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コラム:昔の農村・今の世の中

【酒井惇一(東北大学名誉教授)】

2019.05.23 
【酒井惇一・昔の農村・今の世の中】第53回 遊びから始まる田畑の手伝い一覧へ

 田畑での子どもの最初の仕事は春の野草採りである。

 雪国では、しかも当時の交通事情のもとでは、冬に新鮮な緑黄色野菜を食べることはできなかった。秋に漬けた漬物の緑がせいいっぱい、それも漬け初めだけで、やがてべっこう色に変わるので緑はなくなる。たまに雪を掘り起こし、その下で縮こまっているホウレンソウを採って食べる。これは甘くておいしいが、この程度なのだから、冬の新鮮な緑黄色野菜不足を補うために、春になるとさまざまな野草を採って食べる。まだ野菜が成長していないからだ。
 大人が田畑に行くときについていき、セリ、ヨメナ、ナズナ、ツクシ、もづんくさ(餅草=ヨモギ)、ノビル等々を採るのが子どもの仕事だ。また、家の近くの畑や空き地、道路脇などに植えてあったり、生えていたりするウコギやアケビの新芽を遊びかたがた採ったものだった。
 しかし、こうした野草はくせがあるので子どもたちはなかなか食べられない。アケビの新芽などはその典型だ。食べるのは大人である。それでもよく採ってきたとほめられたり、うまいうまいと食べてくれたりすると気分がよい。

 雪が溶けて田んぼでセリ取りをするころ、バケツをもっていってツブ(たにし)捕りもする。このツブの殻を潰して身を取り出すまでは子どもの仕事だが、この酢味噌和えは動物蛋白の不足している私たち子どもの大好物だった。

 夏には田んぼの脇の小川(用排兼用水路)に網をもっていってどんじょとり(ドジョウ捕り)、ざっこしぇめ(雑魚つかまえ)をし、多くとれたら夕ご飯のおかずにした。だけどおかずにできるほど捕れるなどというのはめったになく、結局遊びで終わることがほとんどだった。

 秋にはイナゴ捕りだ。イナゴは海の魚の獲れない内陸部では重要な動物蛋白源だった。そしてうまかった。なお、このイナゴ捕りは小学校や中学校の校内行事でもあった。稲刈りが終わった頃の一日、授業を休みにしてイナゴ捕りに行き、そのイナゴを売って学校の備品を買うのである。
 また落ち穂拾いがある。稲刈りや棒掛けが終わった後の田んぼで落ちている穂を拾い、家にもって帰る。戦後、これで学校の部品を買おうと学校行事で子どもたちが落ち穂拾いしたところもあるそうだが、これは地域の農家の許しがないとできなかった。落ち穂といえどもそれは農家の生産物であり、所有物だったからである。

 家の庭や屋敷裏にあるウメ、ナツメ、グミ、キャラ、スグリ、ザクロ、スモモ、サクランボ、カキ、クルミ、クリ、リンゴ、ナシ、洋ナシ、カリン、イチジク等々(もちろんこのすべてがあるわけではないが)のいわゆる家庭果樹、あるいは畑に栽培している販売用果実を採る手伝いもあったが、木に登って採りながら食べるのが子どもたちの楽しみであり、遊びでもあった。なお、ウメは梅干しなどの加工用として青いうちに採るので、酸っぱくてまずくて食べられなかったが、たまたま混じっている黄色く熟した梅はうまかった。

 かつてはどこの農家も屋敷の中に自分の家で食べるための何種類かの果樹を植えていた。農家ばかりでなく、非農家も庭のある家でも植えていた。さらに野生の草木の実があった。私の家屋敷にはウメ、スモモ、サクランボ、カキがあり、近所の家屋敷にはナツメ、グミ、キャラ、スグリ、ザクロ、クルミ、クリがあり、近隣の集落にいけばアンズ、モモ、リンゴ、洋ナシ、カリンがあった(南国ではミカンやビワなどがあるのだろうが)。もちろんこのなかには販売用として栽培していたものもあった。なお、道端にはクワゴ(桑の実)、バライチゴがあった。
 子どもたちは、こうした家庭果樹や販売用の果実、野生の草木の実を自ら採り、さらには持ち主に黙ってもらって、空腹を、甘さ不足を満たそうとすると同時に、家族の食べ物としてあるいは販売用として親から命じられて採取を手伝わされた。

 山間部の子どもたちは、ワラビ、ゼンマイ等の山菜やキノコ、山葡萄等の採取、川魚の捕獲等々、兄弟や友だちといっしょに遊びで楽しみながら、あるいは親に命じられてやったものだった。

 このように食べられる草や芽、実を採る、拾い集める、役に立つ虫や魚を捕まえる、これは子どもの仕事だったが、遊びでもあった。もちろん役にも立たないセミやトンボを捕まえても遊んだり、夕方には迷いこんでくるホタルをつかまえて蚊帳の中に放し、その光を楽しんだりもしたが。
 採取や狩猟をなりわいとしてきた人類の先祖の血が騒ぐのか、人間の本能がそうさせるのか、ともかく子どもたちは採ったり捕まえたりするのが大好きである。だからけっこう楽しかった。
 また手伝いを遊びに変えたり、さぼって遊んだりもした。遊んでいてもきつく怒られたりはしなかった。幼い子どものこうした仕事は必要不可欠なものではなく、遊びの一つとしてやらせる程度のものでしかなかったからである。

 しかし、遊びをやめて田畑の仕事に出ろとなると、まさにそれは仕事となる。また、遊びも仕事でやれと命令されると、それは遊びではなくなる。そして、大きくなるに従い少しずつ手伝わされる田畑の仕事が多くなり、その時間も長くなると、それは楽しいどころか苦痛になってくる。

 

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酒井惇一(東北大学名誉教授)のコラム【昔の農村・今の世の中】

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