消え行くヒエ・アワ・キビ・モロコシ、続くは何?【酒井惇一・昔の農村・今の世の中】第351回2025年7月31日

キビ、それからアワ、これは戦中から戦後の一時期、私の祖母が生家の前の畑でほんのちょっぴり栽培していた。ただし、なぜ栽培したのか、どのようにして食べたのかは記憶がない。でもともかくアワとキビは見ている。
しかし、ヒエは見たことがなかった。私が初めて見たのは1970年代の後半、北上山地の調査のときだったが、そのころはもう農家はヒエを食べていなかった。だから私もヒエ飯をご馳走になる機会はなかった。
それでも、ヒエ飯には黒と白の二種類あるというようなヒエに関するいろんな話は聞いていた。この黒い飯と白い飯は品種の違いからくるものだろうと私は思っていた。しかしそうではなかった。
この黒と白の差は乾燥の仕方の違いによるものだった。
ヒエの実の乾燥の仕方には、ヒエをそのまま天日で乾燥させる方法と、一度蒸した後に火力で乾燥させる方法の二つがあり、岩手県葛巻町では前者を「ひぼす」と呼び、後者を「おもすぺ」と呼んでいた。
まず「ひぼす」だが、これは収穫し、脱穀したヒエを天日で十分に乾燥させる(注)。それを水車で搗き、ヒエを覆っている頴(えい=米で言えばもみ殻)を剥がし、また糠(ぬか)を除去する。その結果、ヒエの粒は真っ白になる。これはおいしいが、粒のまわりをきれいに取り去ってしまうので粒が小さくなり、また乾燥していて砕けやすいために、食べることのできる量が減る、それが難点となる。
もう一つの「おもすぺ」の場合は、まず収穫したヒエを十分に水に浸した後に蒸す(注)。蒸しあがったヒエを小屋の室(むろ)に入れ、火を焚いて乾燥させる。それを水車の搗き臼で搗いて頴(えい)を剥がす。穎は簡単に剥がれるが、糠は残る。それで黒っぽくなって、見栄えが悪くなる。またうまくない。十分に精白されていない、つまり糠層が残っているからだ。しかし、粒は大きく、「ひぼす」のように量は減らない。
そうなると、貧乏人は「おもすぺ」にするしかない。うまいまずいよりもまず量を確保しなければならないからだ。だから黒いヒエ飯は貧乏人の飯だった。
「ひぼす」は「日干し」のことだろう、これはすぐわかったが、「おもすぺ」はよくわからなかった。お年寄りに聞くと、葛巻では「蒸す」ことを「おもす」というとのことだった。それで「おもすぺ」と言ったのだろうとのことだった。なるほどと思ったのだが、実は私の生家のある山形でも「蒸す」を「おもす」と言っていた。これだけ離れているところで共通しているということは「おもす」は東北全体で使われていた言葉なのだろうか。
それはそれとして、こうしてつくられたヒエは、米のご飯と同じように焚いてヒエ飯として食べた。これが主食だった。
さらにおかゆ(「きゃこ」と言ったとのことである)にしても食べ、たまに手に入る米のご飯に混ぜても食べたものだったとのことだった。
当然米の餅など食べられなかった。だから、お正月の餅はアワ餅が普通だった。つまり葛巻ではアワは餅用として栽培したのである。だからもちアワを栽培していたのだろう(アワには米と同じようにもちとうるちがある、これについては後に述べる)。おかゆにしても食べたそうだが。
なお、このアワでどぶろくもつくった。これはかなりきつかったという。一度飲んでみたいものだ。ぜひ復活してもらいたい。といっても今はもう栽培されていないが。
もう一つついでにいうと、ヒエごはんが余ったらそれに糀(こうじ)を入れてどぶろくにしたという。酒飲みと言うのは意地汚いものだ、何でも酒にしようとする習性があるようだ。
それはそれとして、それらをもう一度復活し、「アワどぶろく」、「ヒエどぶろく」を「麦どぶろく=麦どんべ」とあわせて地域特産として販売することを考えられないだろうか。作り方を知っている人がまだいる今、それを伝承する人をつくる最後のチャンスだろう。
それから、キビもつくられていた。なお、葛巻ではキビを「チミ」と発音するが、このチミはトウモロコシのこと、本来のキビは「セダカチミ」と呼んだとのことである。漢字にすればこれは「背高黍(せいたかきび)」なのだろう。これはキビ団子にしたり、糧飯としてご飯に入れたりしたという。
もう一つ、雑穀としてモロコシがあった。戦時中の食糧危機のとろ、祖母が家の前の畑に何本か祖母が植えていたが、これが日本の移民が満州で育てていたコウリャン=高粱であることを知ったのはかなり後だった。この糧飯(かてめし)(米に他の穀物や野菜・海藻などの食品を混ぜて炊いたご飯、貧乏人の食べ物だったが、米不足の戦中戦後はみんなよく食べたものだった)を食べさせられたことがあったが、ちょっと香ばしく、うまく感じたものだった。毎日食べたいと思うものでもなかったが。
こうしたヒエ、アワ、キビ、モロコシ等の生産は今減少の一途をたどっているようである。そして日本人の食卓から消えつつある。私は米と混ぜ合わせたかて飯にして食べたことがあるが、それぞれうまい。毎日毎食はいやだが、たまに食べたいと思うことがある。
何とかわが国の伝統食として残してもらいたいし、生産技術も伝統技術として保存てもらいたいものだ。
単なる年寄りの感傷にしか過ぎないのかもしれないが。小鳥の餌としてでもいい、五穀はつくり続けて言ってもらいたいものだ。
しかし、世の中、それどころではなさそうだ。
傲岸不遜なトランプの上から目線の関税脅迫とそれに這いつくばってお目こぼしを願おうとする日本政府の弱腰で米などの輸入をさらに増やし、今でさえ危うくなりつつある日本農業にさらに大きな打撃を与え、農村、農家の存続を危うくしつつあることだ。
今から30年前のウルグァイラウンドのときはその内容の善し悪しは別にしていろいろな対策を講じようとしたものだつたが、今回のトランプ脅迫受諾にさいしてはそんな対策すらとられようとしていない。そうしなければという声も聞かない。声をあげる力もなくなってしまったのだろうか。
廃れつつある日本の農山村をアメリカ製の乗用車やトラックが走り回り、そこから捨てられたアメリカ産のご飯粒やパン粕を食べてまるまると太った雀やカラス、クマ、そして外来鳥獣が荒れ果てた家々や五穀、野菜、果樹、家畜などが見られなくなって草木で覆われて荒れ果てたかつての田畑を住処にして走り回り、飛び回る。
こんな日本に、農山漁村になってしまうのだろうか。そんな姿を見る前にこの世を去るであろう私は幸せである。しかしそんな日本になることを許してしまった私たち世代は、後々の世代から恨まれることになるだろう。
一体私たち昭和世代は何をしてきたのだろうか。
何とそこにトランプのキングが現れ、世界の帝王であるかの如く振る舞って関税を吊り上げ、米麦の輸入拡大を押し付け、一方日本政府は平身低頭してお目こぼしを願うだけ、これも世の流れ、流れには竿をささず、身をゆだねて行くとするか。
とは言ってもそれでは高齢者はますます生きにくくなる。あの苦しく辛かった戦中戦後、を何とか切り開いてみんながんばってきたのだが、もう限界、安らかなあの世行きができなくなるのだろうか。
雑穀はせめて小鳥の餌として役に立っているだけ、老人はそうした役にも立たず、この世の不要物・厄介者化してしまった我々世代、でもこの世を一時期支えてきたのだ、せめて安楽にあの世に行かせてもらいたいものだ。
ごめんなさい、またボケ老人の愚痴話になってしまった。
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