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百姓一筋、歌とともに 歌人・時田則雄2026年1月13日

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北海道在住の歌人・時田則雄氏に、新年に寄せてメッセージを寄稿してもらった。〈生えてゐるやうにゆふべの野良に立つ父〉――百姓一筋に生きた父の背中と、幼い日に聞いた物語が、歌の原点にある。農に生き、歌を詠む「農文一体」の暮らし。その歩みと、崩れゆくムラへの思いを、短歌とともに綴る。

百姓一筋、歌とともに 歌人・時田則雄生えてゐるやうにゆふべの野良に立つ父の前世あるひは樹木

父は91歳で亡くなったが、その生涯は百姓一筋。〈野良に立つ〉その姿はまるで〈生えてゐるやうに〉見えた。私が幼かった頃、父は毎晩布団のなかで私に口から出まかせの話を聞かせてくれた。それは低俗で、アカザの実を食べすぎて下痢をした爺さんとか婆さんの話であったが、実感がこもっていたのでとても新鮮に聞こえた。小学4年生のとき御伽噺(おとぎばなし)らしきものを書いて先生に誉められたことがある。私は極めて勉強ができなかったのでとても嬉(うれ)しかった。

百姓になって59年、この間、農業の傍ら歌を詠んだりエッセイやコラムを書き、「農文一体」の暮らしをしてきたが、それは幼い頃、私に話を聞かせてくれた父と、私を誉めてくれた小学校の先生の影響によるところがとても大きいと思っている。

私が小学生だった頃(1953~59年)、ムラには小規模な農家がたくさんあった。みんな貧しかったが、隣近所との付き合いは緊密で心豊かに暮らしていた。いまのようにテレビも乗用車も普及しておらず、娯楽も少なかったので、小学校の運動会は地域を挙げて盛大に行なわれた。大人の種目も幾つかあった。マラソンも大人の種目で距離は3キロほどだった。毎回1位になる人はMさんであり、彼は地域の英雄であった。部落対抗リレーも盛り上がった。すててこ姿のオッサンがエキサイトしてコーナーを近廻りして失格するということもあった。

昼の御馳走はかあちゃんが心をこめて作った海苔巻きとか稲荷鮨、散らし鮨。一升瓶の傍らでコップ酒を呷るオッサンのその顔はまるでマントヒヒの顔。出店も並び、ラムネやサイダー、ガム、おもちゃなど、いろいろなものを商っていた。運動会が終わった後もしばらく賑(にぎ)わっていた。古き良き時代であった。

私が百姓になったのは1967年。その頃の十勝平野は日本で一番激しい離農の嵐にさらされていた。

蠅のごとく離農跡地にむらがりぬ去るも百姓残るも百姓

共喰ひの果てに去りたる奴のためぬかずおくべし切株ひとつ

生活のにほふ床板へがすとき悲鳴のごとく錆釘が鳴る

天間征編著『離農』(日本放送出版協会・1980年)のなかに次のようなくだりがある。「脱落農家の墓標の上での激しい農業規模拡大レースが、北海道の畑作地帯、とりわけ十勝平野のなかで展開されてきたのである」―。ちなみに私も借金を背負って「拡大レース」をした百姓である。

相変わらず自民党による農業政策はアメリカや財界の思惑通りに農畜産物の自由化を推し進め、価格や所得補償など農業保護をなおざりにしている。そして選挙の時だけは「農は国の基」と言う。二枚舌も甚だしい。最近の報道によると、日本の農業従事者の平均年齢は67・6歳。農業従事者はこの5年間で34・2万人減って102・1万人だという。ムラは崩壊寸前である。

高市早苗首相は食料自給率を限りなく100%に近づけるといいつつも、農業を軽視し、アメリカの言いなりになって軍拡を推し進めている。きな臭い世の中になって来たと感じるのは私だけではあるまい。

嶺の上の茜の雲を見てあれば軍靴の音が近づいて来る

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