JAの活動:食料安全保障と農業協同組合
【食料自給率100%になる日】農業"進歩"の行方憂う 京都大学人文科学研究所教授 藤原辰史氏2026年1月7日
新春特集「食料安全保障と農業協同組合〜どうする? この国の進路」企画に当たり、京都大学人文科学研究所教授の藤原辰史氏は”初夢”にふさわしく「食料自給率100%になる日」という題目で寄稿してくれた。ただし「農業の進歩の行方」は数値目標ではなく農の原理の探究の基にあるという。
京都大学人文科学研究所教授 藤原辰史氏
「日本、食料自給率100%達成」という見出しが、新聞各紙に踊る日はどんな日だろうか。晴れているだろうか。雨だろうか。かつて30%台に低迷していた時代を懐かしく振り返りながら、社説は「まだ不安定要素はたくさんある」などと読者の気の引き締めを促しつつ、ようやく日本の国家としての脆弱(ぜいじゃく)性が取り払われ、外交上でも食によって脅迫されることもなくなったのだと、祝賀ムード一色の新聞になるかもしれない。
これまでの輸入依存型農政が欧州諸国などと比較して批判され、現在の農政の成功を分析する記事も欠かせないだろう。『農業協同組合新聞』も同様に、若者の購読者が増えた原因を分析しつつ、農業好きな俳優や政治家のインタビューを掲載するかもしれない。
これからは国内だけでなく輸出産業に向けて前進せよ、と勇ましい記事も増えていくかもしれない。学校給食を地域の米や野菜や魚や鹿やイノシシでまかなうことが普通になり、東京の低価格帯の飲食店も国産の食材を使わなければ生き残れない時代になっているだろう。
こんな新聞を私は死ぬまでに一度くらい読んでみたい。読んで、切り抜いてスクラップブックに貼り付けたい。けれども、きっとそれでも私の心は暗いままだと思う。なぜなら、日本現代史の特徴として、農業政策が、それにまつわる多くの課題にも目配りしたうえで100%を達成するとはとても思えないからだ。
数値だけ迫っても
できるだけ大きな数値目標の達成を官僚制度(大学も例外ではない)の組織ならびに人材の評価基準に置くかぎり、農業政策は農水省や農協の「利権」を守る政策として残り続ける。国内の食料がすべて国内産の作物に満たされたとしても、農村や漁村は元気なく、森林は荒れ放題、土や大気の汚染は進み、各国の生命基盤への負担をかけたままだとする未来だって十分に考えられるのだ。なぜか。
第一に、よく指摘されることなのだが、達成された日を夢見た読者は、養殖魚、牛、豚、鶏などの飼料もすべて国産になったと想像しただろうか。その日、肥料や農薬ならびにそれらの原料も輸入ゼロだと想像しただろうか。農業の本質は豊かな物質の循環の中への人間の静かな関わりである。人間が植物や動物を生産できている、というのはおこがましい幻影にすぎない。無限の贈与である太陽光や海水や湖水と、絶え間ないケアを必要とする土壌を最大限利用した産業であるという原点にもどらなければ、日本農業や漁業は依然として環境破壊産業としての地位を降りられない。
日本列島各地の動物や植物の死骸が燃やされるのではなく、有効に利用されてこそ食料自給達成と誇れるのではないか。動物性タンパク質の廃棄が現在よりもかなり減らないかぎり食料自給率は上がらないはずなのだが、いままでどおり、飼料を外国からの輸入に頼った畜産では「見せかけの食料自給率100%」と呼ばれても仕方がないだろう。
第二に、これもしばしば指摘されることなのだが、現在、日本政府の肝いりである「農業スマート化」の延長として、農業生産プロセスをさらに効率化し、ロボット化やデジタル化を進め、情報一極集中に成功し、都市からモニターを通じて、あるいは日本政府の肝いりである人工知能の力を借りて農地を管理できるようになり、葉物野菜はほぼ植物工場で管理できて、省力化が成功したとして、農村が単なる「食料工場」群か観光地となってしまうことは、果たして農水省なり農協なりが語るべき理想の未来だといえるのだろうか。
情報の収集や植物工場、とりわけ人工知能には膨大な電気が必要であることは知られている。では、化石燃料を燃やし続けたり、原子力発電所を利用したり、山肌や田んぼをつぶすようなメガ・ソーラーを許容したりして発電し、それを農業に使って自給率を達成した場合それは寿(ことほ)ぐべきことなのか。
それは、日本の海岸や森林を破壊してきた国土開発や、東北地方で村の土や空気に溶け込んだ静かな、しかし誇るべき人生を放射性物質による土壌の汚染によって苦しめた原発事故を忘れましたと宣言して自分の非人間性を露呈させるようなものである。そんな農業政策は、食料自給率100%達成したあとも、日本の農村や漁村やそれらに住む人びとの破壊をやめないだろう。
村に人びとがともに生きるという平凡な価値に無関心な国産品に、どれだけの意味があるだろうか。農業体験観光地として、普通の観光に飽きた高所得観光客の宿泊施設として農家が生き残るとして、しかし、それは理想の未来と言えるのだろうか。
根に思考めぐらせ
第三に、これと関連して、食料自給率が達成した日、農村のエネルギーも自給できているだろうか。海外の石炭や石油、危険な原子力発電所に頼った巨大な電力会社の力を借りるのではなく、村々にあまりにも放置されすぎている森林のバイオマスを用いたエネルギー自給政策が、食料自給と結びついてようやく、私たちは暖をとり、風呂に入り、調理をし、病を治して、生命活動を維持することができる。そして穀物の乾燥もできる。にもかかわらず、地域内エネルギーの自給自足は農業政策の課題にはならない。エネルギーを海外や巨大な電力会社に依存したまま、施設栽培ができたとしても、そのトマトやキュウリは本当に国産と言えるのだろうか。
以上の三つのシナリオは、「農の原理」の探究がしっかりとしていないかぎり、容易に陥りがちだ。では、「農の原理」とは何か。それは、生産力や生産量を目的とするものではない。農業の枝葉ではなく、根に思考をめぐらすことだ。
農業と工業の最大の違いは、気候、土壌、水、人間という不確定要素とうまくつきあわなければ営めないということである。そういったことを無視して食料自給率向上がうたわれたとしても、それは、テストの点数をあげるために、友達や家族と縁を切ってホテルにこもって勉強するようなものである。
私はこのような日本政府のみならず世界中の政府がおちいりがちな罠を「強目的性」と「関係の貧困化」と呼んでいる。
国家や自治体や農業経営体の財布が豊かになるという「強い」目的が達成されたとしても、人と人、村と村、自治体と自治体、国と自治体、国と国、国と国際社会、人間と自然の関係が貧困のままでは、すぐに財布の中身は関係の調整に奪われて空っぽになる。弱くて小さな関係性を豊かに、複雑に、土壌内生態系のように保っていることが、それを破壊しないことが保障されて、やっと「自給」という世界は実質的に人びとの目の前に広がってくる。
拙著『農の原理の史的研究』(創元社)でも紹介したが、20世紀初頭では、かつて家族経営の優位性を唱えていたにもかかわらず、スターリンの強圧的な農業集団化のなかで考えを変えて、農業の廃止を訴え、農業の観光資源化を理想だと語り始めた農業経済学者もいた(チャヤーノフ)。あるいは、鶏肉は養鶏ではなく工場で生産される技術がやってくるだろうと期待した政治家もいた(チャーチル)。
農業者の自立とは
食や農というやっかいなものは、電卓がおいやった算盤のように、自動車が追いやった馬車のように、もはや人間という高尚な生きものがやるべきものではない、という「進歩」の考え方がここに根ざしている。私が問いたいのは、政府関係者や農業従事者や農協の役員のなかにも、そのような「進歩」への期待が残っていないだろうか、ということだ。
私が考える進歩とは、スマート農業などという古臭いものではほとんどない。できるかぎり、農村の外にある資源を用いることなく、農業を営めるようになる進歩。田舎のスーパーがほとんど地域の産物であふれている進歩。女性が農協役員や農学部教員の半分を占める進歩。エネルギー源も飼料も肥料も農村で賄えるような進歩である。
そんなことは理想論だと批判されることが多いが、では、なぜ最先端の技術による農業の「進歩」という理想論は、理想論と批判されないのか。もちろん、そこには、未来に投資する巨大な投資家たちや企業がひしめいているからである。だが、なにか巨大なものに頼り続ける農業であるかぎり、日本の食料自給率100%になったところで、それは農業従事者の自立などではない。自立とは、頼れる小さなものがどれだけまわりにあるのかを意味するのであって、なんでも自分でできるようになることは、ただの孤立でしかないのだ。
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