農政:迫る食料危機 悲鳴をあげる生産者
【迫る食料危機】農業を基盤とする社会の再創造を 求められるヴィジョン型改革 東京大学・神野直彦名誉教授2022年8月23日
コロナ禍による消費低迷に加え、ロシアのウクライナ侵攻などで生産資材は過去最高水準で高騰が続き、生産現場は存続の危機に直面している。農水省は、食料安全保障の強化を進める方針を示しているが、農産物価格などの安定にとどまらず、われわれは人間の生命を育む農業にどう向き合っていくべきなのか。東京大学名誉教授の神野直彦氏に寄稿してもらった。
神野直彦 東京大学名誉教授
「危機の時代」に求められるヴィジョン型改革
改革には問題解決型改革と、ヴィジョン型改革がある。問題解決型改革とは、現実に生じている問題に対処する改革である。ヴィジョン型改革は白紙の上にヴィジョンを描くようにして実施する改革である。
「改革(reformation)」とは本来の秩序に戻すことである。そのため「改革(Reformation)」は、一語で宗教改革を意味する。宗教改革は本来の神の秩序に戻すことだからである。したがって、問題解決型改革は改革と表現するよりも、問題解決型対処と表現すべきかもしれない。
人間の社会が行き詰まる「危機の時代」には、ヴィジョン型改革が求められる。問題解決型改革はいわば対処療法にすぎないからである。誰もが認識しているように、現在は人間の社会が行き詰った「危機の時代」である。コロナ・パンデミックに襲われ、ウクライナ戦争が勃発するとともに、気候変動で猛暑と豪雨が生じるだけではなく、森林火災がいたるところで発生している。しかも、この「危機の時代」は、あらゆる科学を俯瞰する天文学者が警告するように、今世紀末には人類が絶滅するかもしれないという「根源的危機の時代」になっている。
農業こそが人間の生存条件を形成する
人類の存亡が問われる「危機の時代」に、農業が危機の渦の中心に巻き込まれてしまうのは当然である。というのも、農業こそ人間の生存条件を形成するからである。つまり、農業が存続しなくては、人間の生命は絶滅してしまうのである。
それはメダルの裏側から表現すると、農業を基盤とする社会を再創造するヴィジョンを描いて、人間の社会を改革することこそが、この「根源的危機の時代」を克服する導き星となることを意味する。対処療法的に農産物価格を安定させ、農業資材価格の高騰を抑えるとしても、そうした改革が農業を基盤とする人間の社会の再創造というヴィジョンと結びつけられなければ、「食糧危機」も「食糧安全保障」も、その症状が収まることがないのである。
外在的危機の内在的危機化
人間の社会を襲う危機には、人間の社会が創り出した内在的危機と、人間の社会が創り出したのではない外在的危機がある。戦争や恐慌などは、人間の社会が創造主である内在的危機である。これに対してパンデミックや自然災害などは、人間の社会が創造主ではない外在的危機である。
内在的危機は人間の社会を改革することで解決可能である。内在的危機は人間の社会が創り出した危機だからである。しかし、人間の社会が創り出したのではない外在的危機に対しては、人間の社会は適応するしか術(すべ)がない。
ところが、現在の「危機の時代」には、外在的危機の内在的危機化が生じてしまっている。つまり、人間の社会が自然環境を破壊して、外在的危機を創り出している。それだからこそ、この「危機の時代」が「根源的危機の時代」となっているのである。
人間が生存するためには、自然環境と社会環境という二つの環境が必要となる。つまり、人間は生命を維持していくために、自然との関係を取り結ぶとともに、人間と人間との関係を形成して自然に働きかけていく。ところが、競争原理にもとづく市場経済の領域が野放図に拡大されたために、自然と人間との絆である自然環境も、人間と人間の絆である社会環境も破壊されてしまった。こうした二つの環境破壊によって「根源的危機」がもたらされているのだといっても過言ではない。
そうだとすれば、人類が絶滅の危機に瀕している「根源的危機」を克服しようとするには、人間の生命を存続させるような自然環境と社会環境を再創造するしかない。そうした使命は、農業・農村つまり「農」が先導役を担う必要がある。つまり、この「危機の時代」を克服するヴィジョンは、「農」を基盤にした社会の再創造にある。
人間の生存条件としての農業
「水色の惑星」である地球上の生命は、太陽の核反応によって生ずる太陽エネルギーの極く一部を、緑色植物が捉え、光合成によってエネルギーの「質」つまりエクセルギーを蓄積することによって成り立っている。この緑色植物によるエクセルギーの「生命体での蓄積」を、植物や動物が分かち合って生命活動がおこなわれる。もちろん、人間の生命活動もである。
こうした「生命体での蓄積」を人間の生命活動のために取り入れる営みこそ、農業である。したがって、農業は食料はもとより、衣服や住宅など人間の生存に必要な材料を産み出す。しかも、農業の生産過程で生じる廃棄物は、自然がものの見事に新しい資源として蘇らせていく。したがって、農業は人間の生存条件を破壊するどころか、人間の生存条件を保障していく。農業は自然の自己再生力と「共」に生きる産業なのである。
しかし、農業が人間の生存条件を保障できなくなる場合がある。それは自然環境が変化した場合、つまり外在的危機が生じた時である。ところが、現在では外在的危機の内在的危機化が生じている。つまり、農業が人間の生存条件を保障しえないような外在的危機を、人間の社会が創り出してしまっている。このように農業が人間の生存条件を保障しえなくなっている事態こそ、現在の「根源的危機」の核心なのである。
そうだとすれば、「根源的危機」を克服するには、外在的危機を創り出す人間社会を、農業が人間の生存条件を保障できる社会へと改革していくことである。つまり、農業を基盤とする社会を再創造するヴィジョン型改革を推進することが喫緊の課題となっている。
もちろん、人間の生存の基礎を提供する自然には、地域ごとに独自の特色がある。そうした独自の特色のある、自然と共に生きるために、独自の特色ある地域社会を形成して農業は営まれる。つまり、地域の特色ある自然環境に合わせた生活様式が築かれ、社会環境が創り出されていく。このように農業は、自然環境と社会環境を取り結びながら、人間の生存を保障していく。したがって、地域社会ごとに人間の生存条件が保障され、人間の包括的生活機能が完結することになるのである。
知識集約農業を基盤とする社会
農業の周りに同心円を描くように、工業が形成されていく。工業は農業の周辺から、農業の副業として誕生する。農業が生きている自然を原材料にするのに対して、工業は生命なき自然を原材料とする産業となる。それ故に工業は市場原理とともに急速に拡大していくことになる。
しかし、工業では人間の生存条件は保障できない。それにもかかわらず、工業が支配的産業になっていくと、工業化を進める市場原理が見境もなく適用され、生命の論理で動く農業の工業化すら推進され、農業が人間の生存条件を急速に劣化させていく。しかも、市場経済がグローバル化するまでに拡大すると、画一した生活様式が強要され人間の生命を育む自然環境も社会環境も破壊されてしまい、「根源的危機」に陥ったのである。
この「根源的危機」を克服しようとすれば、外在的危機の内在的危機化を阻止し、農業を基盤とした人間の社会を再創造し、自然環境と社会環境を再生する必要がある。もちろん、基盤となる農業は工業化された農業ではない。知識集約化された農業である。「量」の経済を求めた農業の工業化に対して、「質」の経済を求める知識集約農業は、小規模で地域的な農業となる。「量」を「質」に置き換えるのは人間の知恵である。知識集約農業では地域の自然を支配する複雑な諸関係を読み解き、自然の肥沃性を高める知恵が求められる。もちろん、そうした知恵は、地域社会で農業に携わる人々に集積されている。
知識集約化した農業を基盤にした人間の社会を再創造するヴィジョンを描いて、逆風に向かってでも船出することには、十分な理由がある。それは人類の存亡がかかっているからである。
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