JAの活動:農協を創った人たちを訪ねて
【シリーズ・農協を創った人たちを訪ねて】[3]上山信一氏・農林中央金庫元副理事長 「貧しさ」からの解放、農協づくりが出発点2013年11月14日
・「嫁殺し」の砂丘農業
・営農資金を自賄いで
・農協軸に民主化進む
農業協同組合法が公布されて66年。戦後、農村に農協を設立したころ、運動にはどんな思いで参加し、その後の農協づくりを進めたのだろうか。当時を知る人々が少なくなっていく今、「農協を創った人たち」の軌跡を辿ることで、日本農業と地域社会、そして農協運動の未来が見えてくると思い、とある農協人を訪ねた。
◆「嫁殺し」の砂丘農業
昭和3年生まれですから、農協ができたのは成人式の年ということになります。 私が村で生まれて過ごしたのは昭和の初めから戦後の一時期までですが、子ども心にもなぜ農村は貧しいのかと思っていました。まさに「貧しさからの解放」が課題でした。
そこで村を豊かにするために、たくさん収穫できる品種をつくってやろうという夢を持ったんです。当時の稲は1つの穂に100?120粒程度実れば普通だったんですが、中学に入ったころ、鳥取高等農林(現鳥取大学)の先生から、潜在的には1000粒ぐらい実る能力があると聞かされ、そんな米づくりができれば豊かになると思っていました。
しかし、実際には量も大事だが値段がもっと大事だということが分かるようになってきました。
村では砂丘畑でイチゴやスイカ、サツマイモなどを作っていました。朝3時ごろから収穫を始めて5時には大八車に乗せて鳥取の駅まで持っていくんです。当時は農協がないからみんなバラバラに運んでいました。 ところが鳥取の市場は狭いし人口も少ないからイチゴなどでき過ぎたときには値段がつかない。けれど日持ちしないから、これはたまらんと、帰りに「イチゴいらんかな」と一軒づつ売り歩くこともありました。砂丘地帯の農業は過酷で、夏の水やり作業は「嫁殺し」と言われていたほど。しかし、こんなに働いても値段がつかないことすらあったということです。
一方で当時、叔父が大学を卒業して月給が90円と聞いてびっくりです。イチゴやサツマイモで90円の収入を上げるなんてことは大変なことだったんです。
そのころキャラメルの小箱が5銭でしたが、私たちは売る側が決めたその値段で買っている。ところが農産物は農家ではなく買う側が値段を決める。それはなぜか、不公平ではないかという思いがありました。
(写真)
現在は機械化した砂丘ラッキョの作業
◆営農資金を自賄いで
戦争が終わって実家に戻り百姓をやっていました。その後、思い直して勉強しようと旧制松江高校に入り、大学は東京に出て農業経済学科に進みましたが、それまでの間、農協が目の前でできあがっていく姿を見ています。
ある日、大先輩の三橋誠さんに農協運動を一緒にやろうと声をかけられました。
「農民一人ひとりでは農民の暮らしは守れない。イチゴの値段もそうだ。一人ひとりが無計画に出荷していたのでは値段はあちらまかせだ。みんなが協同して計画的に出荷しなければこちらの値段は実現できない。それがわれわれの農協だ」と熱心に語っていたのが強く心に残っています。学生ですから手伝いだけですが、みんなで集落座談会を開いたりして、とにかく自分の村に、湖山村農協をつくろうと活動していました。
農協をつくろうというのは共同販売だけではなく、肥料なども予約購買で安く買えるような仕組みをつくることでもあったし、それから貯金運動もありました。営農資金を自賄いしようということでした。こうした話を分かるように、当時はスライドでしたが、リーダーの人たちはそれを座談会に持ち歩いていましたね。
米一升ずつ出し合って移動購買車を購入し、それで生活用品などをまとめて仕入れて村の人たちに販売したこともありました。店舗ができるまでの間ですが、そんな事業もありました。
(写真)
上山氏が農協づくりに関わった現在のJA鳥取いなば。写真は直売所「愛菜館」(上)とその店内のようす
◆農協軸に民主化進む
日本国中、お金がない時代でしたから、私は金融を通して農業を支えていこうと考えました。
農協組織ができて共販しようという話になっても、お金がなければできません。 そのためにどこに融資をしたかといえば、市場です。買い取り資金を融資するといったこともずいぶんやりました。そうしないと生産者が市場に持ち込んでも買ってくれませんから。買う側にお金がない時代だったわけです。
たとえば、切り干し甘藷などはアルコールを造っている酒造メーカーに買い取り資金を融資して買ってもらった。つまり、どうやってわれわれとして農業を支えていくかと考えていた。これからも根っこは農にあり、ということは忘れないでほしい。
私は農林中金に入っても地元の農協とはやはり自分たちでつくったんだという意識があって、同志の連帯という気持ちはありました。
それは自分たちに必要だから農協をつくったということです。イチゴにしても農協でまとめれば大阪にも出荷できる。屑のイチゴはジャムにするなど、やはり農協が生活を守るために必要だということです。
法制度からすれば農業会の看板が農協に替わったということかもしれませんが、私たちは産業組合の延長線で農協をつくるという気持ちでしたね。
それが村の実感だったと思いますし、その協同組合運動を地主主導ではなく、われわれの手でやろうと。農協法という法律は上から降りてくるものであっても、農村が農協を軸にして民主化されたことは間違いないです。
今は農協があることが当たり前になっていますが、われわれの農協をわれわれが守っていこうという気運が今こそ高まらないかと願っています。
【略歴】
うえやま・しんいち
昭和3年鳥取県生まれ。東大農学部卒。農林中央金庫副理事長、農林中金総研社長など歴任。
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