JAの活動:食料・農業・農村 どうするのか? この国のかたち
高まる潜在的危機 最後の命綱「農業」維持を 東大大学院教授 安藤光義氏【食料・農業・農村/どうするのか? この国のかたち】2024年8月2日
基本法の改正は、世界の情勢変化を受けた国民の生存に関わる食料安全保障への危機感から検討されたのではなかったか。しかし改正法はその期待に応えているのか。安藤光義東大教授は「外貨を稼いで食料とエネルギーを海外から調達する」この国のかたちを見直すべきと提起する。
東京大大学院教授 安藤光義氏
国策に位置づけられないこの国の農業
食料・農業・農村基本法が4半世紀ぶりに改正された。この改正の背景には食料安全保障問題があった。2022年2月のウクライナ戦争によって穀物価格が急騰、飼料価格も高止まりが続き、酪農を始めとする畜産が経営危機に陥った。また、農業資材の入手も困難になり、化学肥料は品不足になるだけでなく価格も高騰した。その一方で農産物価格の上昇は遅れ、農業経営は苦境に立たされることになった。
国際的には米国・欧州と中国・ロシアという対立によって世界秩序は不安定化し、東アジアでは総選挙を控えた台湾問題が切迫していたという事情もあった。それが食料供給困難事態対策法検討の背景にあったと考えられる。日本は対米従属の度合いを一層強めている。
食料安全保障が掲げられたものの、現在の食料輸入依存体制が見直されることはなく、国内農業生産の拡大を支援するような具体的な施策は打ち出されなかった。
今回の改正は政治主導で進められてきたが、残念ながら国策としての位置づけは農業には与えられていない。
分岐点は1970年代の世界食料・石油危機
以下では、編集部から与えられたテーマ「この国のかたち」について、食料安全保障をキーワードに考えてみたい。
食料安全保障は1970年代前半にもクローズアップされた。当時の異常気象は世界穀物危機を発生させ、旧ソ連による穀物の大量買い付け、穀物価格・飼料価格の高騰、米国の大豆禁輸措置、第4次中東戦争の勃発と第1次石油危機による日本の経常収支の赤字転落という状況の下で、食料安全保障が国家的な課題として浮上したのである。食料とエネルギーを輸入するための外貨はなく、その外貨があったとしても調達ができないという、国家存亡の危機に日本は追い込まれた。まさに「日本沈没」(小松左京)であった。
この時に食料安全保障がエネルギーとともに国家安全保障に位置づけられた。食料自給力・自給率の向上が政策課題となり、農業に一時的な追い風が吹いた。水田転作での麦、大豆、飼料作物の生産拡大が図られ、水田利用再編対策の予算は3千億円を超える。たが、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」で、集中豪雨的輸出によって経常収支が黒字を回復すると、日米貿易摩擦の犠牲として農産物の一層の輸入自由化が推進されてしまう。
ここが日本の国のかたちを変えるチャンスであった。国内農業生産を振興して食料自給率を向上させ、輸入エネルギー依存体質から脱却を図ろうという萌芽はあった。地域社会農業、有機農業など農業起点の社会変革の芽も出てきた。しかし、それを育てて、国のかたちを変えることはできなかった。再び歴史は繰り返されるのだろうか。
改正基本法は食料安保に貢献するか
官邸に設置された食料安定供給・農林水産業基盤強化本部は「スマート農林水産業等による成長産業化」「農林水産物・食品の輸出促進」「農林水産業のグリーン化」「食料安全保障の強化」を4本柱に掲げ、基本法改正の議論はこの線に沿って進められてきた。官邸本部のペーパーでは輸出は食料安全保障と同等の柱となっている点に注意しておきたい。
問題は、「食料安全保障の強化」と言いながら、国内生産基盤強化のための施策は用意されていないことにある。「生産の構造転換」は「水田の畑地化」の推進であり、自給率の低い農産物の生産拡大を目指すものではない。官邸案件の「輸出促進」が食料安全保障に組み込まれ、「食品産業と産地の連携」は輸出産地の形成という側面が強化されることになった。生産資材価格等の高騰を受けた「生産・流通コストを反映した価格形成を促すための枠組みづくり」は法案提出には至らなかった。
だが、価格転嫁による食品価格の上昇は、低所得層の困窮の度合いを高めてしまう。雇用者の4割近くを非正規雇用が占め、住民税非課税世帯は4分の1を上回る現状を考えれば、消費者負担型農政には限界がある。日本生活協同組合連合会が提言していた直接支払制度は検証部会で取り上げられることはなかった。「平時でも食品へのアクセスが困難な社会的弱者への対応」はフードバンクによる経済的困窮者への手当て程度で、格差拡大を放置したままの対症療法に過ぎない。
「食料安全保障」と聞いて私たちが思い浮かべるような施策は用意されず、基本法改正によって予算措置を伴う新機軸は何一つ提起されなかったのである。これでは食料安全保障には貢献するところは全くない。
高まる潜在的な危機―貿易収支は赤字に転落
食料安全保障は国民全員にとっての問題である。1970年代初めに世界穀物危機と第1次石油危機が重なった時は、狂乱物価に国民が襲われ、経常収支も赤字に転落した。この時は食料安全保障が真剣に論じられ、一時的とはいえ農業に追い風が吹いた。しかし、今回の世界食料危機で再び食料安全保障が取り上げられたが、物価高騰に苦しむ国民の間にそこまでの危機感はないようにみえる。食料品を中心とする物価が上昇したという認識にとどまっているのではないか。
1970年代との違いは日本の経常収支は黒字をキープしている点であり、食料とエネルギーは海外から調達できている。しかし、潜在的な危機は高まっている。そのため財務省は「国際収支から見た日本経済の課題と処方箋」という研究会を開催した。最初の研究会の資料から、①経常収支は黒字だが、所得収支の黒字によるものであり、海外で稼いだお金は日本に戻っていないこと、②貿易収支は赤字に転落しており、自動車でしか外貨を稼げない国になっていること、③貿易赤字の要因は食料品と鉱物性燃料であることの3点を指摘することができる。円安が進めば食料品と鉱物性燃料の輸入金額は増加し、貿易赤字は拡大する。
研究会での議論は専ら外貨を稼ぎ出す力の復活のための方策であり、農業は全く論じられなかった。この国にとっての農業の位置づけはこの程度なのである。
そうではなく、外貨を稼いで食料とエネルギーを海外から調達する国のかたちを今こそ見直す必要がある。国にとって最後の命綱である農業は何としても維持しなくてはならない。農村での再生可能エネルギーの推進もエネルギーの海外依存度を減らして国家安全保障に寄与し、国家としての自立にもつながるはずである。
日本の没落に備えた国家安全保障をプランBとして用意しておかなくてはならない。それが国家の舵取りを任された人間の責任ではないか。
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