小遣いもなかった農家の嫁【酒井惇一・昔の農村・今の世の中】第138回2021年3月4日
先日、森喜朗元首相がセクハラ発言で東京五輪大会組織委員会会長を辞任した。彼の発言はナンセンス(今はもうこんな言葉は使わないか)で論ずるに及ばないが、このときふと気がついた、そういえば農村、農家における女性問題について本稿ではほとんど触れてこなかったと。
農村、農家、農民に対する差別問題については語ってきたが、貧困、過重労働の問題に力点をおいてきたために、都市部よりさらに厳しかった農村の「女性問題」(かつては「婦人問題」と言っていたのだが、今はこう呼ぶようになったようである)には触れてこなかったのである。
けれどもこれがちょうどいいチャンス、これまでの話はいったんおいて、これからの何回かは1960年代以前の農村における女性問題について語らせていただきたい。
1965(昭40)年前後のことである。夕方家に帰ったら、家内が次のような話をした。
朝方、農家の嫁さんのような女性が小さい子どもの手を引いて家に来た。きっと一山こえた集落から歩いてきたのだろう、そして背中に背負った風呂敷からトウモロコシを五、六本出し、買ってくれないかと言う。おいしいかどうかわからないけど何となくかわいそうになって買ってあげたと。
それを聞いて私は頼んだ。そういう農家の嫁さんがきたら、どんなものでも必ず買ってくれ、小遣いをもらえない嫁さんの小遣い稼ぎなのだからと。
農家の嫁は家の労働力として、家の跡取りを生む道具としてもらわれた。嫁は、弟妹を含む多数の家族を養うために必要な労働の担い手、過重労働で早く身体が言うことをきかなくなって働けなくなる親に代わるべき労働力、早く後継ぎを産んで家の継続ができるようにするための道具であった。このような地位にある嫁である限り、大事にされるなどということは当然なかった。
農家の嫁が小遣いなどもらえるわけもなかった。長男の息子でさえ財布をもてなかった時代だったのである。
また、農作業、家事と仕事はたくさんあるし、子育てがあればなおのこと、村の外にもめったに出られなかった。ましてや当時はまだ車社会ではなかった。
それでも、何か用事を言いつけられて村の外に出るときや里帰りをするときに町に行くことがある。そしてそのときに小遣いをもらうこともたまにはある。めったにない機会である、それで子どもといっしょに食べるのは「しなそば(現在の中華そば)」だ。小遣いが多いと「ライスカレー」である。これが最高のごちそうであり、楽しみであった。
しかしいつも小遣いがもらえるわけではない。それでも、町に出たらいっしょに来た子どもたちに何か食べさせてやりたい、何か買ってあげたい。そこで町に出る途中、こっそり家の畑に寄る。見つからないように売り物になる野菜を採り、急いで風呂敷に包む。町に着くとまず家々を回り、それを売って歩く。それで稼いだわずかな金でしなそばを食べたり、子どもが食べたいものを買ってやる。
私は幸いなことにそのような体験をしたことはない。しかしこうした話をよく聞いて知っていたものだから、必要のないものでも、まずそうであっても、必ず買ってやってくれと家内に頼んだのである。
戦後、民主的な憲法が新しく制定され、いえの民主化、むらの民主化、婦人の地位向上が叫ばれたにもかかわらず、このような嫁の地位の低さは1960年代までも残っていたのである。戦前はもっとひどかったことはいうまでもない。
かつての「人生四十年」という短命の小農社会のもとでは、家族労力と跡継ぎを早く確保することが必要不可欠であり、それで早婚とならざるを得なかった。そして嫁はその跡継ぎを産む道具であり、大事な労働力でもあった。
だから、産後の一時期だけは嫁は大事にされた。産後の三七・二十一日だけは過重労働から解放された。畑仕事はもちろん台所の仕事も絶対にさせなかった。もちろん働こうにも働けなかった。今と違つて産婦は病人扱いで、ご飯はおかゆ、二十一日間は脂っこいものは油揚げたりとも食べないというしきたりであり、寝ているより他なかったからである。どんなに嫁いびりをする姑も働かせなかったという。その間に水仕事などさせたら、後で嫁の身体にひびき、労働力として使えなくなるからだった。
嫁は「家」にとって後継ぎを産む道具であり、農業・家事の労働力でしかなかったのである。それは戦後も同じだった(農業の機械化・化学化、家事の電化・化学化が進むまでの話だが)。
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