飲める白樺とカエデの樹液【酒井惇一・昔の農村・今の世の中】第379回2026年3月5日

もう20年以上も前の話である、私の第二の職場だった東京農業大学オホーツクキャンパス(北海道網走市にある)では四月の半ば過ぎに新入生のオリエンテーションで一泊旅行をしたものだった(今もその伝統を引き継いでいるのだろうか)。私の所属する学科は阿寒湖畔とほぼ決まっていたが、まだそこは雪が残っており、薄くなった湖の氷を遊覧船が行ったり来たりしながら割っているのがホテルの窓から眺められる。
その時、私たちをここに運んでくれた観光バスの中年のガイドさんが、車窓からこうした残雪を見ながら、こんな話をしてくれた。
こんな雪解けのころ、ストーブの燃料として高く積んである薪が太陽の光を受けて温められる。すると、薪の切断したところ、つまり年輪のところからぽたりぽたりと雫が垂れてくる。樹液が染み出してくるのである。私たち子どもはそうした薪のうちの白樺やイタヤカエデを選び、その樹液を指につけてなめたり、湯呑茶碗にその雫を受けて溜めて飲んだりしたものだった。甘くてそれはそれはうまく、春の知らせでもあるので心が浮き立ったものだったと。
このような体験は私にはなかったが、同じ雪国の生まれ、春を迎えた子どもたちの浮き立つ気持ちがよくわかった。同時にうらやましかった、その樹液をなめてみたかった。
そしたら、ガイドさんが続けて言う、今その白樺の樹液が観光地の売店などで売られているので、ぜひ試しに飲んでみてくださいと。
白樺、私のあこがれだった。
その木の幹や枝はその名の通りに真っ白だという。白樺林を写真や映像で見ると、他の森林には見られない美しさである。しかもそれは近くで見ることができず、高山でしか見られないという。それに加えて私たちの若いころみんながあこがれていた有名な文人たちが参加している「白樺派」がある。まさに白樺は何ともロマンチックな名前だった。それを私は見たことがない。だから若いころのあこがれだったのである。
やがて、白樺の生える土地は寒冷地で地味のやせているところ、つまり農作物の育たないところであり、人間にはあまり歓迎されない木だというようなことを聞くようになった。それでもやはり白樺のイメージはいいものだった。
その白樺を毎日のように見ることになった。網走の借家の隣のお宅に数本の白樺の木が植えられていたからである。さらに私の勤務先の農大キャンバスの裏側に白樺の見事な林があるし、ちょっと郊外に出ると、また山に行くと白樺はどこでも目に入った。
都府県からの来客を女満別空港に車で迎えに行き、農大あるいはわが家に連れて行くとき、その白樺林のわきを通る。すると初めての客はそれを見て歓声をあげ、「白樺だ」「見事ですね」と騒ぐ。これがいつものことだったけれども、たった一人これまで何回も本稿に登場してもらった中村克則君(現・岩手大教授)だけは何の感情も示さない。ちょっと不思議に思ったのだが、数分経ってから気が付いた。彼の生まれ故郷の岩手県葛巻町には有名な平庭高原をはじめ白樺の林などはたくさんあり、珍しくも何ともないのである。そういえば私がまともに白樺林をみたのは30歳半ば、その葛巻町でだった。平庭高原の白樺林の美しさに目を奪われたものだった。その私が毎日のように白樺を見る暮らしになる、ちょっと不思議な気持ちになったものだった。
しかしその白樺はその実が食べられるわけではない。それどころかその花はひどい花粉症を引き起こす。網走に行ったばかりの時家内もそれで苦労したものだった。しかもその生えるところは不毛の地とやら、喜んでなどいられない(注1)。
何とも奇妙な感じだったのだが、その白樺の樹液が飲料になるというのである。これを聞いたときには本当に驚いた。
バスガイドさんの話を聞いてから半年くらいして摩周湖に行ったときのことである。展望台の下のレストハウスに行ったら白樺の樹液を売っていた。その名前が『森の雫』、まさにぴったり、センスがある。牛乳瓶を一回り小さくしたような透明なガラス瓶に入っており、ラベルに樹液100%と書いてある。
早速買って飲んでみた。樹液は透明で、口に含んでも何の味もしない。臭いもしない。水を飲んでいるようなものである。しかしどこか水とは違う。よくよく味わうとほんのりわずかの甘みが舌に残る(甘味料のキシリトールが樹液に含まれているとのことである)。喉が渇いていなくとも簡単に一本飲めてしまう。飲んだ後はさわやかである。
それから摩周湖に行くたびにその「森の雫」を買って飲むようになった。やがて道内の他の観光地に行っても「森の雫」を売っているところがあることを知り、見つければ買って飲むようになった。
聞いたところではこの「森の雫」は早春の雪解けのころ白樺の幹に小さな穴を開け、そこから染み出し、流れてくる樹液を集めてつくるのだそうだが、これはアイヌの人たちが白樺の幹に傷をつけて得た樹液を水として利用したとの伝統をひいているのだろう。
野性味がありながらも外見・中身ともに何ともいえない上品な感じ、まだ飲んだことのない方は北海道に行ったときぜひ試飲してもらいたいものである(今も売っているのだろうか)。
さて、ガイドさんから聞いたもう一つ、イタヤカエデの樹液であるが、これが売られているのは見たことがない。この木はサトウカエデと同じ仲間、濃度は低いが樹液に糖分が含まれており、戦後の砂糖不足の時期に北海道、秋田、青森で砂糖をつくったそうだが、砂糖の自由化とともになくなってしまったとのことである。
そんなことにまったく関心を持たないでそれまで過ごしてきたのだが、改めて調べてみようとネットで検索してみた。そしたら「1967年3月 カエデ糖採り 十和田湖畔に春のきざし YouTube」という記事があり、そこに当時の情景を写した「毎日ニュース」が映し出された。その解説には次のように書いてある、「青森県の十和田湖はまだ冬の装いだが、『カエデ糖』を採る人たちの小屋が立ち始めた。雪の中に立つカエデの木にドリルで穴を開け、竹の筒を差し込み,一升壜をつけていく。新芽を育てるために分泌される樹液を採るもので、一本の木で一日5リットルが採取できる。奥入瀬の流れに雪解け水が増すころまで作業は続けられる」と。そんなことがなされていたとはまったく知らなかった。
続けて検索してみたら、秋田県の大仙市太田町ではイタヤカエデでメープルシロップをつくっているとのことだったが、今はどうなっているだろうか。
(注)
1.もちろん白樺の木はまったく役に立たないわけではなく、家具材料、燃料として役に立つとのことである。
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