっています。これからの佐久病院をどうするかは次の世代に任せていますが、それは医療従事者だけの問題ではありません。若月先生も「医療は民衆のものであり、民衆がつくるものである」と言っていますから。

【余談閑話】

夏川さんとは誕生日が3日違いの同じ酉(とり)年である。前回の記事中に掲載された少年時代の写真を見て同じ姿や格好をしていたことに目を見張り、格別の親しみを感じてしまった。夏川さんとゆっくり話すのは、このシリーズが初めての機会である。ただ、見えない糸で結んでくれていた共通の親しい友人がいた。今年5月に亡くなった高杉進さんである。

高杉さんは日本文化厚生農協連が発行する『文化連情報』の編集長を長く務めた熱血漢であった。高杉さんの最晩年の宿願は、佐久総合病院の戦後史を次代に継承する夏川さんの「自伝刊行」であった。不肖の私などにも、夏川さんの評伝を引き受けないかといった打診の電話が何度か入っている。このインタビューは、彼の声に支えられて務めている。最終回はいよいよ夏川さんの院長・統括院長時代の物語である。(大金)

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