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カヤの実【酒井惇一・昔の農村・今の世の中】第368回2025年12月11日

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 子どものころ食べた木の実といえばもう一つ、カヤ(榧)の実がある。私の生家にはカヤの木がなかったし、また店で売ってもいなかったので、どこからかもらったか、山村の人が売りに来たのを買ったかしたのだろう。それでも何度か食べたような気がする、その実をよく覚えているからだ。といっても、それは固い殻からとった中身だったが(それがわかったのはかなり後だったが)。
 南京豆の実を一回り大きくしたくらいの大きさの中身が銀色と茶色の薄皮に覆われていた。その皮を栗の渋皮と同じようにむいて食べるのだが、栗とも南京豆ともまったく違った味で、表現が難しいのだが、ともかくうまかった。
 でも、今ならこう表現するだろう、アーモンドに近い味だと。戦後かなり過ぎてアーモンドを初めて食べたとき、どこかで食べたような味だと思ったのだが、それがカヤの実の味だと思い出したのはさらにかなり後のことだった。そのせいだろうか、私はアーモンドが好きである。輸入物なのがちょっと気になるが、国産ができないのでやむを得ない。
 それはそれとして、かなり印象的にこのカヤの実を覚えているのだが、どんな木になるのか、どうやって食べられるようにするのかなどまったく知らず、子ども時代以後は食べることもなく、たまに何かで名前を聞くときになつかしく思い出すだけで何十年も過ごしてきた。それがある年の秋、偶然、木に生っているカヤの実を直接見ることとなった。

 私の元勤務先だった東北大農学部の敷地(注)の西南に旧制二高の名残りの小さな雑木林がある。そのわきの道は私の通勤路、いつもは自転車で通るのだが、たまたまその朝は徒歩だった。急ぎ足で通っていたらその道に何か木の実のようなものがたくさん落ちている。昨夜の強い風で落とされたのだろう、緑色でナツメを一回り大きくしたような形をしている。誰か踏み潰したらしいその緑の実の割れ目から楕円形の茶色の実がまたのぞいている。それもまた踏み潰されたその茶色の実の中からはまた黒茶色の実がのぞく。それがさらに砕けた中身は白色である。どうも栗やクルミ、ギンナンと同じ仲間のようだ。肉質の外果皮(緑色)と堅い内果皮(茶色)、薄い渋皮(黒茶色)に白い実=果肉が包まれているようなのである。
 何の実だろうと上を見上げてみたら、キャラボクの木の葉によく似ている葉をつけたかなり大きな木にその実が生っていた。そこから落ちたようである。
 これまで数えきれないくらいここを通っているにもかかわらず、この木に、この実に初めて気が付いた。驚いた。前夜の大風と私の徒歩が見つけさせたのであろう。
 とはいってもこれが何の実なのかわからなかった。その後またかなり経ってからそれがカヤの実だと知ることになったのだが、誰にそれを教えてもらったのかあるいは何かで見聞きしたのか覚えていない。
 数年前この話を私の後輩で畜産研究者の萱場猛夫君(元山形大教授、本稿に何度も登場してもらっている)にしたら、農学部のあの場所にカヤの木があることには今までまったく気が付かなかったと驚いていた。それからカヤの実の話になり、彼の育った北仙台の神社の境内に大きなカヤの木があり、小さいころよく実を拾って煎って食べたものだという。あく抜きはとくにしなかったというが、それで十分うまかったとのことである。農学部に行って食べたいと思ったが、今は移転していて、そこは別人の所有地、勝手なことはできない、だから食べる機会を失ってしまった。いまだ食べていない。
 もう何十年前になるのだろうか、カヤの実を食べたのは。もう一度食べてみたいものだ。

ところで、カヤの木の葉、どこかでこれと似た葉を見たとがあると思っていたら、キャラボク、イチイ(=オンコ)の葉とそっくりだということに気が付いた。調べて見たら、カヤはイチイ科に属するとのこと、キャラボクも同じくイチイ科、似ているのは当然であり、私の見誤りではなかった。
 しかし、実の形はかなり違うし、味や堅さも異なり、同じ科とは思えないほとだ。それでも、あまり売り物、商品にはならないという点では同じ、不思議なものだ。なぜかはよくわからない。
 
(注)現在は仙台市の西の青葉山に位置しているが、私の勤務しているころは仙台市の市街地のど真ん中の北六番町にあり、その敷地は旧制第二高等学校の跡地だった。そしてそこに旧制二高時代以前からの木々も多く残されていた。しかし今はマンションや病院、スーパー等が建てられつつあり、まるっきり変わってしまったとのことである。

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