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通し苗代・短冊苗代【酒井惇一・昔の農村・今の世の中】第103回2020年6月18日

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【酒井惇一・東北大学名誉教授】

敗戦前後の大混乱がある程度おさまった1950年代は、農地改革の成果が定着し、国をあげて農村民主化を謳いながら食糧増産に取り組んだ時代であり、農村も変わりつつあった。

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高率高額小作料から解放され、労働の成果がすべて自分のものになった農家は、増収に、新技術の導入に積極的に取り組んだ。そしてそれを農業改良普及事業は精力的に援助した(農協の営農指導事業は発足したばかり、まだそんなに力はなかった)。
その典型が「保温折衷苗代」の導入であった。

ということで「保温折衷苗代」の話に入ろうかと思ったのだが、ふと気がついた、その導入以前の苗代(=水田に定植する水稲の苗を育てる耕地)というのはそもそもどんなものだったか、施設育苗・機械田植え時代以降に育った方はご存じないのではないかと。そこで私の体験から若干お話をさせていただきたい。

私の小中学時代(1950年前後)、山形県庄内地方の酒田市の友人宅に、縁あって毎年夏休みに山形市の生家から列車に乗って遊びに行っていた。そのころ、酒田駅の東側にはまだ田んぼがひろがっていた。ただしその田んぼは私には見慣れないものだった。庄内地方の水田は10アール区画で整然としているのに、ここの田んぼだけは区画が非常に狭いのである。私の生まれ育った山形内陸のきわめて狭い区画よりもっと狭い。さらに不思議なのは、夏に行くと水が湛えてあるだけで稲はもちろん何にも植えられていないことだった。
これは「通し苗代」というものだとわかったのは研究者になってからのことである。本を読んでいてこの言葉が出ても最初はその意味がわからなかったが、これは「年間通して苗代にだけ使用する土地」のことで、ここには苗を取ったあと稲を作らず、緑肥を入れて土を肥やしておくのだということを知った。
つまり、水に恵まれた場所にある田んぼの一部を苗代として固定し、そこは苗がよく育つように刈り敷き(田んぼの肥料にするために刈り取って敷き入れる山野の草=緑肥)などを入れて肥沃にしておき、また雑草など一本も生えないように、苗取りのしやすい柔らかい土にしておくために、絶えず水を湛え、また耕すなどの管理をする。そこに田植えをして稲を育ててもいいが、そうすると今言ったような管理ができない上に、肥沃過ぎて植えた稲は青立ちして実らない。そこで一年中苗代にしておく。このように年中通して苗代として維持しているので「通し苗代」というのだということだった。
このように、田んぼには「苗代田」と、そこで育てられた苗を移植して育て、米を収穫する「本田」との二種類あったのである。

20世紀に入る前の東北の苗代はほとんどがこの通し苗代だった。しかし私が生まれたころは私の生家を始め近くの農家の苗代はそうでなくなっていた。苗代の場所はそれぞれ水の便のいいところに固定はしているが、苗をとり終わるとそこにも田植えをして稲を育てていたのである。
いつだったか田植えの手伝いをしていたとき、父に通し苗代を見たことがなかったと言ったら、そうだったか、そう言えばおまえの生まれる前にもうやめていたと言っていたが、昭和に入ると東北地方ではほとんどなくなっており、苗代では普通の水田と同じように田植えをし、米を収穫していた。

この苗代に塩水で選別して芽出しをした種籾を撒くのだが、私の子どものころは苗代全面にではなく、短冊状に撒いていた。苗代田に約1メートルおきに人間が通れるくらいの幅(15センチくらいだったと思う)の土を掘り上げて通路をつくり、それ以外の約1メートル幅の土地にだけ種籾を蒔いていた(つまり苗床にしていた)。種籾が芽を出し青々としてくるとその植えたところ=苗床が短冊状にきれいにはっきり見えたものだった。これを「短冊苗代」と言ったのだが、なるほどうまい名前をつけたものだなどと子ども心に思ったものだった。
なお、短冊苗代は明治期に行政が導入を図ったが、播種面積が減る等々から反対運動を起こした地域もあり、そこでは警察権力まで使って強制的に導入させたとの話を聞いたが、短冊苗代は通路があるので草取りや病害虫防除など管理作業に便利なものだということがわかってやがて普及することになったようである。
この短冊苗代が戦後の増収を支えた保温折衷苗代の基礎となったものだった。

酒井惇一(東北大学名誉教授)のコラム【昔の農村・今の世の中】

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