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JAの活動:プレミアムトーク・人生一路

【プレミアムトーク・人生一路】佐久総合病院名誉院長 夏川周介氏(下)分割再構築に奔走(2)2026年2月16日

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農村医療と佐久総合病院の歴史は長い。名誉院長の夏川周介氏は病院の持続可能性に尽力した一人だ。3回シリーズ最後は「分割再構築」に焦点を当てた。聞き手は文芸アナリストの大金義昭氏。

ドクターヘリが2005年に就航ドクターヘリが2005年に就航

合意形成に難航

佐久市のど真ん中の土地が奇跡的に空いていました。道路を隔てた市役所の対面で、事務局がその土地を2005年に購入したのですが「工業専用地」でした。病院への転用には許可がいります。ところが悩ましいことに、近隣に市立病院があって厚労省出身の市長(当時)から強く反対されました。

JA全中の茂木守会長が談判に行っても譲ってもらえない。長野県厚生連の若林甫汎(としひろ)理事長・盛岡正博専務はじめ、JAグループを挙げて病院の新設に取り組んでいただきました。社会科学者の宮本憲一先生や吉川徹・伊藤盛久・岩井達夫さんなど地域住民の皆さんも「地域医療を考える会」を立ち上げて応援してくれ、佐久病院運営委員会の委員長でもあった藤原忠彦・川上村村長が全国町村会会長に就任したことも"追い風〟になりました。18万筆の署名も集まりましたが、院長時代のうち5、6年は地域との調整や合意形成が用務の中心になり、相当にしんどかった。

病院運営で頼れるのは事務長ですが、私の院長時代は5人も交代しています。若月先生の時代に優秀な人が非常に長く務められたために、自分で考え行動する後進が結果的に育っていなかった。そんな中で、再構築準備室課長の上野順一郎さんには助けられました。多くの人たちの尽力と支援があって、入院医療費の定額支払い制度(DPC)の導入も「分割再構築」も何とか着地できました。

――夏川院長の後任は?

精神科医の伊澤敏医師です。病院の機能評価や安全管理の仕事を長く一緒にやってきました。今は、脳外科医の渡辺仁医師が務めています。「分割再構築」のための地域住民説明会には、この両人と分担して臨みました。

周りに助けられて

――夏川さんが先頭に立った時代は、病院が大きな山場をいくつも乗り越えなければならなかった!

"四面楚歌(そか)〟でもあったんですよ!(笑)。「分割再構築」がほぼ固まった段階で、生え抜きの中堅医師たち数人が異を唱えたのには参りました。大病院建設の常ですが、医師会にも強い反対があった。ただ、懇意にしていた佐久医師会の工藤猛さんが10年間も医師会長を務め、佐久病院との絶妙な距離感を発揮して医師会をまとめ上げてくれ、次の市長につないでくれました。茂木会長にせよ藤原村長にせよ工藤会長にせよ、優れた人たちに恵まれたなとつくづく思います。そして県会議員だった栁田清二さんが「世界最高健康都市」を公約に掲げ、2009年に市長になりました(現在5期目)。新市長の応援もあって、佐久病院の「分割再構築」は一気呵成に進みました。

――本当に良い病院というのは、「地域に結びついて、地域住民のニーズに応えているかどうかで決定する」「民衆といっしょに、まじめな仕事をしていれば、何も心配はない」という若月語録がある。

しかし、実際には「何も心配はない」とはとても言えません!(笑)ただ、若月先生が退かれた時に周囲から「これで佐久病院も終わりだ!」とよく言われた。そうした厳しい目線には、実際に佐久病院が地域にしっかりと根を張ること。その現実をお見せするしかなく、私たちは必死でした。

――その努力が実を結んだと?

佐久病院独自の問題と日本医療の問題とが不即不離の形で存在しています。いま、急性期医療(入院機能)の病院では患者さんがすぐに出される。国の政策上もそうせざるを得ないのですが、地域住民の皆さんは「病院が冷たくなった!」と受け取りがちです。そこで大事なのは、退院していただいた患者さんの「その後の医療をどうするか」です。カギは地域の医療連携、地域包括医療で、佐久ではそれがよその地域よりもうまくいっている。14年に完成した急性期医療(入院機能)の「佐久医療センター」は80%近くが紹介による患者さんで経営的にも安定し、開設後は地域の開業医がぐんと増え、いい形で連携できています。もっとも、慢性療養期医療(外来機能)の本院である「佐久病院」の評判は昔ほどではありません。時代に応じた形で変わらざるを得ないのでしょうが、地域全体で見ると医療の質は良くなっていると思います。

2014年に完成した「佐久医療センター」2014年に完成した「佐久医療センター」

経営と医療は別物

ただ、日本の病院に多い「トップは医師でなければならない」という制度上の問題が、医療の活性化を阻害していると私は思う。欧米では病院トップは「経営のプロ」で、それが当たり前です。ところが日本では国公立病院も厚生連病院もみなトップは医師。例えば大学で臨床研究してきた医師が定年後の天下りで、病院の最先端経営ができるかどうか。

――確かに!

昔から言われてきたことで、そう考えている医師も多い。医師がトップで務まったのは医療が「統制経済」だったからですが、もう、これまで通りにはいきません。医療資材が毎年上がり、国公立病院は人事院勧告で給与も上がる。ところが診療点数は2年に1回しか改定されないので病院の収支は赤字になる。厚生連病院は人事院勧告に関係ありませんが、給与を上げないと人が辞めていきます。

――厳しい経営環境の中でハード・ソフト面の態勢は整えた?

形としてはようやく落ち着きました。しかし、それが今後どう変化し、いわゆる「若月精神」をどう継承していくか。次代に託された課題です。

――近況は?

「人間ドック」で診察し、結果を説明し、報告書をお返ししています。病院経営については若月先生と同じで、降りたら何も言いません。今の仕事に定年はありませんが、自分では「そろそろかな」と考えています。

――舞踊が趣味とか?

日本舞踊は、佐久病院に来てクリスマスに駆り出され、藤間流の師匠に見初められて始めました。舞踊班に入って続けたのですが、コロナ禍の時にアキレス腱を切ってやめました。少々やってきた書は再開したいと思っています。

――JAグループの若い世代には?

農業の衰退が一般の人に伝わっていません。手をこまねいていれば、農業も、農村部の医療機関も衰退せざるを得ません。この厳しい現実を見据えて農業や地域を守り、医療を守るためにどうするか。若月先生が繰り返し唱えたように、組合員や「住民とともに」考えなければなりませんね。

【余談閑話】
佐久の人たちは幸せである。「住民とともに」歩み、80年の歴史を誇る巨大な最先端病院があるからだ。人に優しい病院を支えてきた歴史には、志の高い医療従事者たちと数多くの地域住民による力強い連携があった。その病院の持続可能性に挑む「分割再構築」に身を挺した夏川さんは、時代が求めた‶運命の人〟であったかもしれない。
「甲州商人」の血が流れていると言われる若月俊一と「近江商人」の血が流れている夏川さんとの絶妙なめぐり合わせも歴史の采配か。夏川さんは否定するかもしれないが、「佐久病院」の歩みを振り返る時、私には夏川さんが「中興の祖」のように思えてくる。3回のシリーズを踏まえ、早春には佐久を訪ね、現地座談会を持ちたいと考えている。(大金)

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