外便所、外風呂【酒井惇一・昔の農村・今の世の中】第307回2024年9月12日
その昔(と言っても戦後昭和の高度成長以前のことなのだが)、雪国の冬の家の中は、夜ばかりでなく、昼も暗かった。雪が降るころになると昼も雨戸を閉め切ったままにするからである。
私の生家を例にとれば、障子やガラス戸が直接外に面している茶の間、居間兼台所などは明るいが、木製の雨戸と縁側のある奥の座敷二間は昼でも暗い。電気をつければいいかもしれないが、家に一つ電灯があるだけでもいい時代だから、そんなことができるわけはなかった。
家の外にある風呂場や便所には当然のことながら電灯はない。家の前の道路には街灯もない。だから家からそこに行くのも大変だ。風呂場にはろうそくがあるが、月夜以外のおしっこ、うんちは真っ暗な闇、漆黒のなかでとなる。ライターなどもちろんないし、マッチや灯油、蝋燭ももったいないので、便所に行くたびに灯りをつけるわけにはいかないからだ。
それでも生家の場合は台所の灯がもれてくるのでまだいい。この灯とカンで何とかできる。純農村部にある母の実家などは家が少ないし、夜中に灯りを点けている家などもちろんないのでその灯りが外にもれることもなし、ましてや街灯などもなかった。真っ暗闇、しかもたまにしか泊まりに行かないので経験とカンを働かせることもできず、行くのが大変だった。月夜の晩はいいが、そうすると遠くに墓地の林が見える。これがまた怖い。
いずれにしても私のような臆病者は一人で便所に行けなかった。便所ばかりでなく、電灯のない仏壇のある奥の間にも夜は行けなかった。ともかく怖かった。なぜ夜などというものがあるのか、夜がなければいいのに、とさえ思ったものだった。
私のあまりの臆病さを母は相当心配したようで、それを直すためにと夜のご飯を食べた後、毎晩家の裏の菩提寺の墓と八幡神社にお参りに私を連れて行くことにした。最初の晩、真っ暗な闇の中提灯を下げた母の後を恐る恐るついていったが、菩提寺に行ったら境内にある観音様の建物が明るい。ろうそくや提灯が灯され、人も何人かいる。何の行事だったのか思い出せないが、そこで拝んだら枝豆をもらった。そんなことでさっぱりこわくなかった。
しかしそんなことが毎晩続くわけはない。その後は真っ暗な中のお参りである。母がいっしょだといってもやはりこわい。こんな日が何日か続いたが、母が毎晩連れて行けるわけはない。夕食の後片付けから何から仕事は夜でもたくさんあるからだ。代わって、出征前のM叔父が私を連れて行ってくれた。提灯の明かりに驚いたせいだろうか、突然木の上からセミがジジジーと鳴きながら下に落ちてくる。それを喜んで拾いながら家に帰ったのだから、それは夏のことであった。灯りをつけた夜の行事がまだできるころだから戦争の初期、小学2年のことだったのだろう。しかし、秋になれば農繁期で母が夜連れて歩くなどはもうできない。叔父も出征していなくなった。それで夜の訓練は終わってしまった。
当然こんなことでは私の臆病は治らない。小学四年まで夜独りで便所に行くことはできなかった。だから寝る前にがんばっておしっこして、夜中便所に行かないようにするしかなかった。それでもだめなときにはやむを得ず誰か家族を起こし、怒られながらでもついていってもらうより他なかった。
外便所の問題は暗さばかりではない。便所に行くと、外の寒さ、暑さはそのまま肌身にしみる。とくに問題となるのは冬の寒さだった。家と外との気温の較差から、夜中や朝方、寝床から便所に行って脳溢血になって倒れるお年寄りが多かった。
こうした問題はあっても、水洗便所などではない当時としては、外便所はきわめて合理的だった。便所にたかりやすいハエや虫が直接台所や食卓にはこないし、臭いも家の中に直接こないからである。また農家にとっては農作業の後や最中にすぐに利用できることもいい。いちいち手足を洗って家の中に入って所用を足すなどという不便がないからである。
外風呂も火災予防という面からして合理的だった。言うまでもなく風呂場は火を使うところである。この風呂場と家とを離しておけば、風呂場から起きる火事が家に延焼するのを防げるのである。また、風呂の水が家の外にある井戸からの汲み上げとなれば、家の中に風呂場をおくより外にあった方がよかった。
つまりそれなりの合理性があったのである。
1960年代・講和条約締結後の話しだが、戦災による仙台の住宅不足はまだ解決していなかった。それで、米軍が撤退した後の基地にあった将校の住宅がそのまま公務員住宅として利用されるようになった。そこに住んでいる先輩の家に行って驚いた。風呂と便所がいっしょにあって、しかも二階にある。たとえ水洗便所であっても、私の感覚からしてわからない。
風呂場でおしっこやうんちをするなどというのはとってもできなかった。子どもの頃そんなことをしたらきつく叱られたものであり、その教育がそうさせたのかもしれないが。
でもそれだけではなさとそうだ、どうにも納得できなかった。そもそも風呂は浄める場であり、きれいな場所である。これに対して便所はまさに「ご不浄」である。この浄めるところとごろに不浄がいっしょにあるということに強い違和感をもったのである。
もしかすると、彼らにとってはともに不浄なのかもしれない。あるいはともに身体をきれいにする場なのかもしれない。風呂は人間にいらない汚れをとる場であるし、便所はいらないものを排泄する場だからである。そう考えればいっしょにしてもかまわない。こんな風にも考えた。
しかし、こうした感覚の違いからだけきているのだろうか。物質が観念を規定するという唯物(タダモノ?)論者の私はそこで考え直す。
そして考えついたのが気候風土と関連しているのではないかということだった。
モンスーン地帯の日本は湿気が多い。一方、風呂にしても便所にしてもともに水に縁があり、じめじめしている。当然病原菌が繁殖しやすい。離しておいた方が清潔だし、湿気で建物の腐れが早くなるなどということもない。それなりの合理性があった。これに対して乾燥地帯のアメリカはそこまで神経質になる必要はない。しかもいっしょにしておいた方が便利である。ともに水を使うからである。
こうしたことから違いが出てくるのだろう、などと一人で納得したものだった。
今はホテルで何の違和感もなくトイレと風呂がいっしょにある浴室を利用している。我ながら変わったものだ。
それはそれとして、ともかくその昔の風呂と便所は子どもには遠かった。そして年寄りには脳溢血を引き起こす危険性をもつものだった。
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