Z-GIS左PC
第42回農協人文化賞
左カラム:全中動静160_86
想いをつなげて90年 持続可能な社会を目指して 「希望は農協運動にある」
検証菅政権
バイデン農政と日本への影響
緊急企画:JA対話運動~コロナ禍での協同~
左カラム_シリーズ_防除学習帖
左カラム_病害虫情報2020
左カラム_コラム_正義派の農政論_pc
左カラム_コラム_米マーケット情報_pc
左カラム_コラム_地方の眼力_pc
左カラム_コラム_食料・農業問題 本質と裏側
左カラム_コラム_昔の農村・今の世の中_pc
左カラム_コラム_グローバルとローカル_pc
左カラム_コラム_TPPから見える風景_pc
左カラム_コラム_ムラの角から_pc
左カラム:JCA160_86
SP:右上長方形 アリスタライフサイエンス(株)トクチオン乳剤
JA全中中央①PC
JA全中中央SP

コッペパン【酒井惇一・昔の農村・今の世の中】第146回2021年4月29日

一覧へ

先日、近くの生協ストアに買い物に行った時、珍しいものを見つけた。コッペパンを売っていたのである(他の店舗、他の地域にはあったのかもしれない、もしそうてあれば私の視野の狭さでしかないのだが)。何十年ぶりだろう。あれほどかつてなじんでいたのにすっかり忘れていた。

昔の農村今の世の中サムネイル・本文

戦時中の米不足時代、麦は米の増量材(麦ご飯)として、代用食として重要視された。すいとんがその代表的なものだが、コッペパンもそうだった。すいとんは昔からあったものだが、コッペパンは戦時中に考案されたものなのだそうである。私たち世代、戦後世代にはなじみの深いものだが、いつごろからかいわゆる食パンが普通になり、知らないうちに目につかなくなっていたのである(私が気がつかなかっただけではないと思うのだが)。若い方はご存じだろうか。片手で持てる大きさで、紡錘形(円柱状でまん中が太く、両端がしだいに細くなる形)で底が平たいパンである。

戦時中は、それが米の代用品として配給されたこともあるが、私の食べたそのコッペパンはごつごつして固く、本当にまずかった。

戦後はさらにきびしい米不足、アメリカからの緊急援助や輸入で入ってきた小麦粉が食卓にのぼるようになり、それを原料とするコッペパンも大量に生産されて食卓に供給されるようになった。私の場合は農家だったのでそういうことはなかったが、おやつなどとして食べたものだった。戦中と違って柔らかく、甘味もあっておいしかった。

1954(昭29)年に入った大学の寮生活では、毎日麦ご飯だったが、日曜の朝食だけはコッペパンと牛乳だった。また、お腹がすくと売店でコッペパンを買い、マーガリン(バターは高価で食べられなかった)を塗って食べたものだった。米は配給制、自由に買ってご飯を炊いて食べるわけにはいかなかったし、しなそば(ラーメン)は50円、かけそば30円、これに対してコッペパン10円+牛乳10円、貧乏学生(アルバイトの日当200円)のふところでは、これがもっとも安上がりにお腹をふくらませることができるものだった。

このコッペパン+マーガリン、牛乳(これまたアメリカから輸入された脱脂粉乳入り)がアメリカ的文化的食生活として宣伝され、都市の家庭に普及していった。

また1957年から完全給食となった学校給食では、全国的にこのコッペパン+脱脂粉乳スタイルが採用されるようになった。

こうしてパン食が全国的に普及していった。

でも、このコッペパンがきらいな子どももたくさんいた。私の娘と息子もそうだった。しかし食わないわけにはいかない。先生から怒られるからである。給食は苦行だったという。

あるとき家内がランドセルの底にパン屑がたくさん入っていたのを見つけ、息子に聞いたところ、給食のとき家に帰ってから食べるからとコッペパンだけランドセルに入れて帰る、それを途中の家の犬にあげる、犬は毎日そのパンを楽しみにして待っており、大の仲良しになっているとの話、家内は怒るに怒れず、笑うしかなかったという。

店でもコッペパンを売っていた。コッペパンの背に包丁で切り込みを入れ、マーガリンやクリーム、野菜などを入れてサンドイッチ風にしたものも売られるようになってきた。安くて手軽、まさに庶民の常食となつた。

さすがに農家はコッペパンを主食として食べるということはなかった。しかし農作業の合間のおやつとして食べるようになっていた。

いつごろからだろう、いわゆる食パンがコッペパンにとって替わり、トースターが台所におかれるようになったのは、そしてコッペパンを見かけなくなったのは。

戦後の貧乏人のお腹を満たし、食パンの先駆けとしてパン食普及に大きな役割を果たし、日本の米麦生産、食生活に大きな影響を及ぼしたコッペパン、それを失念していたとは。いくら年齢とはいえ困ったものである。

それはそれとして、次に生協ストアに行ったときに見たら、やはりコッペパンがおいてあった。家内もなつかしいと言う。しばらくぶりで食べてみようということになり、背中に切れ目を入れてピーナッツクリームを挟んだコッペパンを買い、お昼ご飯に食べた。相変わらずの独特の甘み、匂い、食感である。この甘さが砂糖不足時代には受けたのだろう。でもくどすぎる、おやつとしてたまに食べるのはいいかもしれないが、主食としてはあきてしまう、匂いも臭いになってしまう。ということで子どもたちに嫌われるようになったのではなかろうか。

今の私たちも、また買って食べようとは思わない。でも、戦中戦後の食糧危機、アメリカの小麦戦略を思い起こすために年一度くらいは、菓子代わりのおやつとして買って食べてみてもいいかなとも思っている。

ところで、生協のコッペパンは1個80円(消費税抜き)だった。私の若いころ(65年前)の8倍になるが、学生バイトの日当は当時200円、現在8000円で約40倍、つまりコッペパンは実質値下がりしている、これをどう考えるべきか、これは後の課題として残しておくことにしよう。

酒井惇一(東北大学名誉教授)のコラム【昔の農村・今の世の中】

昔の農村今の世の中サムネイル・本文

最新の記事

シンジェンタアファーム:SP

クミアイ化学右カラムSP

原発処理水海洋放出

注目のテーマ

注目のテーマ

Z-GIS:SP

ウィズコロナ 命と暮らしと地域を守る農業新時代への挑戦

JA共済連:SP

注目のタグ

JAバンク:SP

コロナ対策に学ぶ

JA人づくり研究会:SP

本田防除

topへ戻る